3. 隣の席のセシルさん


 そうして新学期が始まり――





 一週間が経ちました☆



 早いって。凪の日常早いって。これじゃ快速急行卒業便だよ。すぐに終点ついちゃうよ。いやはや、特殊相対性理論恐るべし……。


 とまぁそんなわけで、気温意外何も変わらない学園生活が再開し、気づけば一週間が過ぎていた今日この頃。

 HR前の教室では、今日もあちこちで仲良い者同士が集まり談笑に興じていた。

 よくもまぁ毎日同じ相手と話してて話題が尽きないものだ。ちなみに僕の席はというと、窓際後方二番目。なかなかの好位置である。


 結局、あの公園で出会った少女と再会することはなかった。運命詐欺だよ運命詐欺。ひどいよね。ラブコメの神様はとんた薄情者だ。

 学校も、はじめの三日間こそ夏休み明け特有の話題と倦怠感で持ちきりであったが、そんな夏休み気分もとうに消え去り、いつも通りの雰囲気に戻っていた。


「つーかぁ、なんか今日転校生くるらしいよー。マジウケる」


 茫然と窓の外を眺めていると、右斜め前方から一際大きな話し声が聞こえてきた。

 半熟ギャルの高宮さんだ。半熟というのは僕の中で勝手に呼んでいるだけで、たいして都会でもない地方都市で最新のノリとオシャレに追いつこうとしている必死な様を皮肉った比喩である。本人に言ったら殺されるだろう。きっと柄の悪い年上の彼氏とかに拉致られてボコボコにされ路地裏に捨てられる。あーこわいこわい。関わらんとこ。


 半熟ギャル達の会話に聞き耳を立てていると、教室の入り口から流れるようなブラウンの髪を揺らす一人の少女が入ってきた。男子達の視線が自然と彼女のもとに集まっていく。


 彼女の名前は東城彩奈。我らが翠麗学園の所謂アイドル的存在だ。実は僕の幼馴染でもある。まぁ、中学の途中からほとんど疎遠なんだけど。


 彩奈はクラスメイト達と持ち前の愛嬌抜群の笑顔で挨拶を交わしながら廊下側後方二番目に着席した。そして瞬く間に集まってきた友人達と話し始める。

 くだけてはいるが感じのいい口調。

 無邪気さと上品さの両方を兼ね備えた笑い方。

 見事なまでに嫌味を感じさせない振る舞いに関心していると、ふいに彩奈と目があった。その瞳が「何見てんだよオメー」と言っていたもんだから、たまらず僕は目を逸らす。あーこわいこわい、関わらんとこ。

 

 しばらくして、チャイムと同時に担任のヨシコ先生が入ってきた。談笑中だった生徒達が自分の席へと戻って行く。

 HRがはじまり、出席を取り終えたところでヨシコ先生が言った。


「えー。今日から一人、転校生がこのクラスに加わります。入っていいわよ〜」


 その時、隣の席の川瀬くんが大声で叫んだ。


「キルキルキルキルキルキルキルキルキール! ウォゥウォ! ウォゥウォ!」


 M-1の出囃子を真似しているつもりだろうけどあまり似ていない。しかもドンズベリである。クラスに一人はいるんだよね。こういうイタタな目立ちたがり屋さん。関わらんとこ。


 おかげで微妙な空気になってしまった教室内。ガラガラと扉が開けられ、転校生が入ってくる。

 眼前に現れた少女の姿に、全員が息を呑んだ。

 月の光を編んだような艶やかな銀髪。絵の具を溶かしたような真紅の双眸。真っ直ぐに伸びた鼻梁も、ゆったり微笑む唇も、全てが精巧に仕立てられた人形ように彼女の麗質を物語っている。

 その瞳が僕を捉えた瞬間、僅かに見開かれたのが分かった。


 ――間違いない、あの子だ。


 僕は思わず「あーーっ! 君はあの時の!」ってよくあるセリフを叫びかけたが、恥ずかしいのでやめておいた。でも僕は彼女を覚えているし、彼女も僕を覚えている。そんな確信があった。まるで運命の再会だ。やるじゃん、ラブコメの神様。

 

「はじめまして。セシル=カプチュッチュ=ブラディールと申します。どうぞよろしくお願いします」

 

 しごく簡素な自己紹介。

 良いと思います! 余計なことは言わない派の僕には分かる。大勢の前で話すとき、緊張以上に失言をしてしまわないかと不安になるのだ。 

 

「セシルさんはイギリスと日本のハーフで〜、最近日本に引っ越してきたのよね〜」


 それにしてはずいぶんと日本語が達者に見える。イギリスにいながら相当勉強したのだろう。


「それじゃあみんな仲良くしてあげてね〜。それじゃあセシルさんの席は……あそこね」


 ヨシコ先生は、廊下側にある空いている席を指差した。彩奈の一つ前の席だ。

 ところがセシルさんは僕の方を向くと、こちらに向かって歩き出した。


「あれ? セシルさん? そっちじゃないわよ〜?」

「いいえ、こっちです」


 戸惑うヨシコ先生をよそに、セシルさんは僕の近くまでくると、隣の席の川瀬くんを見据えた。

 頬を赤くして戸惑う川瀬くん。


「キミ、名前は?」

「か、川瀬っす」

「下の名前は?」

「翔一……すけど」


 炯々けいけいたる瞳から一転。セシルさんは優しく微笑むと、語りかけるように言った。

 

「翔一くん。ひとつお願いがあるのだが、席を変わって貰えないだろうか?」

「え?」

「どうしてもここの席がいいのだ。頼むよ」


 セシルさんは目を合わせたまま前傾姿勢になって顔を近づけた。

 反射的にのけぞる川瀬くん。しかしその視線は彼女のたわわな胸元に釘付けになっていた。無論、僕もである。だが僕は横にいる猿と違って、全体を見ている。

 ワイシャツの隙間から覗く谷間の桃源郷。スカート越しでも分かる、腰のくびれから続くヒップラインの黄金律。ストッキングに覆われた程よい肉付きの太もも。


 全ての生き物が酸素にかつえているように、全ての男の子はみな女の子のムチムチボデーを渇望している。それを間近で見せられて目が釘付けにならない方がおかしいし、こんなことを真顔で考えている僕もおかしいのかも知れない。

 

「あっ、は、はいっ」

「フフ、ありがとう。翔一くん」


 半ば本能で頷かされた川瀬くんは、机の中を空にしたあと、廊下側の席へと移動した。

 セシルさんが着席し、ヨシコ先生が「まぁ、いっか〜」と言ってHRが再会する。


「これからよろしくね、エミネムくん」


 微笑むセシルさん。その奥では彩奈が「どういうことだテメー」と言いたげな瞳で、遠くから僕を睨みつけていた。あーこわいこわい、関わらんとこ。



 ◇◆◇◆◇



「イギリスのどこにいたのー?」

「彼氏とかいる?」

「趣味は?」

「普段何してるの?」

「好きなブランド教えてー」

「きのこ派? たけのこ派?」


 HRを終えた教室では、セシルさんが大勢のクラスメイト達に囲まれ質問責めにされていた。美少女転校生の宿命だ。

 その様子を横目で眺めていると、後ろから肩を叩かれた。振り返るそこにいたのは東城彩奈。珍しいこともあるもんだ。

 彩奈はニコニコ笑顔を浮かべたまま、顎を教室の外に向かってクイクイと動かした。表でろのサインである。

 


 連れてこられたのは人気のない階段の踊り場。

 彩奈は窓の淵に肘をかけ、やさぐれた表情を浮かべた。


「ちょーちょー智くんさー。なんなのアレ? なんでアンタがあんな英国系美少女と仲良さそうにしてるわけ? 隅に置けないどころの話じゃねーんですけどー」


 整った柳眉を顰ませ、友達と話す時より2トーンは低い声音で問いかけてくる彩奈の態度は、普段の清廉なイメージとはかけ離れたものだった。

 しかしこれこそが、本校のアイドル――東城彩奈の本性なのである。残念なことに。


 中学までの彩奈は、基本周りを見下してばかりいた性根の腐ったド陰キャだった。腐れ縁の僕以外、友達すらいなかったはずだ。それが今となっては学園のアイドルと呼ばれるまでに上り詰めた。


 生粋の捻くれ者が派手に高校デビューを成功させたツケはデカい。

 元々人間関係とかめんどくさがる彩奈のことだ、今の生活にはさぞストレスを感じていることだろう。そういう性分なのだ。

 そんな彩奈がなぜ高校デビューしようと思ったのかは謎だが、もしかしたら証明したかったのかもしれない。

 薄っぺらい人間関係の無価値さを。

 リア充が必ずしも万人に当てはまる幸福ではないということを。

 自分自身が陽キャになることで、本当の自分を肯定したかったのかもしれない。だとすれば大したものだ。きっと最善だ。そうあって欲しいと切に願う。あくまで憶測だけど。


「おう聞いてんのかコラ」

「聞いてる聞いてる。アレでしょ? シロナガスクジラ最強説の話でしょ?」

「殺すぞワレ」


 キッ! と睨まれた。けど慣れっこさ。彩奈は昔からこうなのだ。……嘘。やっぱちょっとこわい。


「冗談だよ。セシルさんとは偶然会ったことがあるってだけ。名前も知らなかったんだから。てか仲良さそうにしてたつもり無いんだけど」

「ふーん。ならいいけど」

「いいってなにが?」

「……チッ」


 舌打ち一人前入りましたー。

 それにしてもやけに不機嫌だな。なにかあったのだろうか。気になるがデリカシーのある僕はあえて聞かないでおく。これができる男の気遣いってやつよ、フー⤴︎


「まぁでも? ようやく僕にもツキが回ってきたみたいだよ。ラブコメの波動を感じる……」

「でた、ラブコメ。アンタまだそんなこと言ってんの? キモすぎ」

「うるせ。お姫様演じてるやつに言われたくないよ」

「お姫様言うな! ラノベに感化されて頭沸いたゴミが」


 ひどい言われようである。もうひと押しあったら泣いてたところだ。


「僕は信じてるだけだよ。運命ってやつをね。あと僕は濫読派なんだ。ラノベしか読んでないわけじゃない」

「そう。なら読書してるとバカになるのね」

「…………」


 ぐぬぬ。否定したいところだがある意味的を射ている。

 ショーペンハウワーさんも似たようなことを言っていた。読書は賢い者を愚かにすると。

 ショーペンハウワーで思い出したけれど、彼の思想に乗っ取るなら、彩奈はすでに孤独の価値を理解し、苦しむことでそれを証明している。まさに体現者。ショーペンアヤナーさん流石です。


「まぁいいわ。とにかくあんま鼻の下伸ばさないでよね。キモいから」

「キモい言うな。てか何怒ってんだよ。別に彩奈には関係ないだろ?」


 ジーっとを見据えてくる彩奈。


「な、なんだよ?」

「アンタ今、私が嫉妬してるとか思ってるでしょ? はぁ、これだからラブコメ脳は」

「偏見だ。僕だってなんでもかんでもラブコメに当てはめて考えてる訳じゃないよ。彩奈はそういうタイプじゃないのも知ってるし」

「…………しね」

「なんで!?」


 そう言って不機嫌そうなまま、彩奈は階段を降りて教室へと戻っていった。

 取り残された僕は小さく溜め息をつき、窓の外に広がる青空を見上げ、思う。


 やっぱ女の子ってむずかしいわ。

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