18. アンネの薔薇
「おお、ここが智くん家か。いい家じゃないか」
「はは、ありがとう」
学校を出た僕たちは、寄り道もせずそのまま鳳家へと到着。
澪は演劇部の活動でまだしばらくは帰ってこない。つまり僕とセシルさんの二人っきりということになる。
玄関に上がり、靴を脱ぐ。僕の部屋は階段を上がって二つ目。僕はセシルさんをリビングに通す。
「智くんの部屋はどこだい?」
「まぁまぁ、まずは一旦くつろいでもろて」
「はやく智くんの部屋に行きたいんだが」
セシルさんをソファに座らせ麦茶を提供。
「すぐ案内するよ。ちょっとお手洗い行ってくるね」
そうして、僕はリビングを出て扉を閉める。
……よし、完璧だ。全て計算通り。
急に決まったセシルさんの来訪。当然、準備などしていない。となると僕としては部屋に散乱する見られたくないものを片付ける時間が欲しいわけで。
好奇心旺盛なセシルさんに片付ける時間をくれと聞いても断られる可能性の方が高いと判断。一計を案じた次第である。
急がねば!
あまり時間はかけられない。片付けの手順は帰路の途中で何度もシミュレーションした。
エロゲインクローゼットは基本ですね。
予定通り最低限の片付けを完了させ、忍足で階段を降り一階のトイレに入り水を流す。
そしてリビングへと戻る。
「あれ」
セシルさんがいない。
思い至る可能性。僕がトイレに入ったタイミングで二階へ上がった? いや、セシルさんは部屋の場所を知らないはず。ならどこに?
「セシルさーーん」
リビングの障子が開いているのに気付いた。
みると、母さんの仏壇の前に正座して手を合わせているセシルさんを見つけた。
「智くんが部屋を片付けている間にご挨拶させてもらったよ」
「えっ! なんでわかったの!?」
「ふふ、彼女だからさ」
どうやらセシルさんに隠し事はできなそうだ。僕は苦笑いを浮かべ母さんの写真に視線を送る。
母さん、この子が僕の初めての彼女です。ちな吸血鬼です。びっくりした? したよね。でも心配しないで。きっとうまくやっていけると思うから。応援しててよ。
「僕の部屋、行こっか」
セシルさんは朗らかに笑うと、ゆっくりと立ち上がる。その際にバランスを崩し、倒れそうになった。
「おっと! 大丈夫っ?」
僕はとっさに抱き止めるようにしてセシルさんを支えた。その身体は見た目以上に軽く、少しでも力を入れたら壊れてしまいそうなほど柔らかだった。女の子の匂いってやつは不思議だ。まるで花束を抱いているような気分になる。思い浮かんだのは薔薇だった。成長とともに変色していく――"アンネの薔薇"
第二次世界大戦時、アンネ・フランクという名の平和を祈った一人の少女がいた。その薔薇は彼女の形見として捧げられたものであり、生きられさえすれば多くの可能性を秘めていたアンネ自身を表現していると言われている。
吸血鬼であるセシルさんは僕たちのような普通の人間より長く生きるから、その一生に広がる可能性は無限大だろう。そう、思っていた。だけど、違うのかもしれない。本質は別なのではないだろうか。彼女を見ているとなぜだかそんな気がしてくるのだ。生きたくても生きられなかったアンネ・フランク。千年の時を生きる吸血鬼。まるで正反対。正反対のはずなのに、僕は二人の少女に同種の憐憫を覚えていた。
「智くん……?」
「うわっ! ごめん。つ、つい」
目の前にあったセシルさんのふつくしき御尊顔に驚き、反射的に身体を離した。
「はは、謝るのは私の方だろうに」
「そ、そうかもね。はは」
クスリと笑うセシルさん。
「すぐに謝るクセは直した方がいい。人間が軽くなるぞ」
「軽く?」
「ああ。謝ってばかりの人間は大概の場合、自分か他人のどちらか、もしくはその両方を諦めている。自分に自信がないか、他人はどうせ分かってくれないだろうという諦念の現れなんだよ。ゆえに早々に謝罪を入れやり過ごそうとする。それが懸命、大人の対応だのと理由をつけてな。私にしてみれば魂を売っているのとなんら変わらん。もっと自分を大事にしろ」
「うん……そうだね」
「私の好きな智くんをあまり軽んじないでくれたまへよ。もちろん明確に悪いことをした時はちゃんと謝るべきだがな」
母さん、僕の彼女はこんな感じで実に頼もしいです。でも一つ言い訳させてください。慣れてない男の子は女の子に触ると反射的に謝っちゃう生き物なんです! メソポタニアの文献にも書いてありました! 嘘!
「セシルさん、一個聞いてもいい?」
「なにかな?」
「いやたいしたことじゃないんだけど、そのぉ怒らないでほしいんだけどぉ、まぁ別にどっちでもいいことなんだけどぉ、一応聞いておいても損はないというかぁ、そこまで気にしてるわけでも」
「予防線多いな! はやく言いたまえ」
「いやね、不可抗力的におっぱい揉んじゃった時は『ありがとう』と『ごめんなさい』どっち先に言うべきなのかなって」
「しょうもなっ! まったく、君って男は……」
いやいや、案外大事なことですぜセシル嬢。ラッキースケベ遭遇時の最適解は全ラブコメ脳男子の気になるところなのです。
「謝った方がいいに決まっているだろう……私以外にはな」
「え? なんて?」
「なんでもない。早く部屋に案内してくれ」
ぐいぐいと背中を押されながら仏間を後にする。
なるほどな。難聴系主人公のコツが分かってきた僕であった。
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