9. 放課後デートⅢ


 部屋の前まできたところで、両手が塞がってドアノブを掴めないことに気づいた。

 コップの中身を溢さないようにノックすると、少しして手前にゆっくりとドアが開いた。

 

「おかえり、遅かったね」

「ちょっとシアノバクテリアの偉大さについて考えてたらボーッとしちゃって」

「はは、確かに私たちが生きていられるのは彼達のおかげだからね」


 よく知ってるな……。

 僕の彼女は想像以上に博識なのかも知れない。


 部屋の中に入り、テーブルにコップを置く。

 僕はセシルさんの隣に腰を下ろした。

 屋上の時の比じゃないくらい緊張する。狭い部屋に男女が二人。そりゃエロい事したくなりますわ(笑)

 

「セシルさんは、よくカラオケ来るの?」

「よくってほどではないけど、たまにね」


 ふーん。って、セシルさんが日本に来たのって最近じゃなかったっけ? まぁいいか。

 

「僕は久々だからなんか緊張しちゃうよ」

「智くんがどんな歌を歌うのか、気になるな」

「一応十八番おはこはドン・キ・◯ーテのテーマかな。般若心経も歌えるよ」

「……本気で言ってる?」


 セシルさんの怪訝そうな顔、いただきました!(※カラオケに心経は本当にあります)


「冗談だよ。普通にJPOPかな」


 実はHIPHOPも好きだけど歌わされそうなので言わないでおく。

 イェーイェー!

 今日は彼女とデートォ!

 最近のカラオケは高性能ォ!

 高宮は低脳ォ! 

 おっと! いけないいけない。ノリでディスっちゃった。ごめんね高宮さん。でもどうせ君達も僕の悪口言ってるんだし、お互い様だよねってハナシ、メーン!


 ……悪ノリはこれくらいにしてっと。


「なに歌うか決まってるの?」

「まぁね。智くんは?」

「決まってるよ」

「なら先歌っていいよ。私は、上手いからね」


 セシルさんはキメ顔でそう言った。たいした自信だ。確かに上手い人は後に歌うべきという風潮に従えば僕が先だろう。

 ということでデンモクを操作して、定番の曲を予約した。軽くマイクチェックをして、伴奏が流れ始める。


 歌は心だ。心無き歌に人は心を打たれない。教えてあげよう。技術の先にある、真の歌唱というものを! このラブソングに乗せて――――




 歌唱終了。


「なんだ、結構上手じゃないか。やるね」


 パチパチと小さく拍手をしながら讃えてくれるセシルさん。

 チェ、泣かせるまでには至らなかったか。次はもっと練習しとこ。

 

 セシルさんがマイクを持ち立ち上がる。

 それでは聞かせてもらおうか。ご自慢の歌声を。


「智くん。実を言うと最初に歌う歌はとっくに決まっていたんだ。これを聞いて欲しくて、カラオケに誘ったんだよ」


「そうだったんだ」と言った僕の声は、流れ始めた伴奏にかき消された。

 聞き覚えのある曲だ。音楽番組で見たことある、確か10年以上前に亡くなった当時有名だった歌手の代表的なバラード曲。

 イントロが終わり、セシルさんが胸に手を当て、歌い始める。


「っ」


 上手い、という言葉では到底表しきれないほどの歌唱力であった。一瞬、ここがカラオケボックスであることを忘れてしまいそうになった。

 透き通るよう玲瓏な声音が、幽玄な廃墟で歌う一人の少女を思い起こさせる。

 そこに咲き乱れる白百合の花。羽ばたく小鳥達の群れ。波の音。風の音。世界が音と言葉によってできた旋律なら、彼女の歌は世界そのものだろう。歌詞がスッと頭に入ってくる。意識せずとも、想像できる。永遠を生きる少女の悲しい恋の物語だ。


 人里離れて生きていた化け物の少女は、ある人間と恋をする。それでも好きな人はやがて自分より先に死んでしまうから、少女はまたひとりぼっちになってしまう。墓の中の恋人を想い続けながら生きる少女の気持ちを描いた、そんな歌詞だ。けれど、少女は恋人との思い出を糧に持ち直し、最後には自分が化け物であったことにも感謝し、その生涯を終え、恋人と同じ墓に眠るのだ。

 自分の人生は幸福であったと思いながら。


 セシルさんが歌い終え、伴奏が止む。

 頬につたう熱い感触。気づけば目から一筋涙がこぼれ落ちていた。


「どうだったかな? たいしたものだろう」


 セシルさんは誇らしげに胸を張った。

 

「うん。すごいよ。想像以上だった。感動した」

「ありがとう」


 素直な感想を述べる僕。セシルさんは満足そうに微笑んだ。けれど、その顔はどこか憂いをおびているようだった。

 僕は付け足すようにして言う。


「いい歌だね。セシルさんの声もだけど、歌詞やメロディも」

「ああ、一番好きな曲なんだ。誰かを愛することの素晴らしさを教えてくれる。なんだかこう言うとチープに聞こえてしまうね」

「そんなことないよ。本当に、素晴らしい曲」


 どうしてセシルさんがこの歌を僕に聞かせたかったのか、少しだけ分かった気がした。帰ったら原曲も聞いてみよう。


「さぁ! どんどん歌おー! 次は智くんだよ!」


 余韻を吹き飛ばすようにセシルさんは僕にデンモクを突きつけながら言った。

 

「いやもう少しこの感動を噛み締めさせてよ」

「君が望むなら私はいつでも歌ってあげるよ。たとえこれから世界が終わるとしても」

「はは、なんだよそれ」

「バンパイア流のジョークさ。智くんだってすきだろう? ジョーク」


 揶揄うように笑うセシルさんの顔をみてたら、つられてこっちまで笑ってしまう。


「分かったよ。それじゃあ歌います……ドン・キ・◯ーテのテーマ!」

「えほんとに歌うの!?」


 セシルさんの驚いた顔、いただきました!

 高宮さんには悪いけど、これが僕の守りたかった景色だ。

 ファウストよろしく時間を止めたくなるような幸福感を味わいながら、僕はマイクを持って歌うのだった。



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