16. 三つ巴と感覚Y
風、土、雲、そして空。
自然がいい感じに調和した人気のない校舎裏。そんな告白スポットと呼ばれるのも納得のエモエモノスタルジー空間で、今、一人の少女が喧嘩を売っていた。
彼女の名前は東城彩奈a.k.aショーペンアヤナー。翠麗学園のアイドルであり僕こと鳳智a.k.aファンタ君(中学時代ファンタをがぶ飲みしてたのを女子に見られてつけられたあだ名)の幼馴染だ。
対するは千年の時を生きる(予定の)吸血鬼、セシル=カプチュッチュ=ブラディールさん(年齢不詳)。
『アンタに智は絶対渡さないから!!!』
僕の聞き間違いでなければ、たしかに彩奈はそう言った。セシルさんに向け、僕の目の前で。
なるほど、つまり……どゆこと?
僕は頭上に形而上のハテナを浮かべながら首を傾げる。顎に人差し指を添えるのも忘れない。僕がフリーズしているのをよそに、二人の会話が進んでいく。
「渡さないと言われても、智くんは君のものではないだろう? それどころかすでに私の恋人だ。君も知っているはずだろう?」
「ええ。形式上はね」
セシルさんの眉がぴくりと動く。
「どういう意味かな?」
「あなたと智の心は、まだ通じ合っていない。そうでしょ?」
「だとしても君が私から智くんを奪い取る理由にはならないだろう? それとも、君は智くんと通じ合っているとでも?」
「う……それは……」
セシルさんの反駁に顔をしかめたじろぐ彩奈。
「確認なんだが、君は智くんのことが好きなのかい?」
押し黙る彩奈。風がやみ、空気が重くなっていく。彩奈と目が合う。
それは、久しぶりにみる笑顔だった。
人気者としての
僕しか知らない、ほんとうの彼女の笑顔。
「好きだよ。私は、智のことが好き。あなたが出会うずっと前から」
「彩奈……」
「智は黙ってて。今はセシルさんと話したいの。話さなきゃいけないの」
「アッハイ」
ここまで言われれば流石に分かる。今がどんな状況なのか。なので言われた通り、おとなしくなりゆきを見守ることにした。神様のばかやろぉ……。
「そういうわけだから、私は智を必ずあなたから奪います」
セシルさんはやはり動じない。
「奪うときたか。自分の言っていることが分かっているのかい?」
「自分でも最低だと思うわよ。けど引けないの。私の方がずっと智のことを愛してるから」
「心外だな。まるで私が愛していないみたいじゃないか。私より愛していると、どうしてそう言い切れるのかな?」
「私は何年も前から片想いし続けてきたからよ。そうやって温めてきたこの気持ちが、ぽっと出のあなたなんかに負けるはずないわ。あなたが智と知り合ったのは最近でしょ?」
「愛の強さと期間の長さは比例しないと思うがね。確かに君の方が智くんについて知っていることが多いのは事実だろう。だが、私はこれからそれに追いつき、追い越してゆくつもりだ。悪いけど邪魔はさせないよ」
切り込む彩奈に一歩も引かないセシルさん。
緊張感が増していく。
「あなたがなんて言おうが、智は渡さない」
「智くん。彼女はこう言っているが、君は彼女をどう思っているんだい?」
二人の視線が僕に向く。
まぁ、そうなるよね。結局この話は僕の感情なしでは成り立たない。恋愛ゲームなら選択肢が出てきそうな局面。答えによってはこの先の運命を変えてしまうような分水嶺だ。
彩奈が僕のことを好きだったのには驚いたけど、ようやく整理がついてきた。
落ち着いて考える。僕にはセシルさんという彼女がいて、彩奈はそれが気に入らなくて僕を奪い返したい。これは、セシルさんと別れて自分と付き合って欲しいという意思表明で間違いない。
そのうえで、僕が彩奈をどう思ってるかだって? 決まっている。
「彩奈のことは好きだよ、幼馴染としてね。最近は疎遠だったけど。僕は僕の意思でセシルさんと付き合うって決めたんだ。だから今は彩奈に言われてもセシルさんと別れるつもりはないよ」
本音を言った。重要なことを決めるのに大切なのは本音なのだ。人は後悔せずにはいられない生き物だから、せめてその後悔に嘘をまじえないように。たとえ今この瞬間、彩奈を傷つけることになったとしても。
「さすが智くん♪ どうだい? 彼はこういっているが」
上機嫌に笑うセシルさん。
「分かってるわよ、智が私のこと好きじゃないことくらい。だからこれは宣戦布告なの」
「ふむ。なるほどな」
セシルさんが微笑み口調で頷く
……なんか楽しんでません?
「智」
彩奈が僕に近づいてくる。胸ぐらを掴まれひっぱられ、そして――――
「これが、私の気持ち」
頬に触れる柔らかな感触。
「やってくれたな」
ついにセシルさんの声にも敵意が滲む。大丈夫これ? 彩奈殺されない?
しかし彩奈は強気に笑うと、内心穏やかではないであろうセシルさんに向き直った。
「今すぐには無理でも、必ず智に私を好きにさせてみせる。アンタには負けないから」
彩奈はセシルさんに右手の甲を向け、中指をピンと突き立てた。これには流石のセシルさんも苦笑いである。
「えっと、二人とも仲良く……」
「無理ね」
「できんな」
ですよねー。野暮なこと聞いてすんません。
ああ、なぜ僕の周りにはアルファ・フィメールとして将来有望な女子達ばかり集まってくるのだろう。一人くらいちっちゃくておっきくて(何がとは言わんが)気弱な小動物みたいに懐っこい子がいてもいいのに。もしくはおっきくておっきくて(何がとは言わんが)包容力がある淑やかな女性でも可。
もちろん二人とも僕なんかには勿体無いほどの美少女だ。多くの生徒から羨望を集めている彼女達に好意を寄せられているだけでも、僕は幸せなのだろう。まさにリア充。なのに、僕はどうしようもなく、未来に怯えている。ラブコメの主人公が優柔不断な理由が分かる気がする。
きっと彼らだって、本当のハッピーエンドを望んでいたはずなのだから。
「用はすんだわ。それじゃ、これからよろしく、セシルさん」
彩奈はお得意の
「――話は聞かせてもらいました!」
闊達な声とともに現れたのは、先日重度のブラコンであることが発覚した我が妹、鳳澪であった。
「お前っ、なんでここに!?」
「そこを通ったら、たまたま兄さんがいる気配がしてきてみたの。そしたらまさかこんな事になってるなんて……」
恐るべしブラコンセンサーである。
「澪ちゃん……」
彩奈が気まずそうな表情で澪を見る。そういえばこの二人ってどういう関係なんだ? 昔は三人で遊んだりもしたけど、僕みたいに疎遠になってたわけじゃないのかな。
「やっぱり彩奈さん、兄さんのこと好きだったんですね」
「……うん」
「まぁ、分かってましたけど。この際なんで言っておきます。私、鳳澪は、兄、鳳智を愛しています。それはもうギャラクシー規模で」
彩奈が戸惑ったように言う。
「愛してる……って、え? 兄としてじゃなくて?」
「違います。ぶっちゃけ男として見てます。はい」
口を開けたまま固まる彩奈。どうやら澪の気持ちまでは知らなかったようだ。
「ふふ、なかなか面白くなってきたな。智くん」
いやいや愉快に笑ってる場合じゃないですよセシルさん。あなたの彼氏を狙うアルファ・フィメールがまた一人増えたんですよ。正妻の余裕かましてないで少しは焦ってください。それか「智くは渡さないぞ☆」って感じでさっきみたいに腕に抱きついてきてください。顔でも可。
「そういうわけで、申し訳ありませんがあなたたちに兄さんは渡しません」
「参ったね。まさか智くんがこんなにモテモテだったとは」
「セシル先輩はこれ以上兄さんをたぶらかすのやめてください」
「人聞き悪いな。たぶらかしてなどいないさ。イチャイチャしてるだけだよ」
「イチャイチャもしないでください!」
「なぜだい? 私と智くんは恋人だ。たとえ妹であろうと邪魔する権利はないはずだろう?」
「あなた達の愛は偽物です。兄さんもラブコメごっこはもういいでしょう?」
おそらく、この中で家族である澪が一番僕のことを理解している。そんな澪が言った"ラブコメごっこ"。はは、なかなかに痛烈な皮肉じゃないか。
うん、確かに。確かにそうだ。セシルさんは吸血鬼で、僕の血が好きで、僕はセシルさんが可愛いと思っていて、運命的な出会いにトキめいて、ただ、それだけ。それが恋人みたく振る舞ってるだけ。純愛とは呼べない。ラブコメであって恋愛じゃない。そんな関係。いつか本当の恋人になれたらなんて、希望的観測に甘えているだけ。
吸血鬼のことは知らずとも、澪はそのことを見抜いているのだ。
ガワだけで実が伴っていない。
故に――"ラブコメごっこ"。
澪だけじゃない。
彩奈も薄々そう思っているのだろう。目を見れば分かる。なにかくだらない物を見るような、そこにひとつまみの憐憫をまぶしたような、そんな目だ。
「澪、彩奈」
そうだな……今度は僕が素直にならなくちゃいけない時か。
僕なんかのことをこんなにも考えてくれていた二人と、何よりセシルさんとのこれからのためにも。まったく、とんだ勘違いだよ。
「二人は、僕がただラブコメをしたいだけだと、そう思ってるの?」
「ええ、もちろん」
即答である。その横では彩奈も首を立てに振っていた。
「僕はね。本当の幸せが何かを知りたいんだよ。そのためには真実の愛が必要なんだ」
「真実の愛ならここにあるじゃない」
澪が自分に向け親指をさす。
「ぼくにとってのラブコメとは、そういうもんさ」
「無視しないで!」
ぷんすこ! と怒る澪、なんとなく神様っぽくて可愛い。
「うまく説明できないんだけど。セシルさんとなら、見つけられる気がしてるんだ」
きっと僕の言いたい事は半分も伝わらないだろう。それは『箱の中のカブトムシ』のようなものだ。哲学者ウィトゲンシュタインが言語で表現できない感覚の説明に用いた思考実験。
あるグループでそれぞれ自分しか覗く事ができない箱を持っていたとする。みな自分の箱の中身はカブトムシだと思っているが、みなに同じ中身が入っているとは限らない。みんなの箱の中身が"同じカブトムシ"なのかどうかは誰にも分からないからである。カブトムシという単語は共通でも、それの意味するところは異なる可能性があり、自分にとってのカブトムシは自分しか知り得ないものだからだ。
同じように、感情を言葉で表してもその本質は自分にしか知り得ないのである。
同様に、僕のセシルさんへの感情は僕にしか分からない感覚であり、言葉では語りえぬもの。そうだな、感覚Yとでも名付けようか。僕はこの感覚Yを信じてセシルさんを選んだ。選ばされたのではない。選んだのだ。誰にも否定はさせない。たとえ僕を好きだ言う妹や幼馴染であろうとも。
「澪ちゃん。今は何を言ってもダメよ。完全におっぱいに目が眩んでるから」
「おいおい聞き捨てならないなってか僕の話聞いてた?」
「そうね。でも、そのうち必ず兄さんの目を覚まさせてみせるわ。せいぜい今のうちに楽しんどくことね」
「無視しないで!」
ぷんすこ! と僕は怒る。あれ、おかしいな。全然可愛くならないんだけど。
その時、予鈴がなった。いつ白熱してもおかしくなかった雰囲気が一瞬でしらける。
そろそろ教室に戻らなくてはならない。みなそれぞれ意思表示を果たし満足したのか、もう特に話す事も無さそうだった。一旦お開きの流れ。最後にセシルさんが言った。
「私からもはっきり言わせてもらおう。悪いが君たちに智くんを渡す気は1ミクロンもない! せいぜい頑張りたまえ! ふははははははははははっ!!」
ラスボスみたいになっちゃってますよ。ほんと、掴みどころのないカノジョです。
感覚Yが告げる。
まぁ、そういうところもかわいいんだけどね。
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