10. 放課後デートⅣ


 それから交代で数曲を歌い、少し疲れてきたので休憩することにした。といってもセシルさんはピンピンしてるけど。

 僕的にはセシルさんの歌声なら永遠に聞いていられるので連続で歌っててもらっても構わないのだが、セシルさん的にそれは違うらしい。一緒に楽しむことに意味があるんだそうだ。そりゃそうか。

 

「そういえばセシルさんって最近日本に来た割にはいろんな曲知ってるよね? イギリスでも聞いてたの?」


 僕の質問に、セシルさんは一口水を飲んで答えた。


「いや、結構前から日本で暮らしてたよ。学校には嘘をついている」

「え、じゃあ日本とイギリスのハーフっていうのも?」

「それは本当。吸血鬼だからね。裏で色々手回してるんだよ。ふふふ、怖いか?」

「吸血鬼の時点で怖いよ。でも可愛さが上いってるから大丈夫」


 セシルさんは急に頬を赤くして俯いた。

 

「そういうふいうちは……ズルい」


 そういう反応の方がズルイゾ! こっちまで恥ずかしくなるんですけど。

 思ってたけど、意外と表情豊かなんだよねこの子。そんなところもかわいいです。

 

「セシルさんならかわいいとか言われ慣れてそうだけど」

「そういう問題じゃないんだよワトソンくん! 好きな人に言われるのは別なんだっ」

「そっ、そっか……そうなんだね」


 その好きは、まるで本当に好きな人に向けて言う好きではないか。

 セシルさんの僕への好意は、血が美味しいから。この前提の上に成り立っているはずだ。ならその好きという言葉に実はない。


 そうだ、僕は疑っているのだ。セシルさんが僕に恋しているのかどうか。理屈と感情の整合性が取れないことに、不安を抱いている。それは僕自信に対してもだ。

 あの時僕は、血が好きという理由は恋愛感情には結びつかないと偉そうにのたまったが、じゃあこの気持ちは、ちゃんと恋愛感情たり得るのだろうか?


 僕は自分自身の感情にさえ、確信がもてていないのだ。


「智くん……」


 セシルさんと目が合ったまま、無言になる。

 そのまま数秒間見つめあっていると、あら不思議。なんかロマンチックなムードが漂いはじめたではありませんか! この現象って人間だけ? 他の動物にもあるのかな……後で調べよ。

 

「セシルさん……」


 引き寄せられるように顔同士の距離が縮まってゆく。

 高鳴る鼓動。浅くなる呼吸。

 唇が触れる直前、心臓が鉛を入れられたように重くなった。


 本当に、これでいいのか?


 キスをすれば、分かるのだろうか。

 それは、正しいのだろうか。

 気持ちが曖昧なまま、僕たちは恋人らしいことだけをし続けて、それで、いいのだろうか。

 

「迷っているね」

「っ」


 僕の心を見透かしたように、セシルさんは言った。一旦顔を遠ざけ、冷静になる。

 セシルさんが言わなければ、あのまま流されて唇を合わせていたかも知れない。

 失格。ラブコメの主人公失格だ。


 人の理性とは脆いものだ。それは世界中のあらゆるスキャンダルが証明している。頭では理解していても、誘惑に抗うことができない。たとえそれで、すべてを失うことになるとしても。

 僕は今、僕にとって一番大切なものを捨ててしまうところだった。

 

「ごめん」

「あやまることはないよ。むしろ嬉しいくらいさ」

「嬉しい?」


 セシルさんはただ穏やかな瞳で僕を見据えている。その温情がどこかうしろめたくて、僕は俯いた。


「それだけ私のことを真剣に考えてくれているということだろう?」

「それは……そうかもしれないけど……」

「もちろん残念な気持ちもあるけどね。だって私は、智くんが大好きなのだから。やはりこの感情は本物だよ。いつか伝わるといいな」


 そう言って、セシルさんは優しく微笑んだ。

 敵わないな。そう思った。


「必ず納得させてみせるよ。楽しみにしていたまえ」

「うん」


 薄々感じてはいるんだ。きっとセシルさんは、本当に僕のことが好きなのだと。歪な始まり方に、僕が勝手に翻弄されてるだけなんだと。これは、僕の問題だ。僕自身が、恋とは何かという命題に答えを見つけなければならない。彼女のためにも。


 ラブコメはもう始まっている。あとは終わるだけ。すべては主人公次第。責任重大だ。でも投げ出したりなんかしないよ。向き合うんだ。


 あのを果たすためにも、ね。

 

 

 部屋のインターホンがなった。出ると、残り時間十分のお知らせだった。

 

「最後に一曲。歌っていいかな?」

「うん。聞かせて」


 セシルさんはマイクをとり、曲を入れた。

 その曲は最初に歌っていた曲と同じ歌手のものだった。

 

「アンサーソングさ」


 それは、化け物の少女の恋人視点の歌詞だった。


 少年は山奥の廃墟で少女と出会い恋をする。

 月日は流れ、自分だけが老化し、少女だけを残し、その生涯に幕を下ろす。だが、彼の魂がこの世を去ることはなく、一人で生きていく少女を見守りながら、彼は悲しむ少女にもう自分が寄り添ってあげられないことを嘆き続ける。やがて少女は自分との思い出を糧に前向きに生きはじめ、その姿を見て安心した彼の魂は成仏し、神様の御配慮によって、あの世で再び少女と再会する。

 

 セシルさんの歌唱が終わる。


「いい歌詞だね」

「ああ。でも悲しい歌詞だ」

「……そうだね」


 ハッピーエンドと言えばそうかも知れない。

 終わりよければすべて良し。本当に?

 もし僕が少女だったとして、恋人の魂が死してなお悲しみ続けるとしたら、きっと耐えられないだろう。


 喜劇と悲劇は両立する。客観か主観かの違いで、物語の本質は大きく変化する。だから大切なのは、本音なんじゃないだろうかと僕は思う。結末なんて神のみぞ知るだ。何が最善かなんて、その時になって初めて分かるもの。


 もし人生が一つの物語だったとして、

 いつかそれを読む誰かが、

 こんなふうに生きてみたいと、

 そう思えるような主人公に、

 僕はなりたい。


「そろそろ出ようか」


 セシルさんが立ち上がりながら言った。

 この人は吸血鬼として、どんな人生を送ってきたのだろう。これから先、どんな人生を送りたいのだろう。


 ――君はその赤い瞳で、どんな世界を見ているの?


 その問いは今はまだ聞かないでおこうと思う。聞いたところで答えてはくれない気がしたから。

 セシル=カプチュッチュ=ブラディールという名の吸血鬼は、やはり僕にとってまだまだ遠い存在だ。少し悲しいけれど、今はまだ途中なのだ。だから僕は目の前の最善を尽くし続ける。


 いつかくるかも知れない、最高のハッピーエンドを願いながら。

 


 ◇◆◇◆◇


 

 カラオケを出た僕たちは、そのまま小田急線に乗って四駅進み、同じ駅でおりる。


 夕暮れの街を二人で歩く。

 駅前を過ぎるとすぐに田んぼ沿いに畦道が続いていて、この町が田舎だと実感させられる。


「それにしても、同じ街に住んでるなんてね」


 まぁ、あの公園で寝ていた時点でその可能性はあると思ってたけど。


「すべては必然なのさ」

「はは、確かにそうかもね」


 たあいもない会話をしていると、曲がり角でセシルさんが言った。

 

「それじゃ私、こっちだから」

「送っていこうか?」

「いいよ。もうすぐそこだから」

「……そっか」

「そんな寂しそうな顔をしないでおくれよ。また明日会えるじゃないか」

「そうだね。ごめん」


 ちょっと残念だけど仕方ない。それに、会えない時間があるからこそ、会えた時の喜びも大きくなるのだ。そう考えるとさよならも悪くないと思った。


「じゃあね、智くん」

「うん、じゃあね、セシルさん」


 セシルさんが手を振り去ってゆく。


 僅かばかりの寂寞せきばく


 心だけが、遠ざかっていく彼女の背中を追いかけていった。

 


 …………


 ……



 シャン――と、どこかで神楽鈴が鳴った。



「めずらしくセンチメンタルになっておるではないか、少年」



 甘く幼い声に振り向くと、そこにいたのは赤い着物を身に纏った小さな女の子だった。おかっぱに切り揃えられた真っ直ぐの黒髪。くりっとした瞳で妖しく微笑むその顔は、七年前から少しも変わっていない。


 そう、僕は彼女を知っている。

 まぁ、そろそろ現れる頃だと思ってたけど。

 僕は軽く微笑み言った。


「久しぶりだね、

 




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