14. 吸血姫とラノベ


 古来より、妹に起こされる朝より尊い幸せはこの世に存在しないと考えられている。一説によると、17世紀の劇作家、クリストファー・マーロウはこれに対し「いや、姉でしょ」と異を発したことで、当時の過激派宗教団体に目をつけられ暗殺されたと言われている。無論、嘘である。


 けたたましいアラームの音で目を覚ました僕がどうしてこのような無意味かつ馬鹿馬鹿しい想像に脳のリソースをさいているのかというと、『朝起きたら妹が自分を抱き枕変わりにして寝ていた』という事実を冷静に咀嚼し飲み込むためである。妹に起こされることを一種の幸福とするならば、妹に抱き枕にされるなんてのは一発で天国直行便エクスプレスに乗るような至福の悦楽であろう。


 と、思うじゃん?


 それは、特に二次元に対し強い憧憬を持つ僕にとって、もはやコペルニクス的転回であった。実際に体験すると、思ったよりいいものではなかったのだ。二次元における理想が必ずしも三次元にも当てはまるとは限らないということを、僕は今まざまざと体感していた。

 当然と言えば当然である。だって妹だもの。それも実妹だもの。

 

「……ん……んん……兄さん……? おはよう……」


 僕の腰に腕を巻き付けたまま、澪がうっすらと目を覚ました。

 すりすりと胸に頬ずりをしてくる。


「澪、なんで僕のベッドで寝てるの?」

「そうしたかったから。兄妹が一緒に寝るのは普通でしょ?」

「普通じゃないよ。子供のときならともかく、僕たちもう高校生なんだから」

「いやなの?」


 ちょっぴりさびしげな瞳。

 僕のシスコン魂(略してシスコン)に火が灯った。

 

「いやじゃないよ。澪がそうしたいなら構わないさ」


 ああまったく、僕ってやつは……。


「おはようのちゅーは?」

「それはしない。兄妹だからね」


 僕の澪への愛情は家族ないし兄妹としてのもの。一線は超えられない。ごめんね。


「残念。まぁいいわ。いつかキスしたくなるほど好きになってもらうから」

「あはは」


 真面目な話、その可能性はないとも言い切れない。

 "ウェスターマーク効果"という心理現象がある。幼少期を一緒に過ごしてきた相手には性的興味を持ちにくくなるらしい。つまり実妹義妹問わず、共に育った時点で恋愛対象からは外れるということだ。


 ここで面白いのが、ウェスターマーク効果は近親姦を抑制するためにある心理現象だが、血は繋がっていても幼少期を一緒に過ごしさえしなければ、普通に恋愛対象になってしまうらしいのだ。実際、実の父親と知らずに自然と出会い恋人になっていたり、生き別れの姉を好きになって告白してしまった例などがあるって話だ。

 つまり血の繋がりの有無自体は恋愛感情には関係なく、事実澪が僕を好きなように、僕がこのさき澪を好きにならないとは限らないのである。QED!証明完了っ! 


「二度寝しちゃだめよ。んまっ♡」


 投げキッスを飛ばしてくる澪。


「大丈夫だよ、おかげで眠気ふっとんだからね」

「そう。ならよかった。んまっ♡」

「…………」

「……んまっ♡」

「何回やるんだよ!」

「兄さんが求め続ける限り、永遠に」

「もう充分だよ。てかなんで僕が頼んでるみたいになってんの?」

「ふふ、冗談よ。それじゃ先リビング行ってるから、んーーーーまっ♡」


 澪は最後に渾身のモーニング投げキッスをして部屋を出て行った。

 僕は自分の頬をつねるという非常に古典的な方法でここまでの一幕が夢ではないことを確認。いてっ。夢じゃなかった。ベッドに残っている澪の香りと温もりに多少の名残惜しさを覚えつつも、僕は今日という一日を始めるべくベッドから起き上がるのだった。



 ◇◆◇◆◇

 


 文学とは、この現実世界において唯一屁理屈が正論を論破できる学問である――鳳智(現代日本の一般学生)


 

 物語や表現の世界には、あまり社会が肯定できないような思想や事柄、概念が通俗的な美として落とし込まれている場合がある。

 それは既存の価値観や先入観すら破壊できるほどの威力を持ち、心を犯す病原菌にもなれば、救いへと導く処方箋にもなりうるのだ。

 他にも人によっては逃避であったり、希望であったり、人生バイブルであったりするだろう。ならば僕にとってラブコメとは、"魂の隠れ家"とも呼べるのかもしれない。


 そんな文学に対する一角度からの超個人的見解を名言っぽくノートに記してみたわけだが、なかなか良い。別に真理だとも思ってないけど。やはりこう見るとなんか説得力ある感じする。多分なんでもいけるコレ。



 なんでも名言風にすればそれっぽく聞こえるものだ――鳳智(二十世紀最大の凡人)



 って感じでね。偉人の名言とかだってよく見れば普通のこと言ってたりするものさ。だから正しいかどうかより共感できるものだけ信じればいい。ってゆーのが僕の持論である。


 現代文の先生が急用で抜けてしまい自習になった教室内。真面目に自習する生徒は一部で、皆近くの友達とおしゃべりを初めている。かくいう僕も早々に勉強を切り上げ、読書にでも耽ろうとカバンからラノベを取り出した。もちろん革製のブックカバーをつけて表紙は隠している。ラノベを読む時も極力スカした表情と姿勢を心がけ高尚な文学読んでます感は醸しておく。マナーですよマナー。体裁は大事だからね。ふふふ。

 すると隣の席から可愛くてかっこよくて知的で優しくてノリよくてエロくて吸血鬼で巨乳で巨乳な欲張りセット系彼女、セシルさんが話しかけてきた。


「何読んでるんだい?」


「野暮なこと聞くんじゃありませんよこのスットコドッコイがぁ!」と、凡百の女子相手なら強気に出ているところだが、セシルさんの興味津々そうな顔をみた瞬間すべてが許せてしまい、


「普通のライトノベルだよ(笑)」


 と、嫌われないよう僕お得意の下位カーストスマイルを炸裂させた。

 さっきは『オレ、女にも強く行けっから! マジ男女平等だから!』的な拗らせ中学生スタンスで女子の目気にしてないアッピルしてすいませんでした。僕だってカッコつけたい年頃なんですよ一応。


「ライトノベル……とはなんだい?」


 おや。どうやらセシルさんは日本のサブカルチャーには疎いようだ。

 

「簡単に説明するとアニメっぽいイラストがついていて漫画的なストーリーで書かれている小説のこと、かな? 若者向けって言われるけど最近は大人の読者も多いみたい。一般文芸よりセリフや改行が多くて読みやすいのも特徴だね」

「なるほど、ちょっと読ませてくれ」

「え」


 普通のファンタジーならともかく、今僕が手にしているのはゴリゴリのラブコメディ(微エロ有り)だ。正直女の子に読ませるのはちょっと気が引ける。いやね、別に趣味を隠そうとしたいわけじゃないんだけどね。セシルさんがこれを読んで「へぇ〜。智くんこういうの好きなんだ〜(ニヤニヤ)」とからかってくる未来が容易に想像できて恥ずかしいのですよはい。

 

 くそ、油断したっ。こんなことならもっと万人受けするの持ってくれば良かった! 不肖鳳智、一生の不覚っ! 


「オワッタナ」


 後ろでマイケル君がぼそっと呟いた。

 僕は心の中で「ソウデスネ」と返し、潔くセシルさんに本を渡す。そして最初のカラーページを開いた。

 

「ふむ、なかなかかわいいイラストだな」


 セシルさんはそのまま本文を読み始めた。

 読書する姿も板についている。少し経つと、ページをめくるたびに伸びる白い指が、目尻にたれる煌びやかな銀髪をかきあげ耳にひっかけた。そこからこぼれ落ちた毛先が頬に細長い影を落とすが、そんな未練がましい髪の毛にも構う素振りすら見せず、その視線はただひたすらに目の前の文字列を追っていた。

 

 ものすごい集中力だ。「どう?」と話しかけるのさえ憚られるほど小説の世界に没入しているのが伝わってくる。

 手持ち無沙汰となった僕の視線が、突如謎の引力によってセシルさんの女子高生離れした発育を誇る二つの果実に引き寄せられた。仕方ないので、それが制服の胸元を猛烈に押し上げているのを眺めながら――弾けろ! と念じる遊びに興じることにした。


 制服のボタンが弾けないままチャイムが鳴り、セシルさんが瞼と共にそっと本を閉じた。まだ三分の一も読めていないはずだが、それなりに満足したような表情を浮かべている。

 

「智くん……」


 セシルさんが僕の方を向く。

 やはり幻滅されたか……? 

 そう思い弁解の言葉を考えようとしたが、セシルさんの反応は予想外のものだった。


「これ、よかったら貸してくれないかい? もちろん君が読み終わってからでいいよ」

「別に構わないけど、いいの? どちらかと言うと男性向けだと思うんだけど」


 どちらかと言わなくても男性向けである。


「いいよ。むしろ新鮮さを感じるし、これはこれで面白い」

「そ、そっか。変わってるね」


 女子からすればこの手の作品は生理的嫌悪を催すものだと思っていたが、案外違うのかもしれない。少なくともセシルさんからはそんな気配は微塵も感じなかった。


「それにね、好きな人と同じ本を読むと、なんていうか、思考の一部を共有できた気分になるんだ。また一つ君を理解できた気がするよ」

「もうっ! またそんなこと言って! 言っておくけど僕はこの手の作品を数え切れないくらい見てきてるからね! こんなんラブコメ界の浅瀬だよ浅瀬」

「ほう。それは興味深いな。では是非見せて欲しいものだね、ラブコメの深海ってやつを」

「それじゃあ今度おすすめなの持ってくるよ」

「その必要はない」

「え?」


 やっぱり興味なかったのかな。僕を傷つけまいと引いてないフリしてくれてたのかも。だとしたら気を使わせてしまった。反省。


「私が智くんの家にお邪魔した方が確実だと思わないかい? 本はフィーリングも大事だからね。君がおすすめしてくれた中から私が気になるのを選ぶよ」

「たしかに、ナイスアイディーアっ♪ って僕んち!?」


 思わず大声がでてしまい、あわてて口を押さえる。周囲の視線が痛い。ただでさえセシルさんの彼氏として男子からは妬まれてるのに……。


「ああ、だめかな?」

「まぁ……いいけど……」

「おお! それじゃ早速今日お邪魔するよ!」

「今日!?」

「ああ、だめかな?」


 うっ……。


 ねだるような上目遣い。セシルさんが僕の部屋に……僕のベッドに……いかんいかん、いかがわしい妄想をしてる場合ではない! こんなことなら部屋ちゃんと片付けておけばよかった!


「智くん?」

「う、うん! いいよ。いいに決まってるじゃないか! いつでもウェルカムだよ! ウェルカムアゲインだよ!」


 結局オーケーしてしまった。彼女のお願いだから仕方ないね。

 ところで問題は……澪か。

 僕が彼女を家に連れ込んだと知って黙っているとは思えない。面倒な事にならないといいけど……。


「おお! よかった! 放課後が楽しみだよ」

「はははっ、僕もだよ」

 

 喜ぶセシルさんのおっぱいがぽよんとはずむのを見て僕は悟るのだった。



 やっぱりおっきなおっぱいは最高です――鳳智(令和初期の変態紳士)




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