2. すべての妹よブラコンであれ


 あえかな朝の光で目が覚めると、僕は公園のベンチの上で寝転がっていた。


 はっとなって身体を起こし、ポケットの中身を確認する。

 よかった……財布もスマホもある。


 あの銀髪の少女はどこに行ってしまったのか。そもそも何者だったのか。なぜ僕は気を失ってしまったのか。気になる事は山ほどあるが、今はそれどころではない。なんせ今日から学校なのだから。


 スマホで時間を確認する。

 よし、急いで帰れば初日から遅刻せずに済みそうだ。それよりも問題なのは、妹から何件ものメッセージと着信が入っていることだ。


『ねぇ、どこ行ってるの?』

『今日の朝ごはん兄さんでしょ!』

『学校?』

『ドッキリならやめて!』

『おねがい、返事して』

 着信10件。


 やべー。こりゃ相当怒ってるだろうな。ザキヤマにいじられた時のタケヤマくらい怒ってそう。

 僕は『ごめん、今帰る!』とメッセージを送信し、早足で公園を後にした。

 新学期早々、騒がしい朝になりそうだ。


 さようなら、僕のなつやすみ。



 ◇◆◇◆◇



 玄関をあけると、すでに制服に着替えていた一つ下の妹、鳳澪オオトリミオが仁王立ちで待ち受けていた。

 ナマイキそうなジト目。白皙はくせきの肌。肩口で切り揃えられた墨色髪。

 逆八の字に結ばれた口元からひしひしと不機嫌さが伝わってくる。


「朝帰りとは随分なプレイボーイになったものね、兄さん」

「いやー、これはそのぉ……やむにやまれぬ事情がありましてェ、とにかくごめん!」

「事情って? 琵琶湖並みに心のひろーい妹が10文字以内で弁解する余地を与えてあげるわ」


 10文字かよ。どこが心ひろーいんだよ。琵琶湖どころかその辺の水たまりじゃん。まぁ、今回に限っては文句は言えないけれど。

 しゃーない、考えよう。僕は言い訳界のGGバイロンなのだ。10文字あれば十分さ。

 気合を入れたところで、ぐるぐると思考の車輪を回しはじめる。


 『散歩中美女抱擁後気絶』

 なんか誤解を生みそう。却下。

 『友達の家にお泊まり』

 裏とられたら終わる。却下。

 『宇宙人に攫われてた』

 バカか。却下。


 『モラトリアム逃避行』


 ――これだっ!!

 自分探ししたい年頃なんです!

 スマホは電源切っちゃってました! 

 これでいい。完璧だ。最適解過ぎる。まったく、自分の才能が恐ろしいぜ……。

 形而上の喝采を浴びながら、僕はドヤ顔で言う。いや、発表する。この渾身の……言い訳という名の芸術を!

 

「モラト――」

「言い訳はいらないわ。それに理由なんてどうでもいいの。大事なのはそこじゃないわ」


 オオオオイ! 無駄に考えさせやがって! 消費した分のブドウ糖返せコノヤロー! 


 内心タケヤマばりに激昂する僕をよそに、澪は淡々と説教を続ける。

 

「想像してみて? もし朝起きたら私がいなくなってて、連絡もつかなかったらって。兄さんならどう思う?」

「誘拐されたと思う」

「それは大袈裟。もう少し落ち着いて」

「まぁでも、気が気じゃないよ。澪にだけは、いなくなって欲しくないからね」


 大切な家族なのだから当然だ。

 澪は何故か頬を赤くしたかと思うとプイッと顔を背けた。


「そっ、そうでしょうそうでしょう、そういうことなんですよっ! まったくもうっ!」


 どことなく嬉しそうに見えるのは気のせいだろうか。

 澪は気を取り直すように言った。


「それと別に心配なんてしてないから。勘違いしないで。常識的に配慮にかける行動は慎んでって話」

「わかってるよ。気をつける」


 澪は僕に対して基本当たりが強い。昔はべったりだったのに。お兄ちゃんは悲しいです。

 よく見ると目元が少し赤らんでいた。もしかして泣いていたのだろうか。いや、まさかね。

 どっちにしろこれ以上機嫌を損ねたくないので触れないでおく。

 

「もういいわ。はやく準備しないと遅刻するわよ。それじゃ、先行くから」

「うん、転ばないようにね」

「子ども扱いしないで!」

「ご、ごめん……いってらっしゃい」


 澪はそのまま僕の横を通り過ぎて、玄関を出て行った。扉が閉まり、ホッと一息。

 緊張感から解放された僕は、急いでシャワーを浴びて、制服に着替える。

 のんびり朝食を食べている暇はない。

 ……まてよ? 食パンを咥えて走ってたら曲がり角で美少女とぶつかる古典的ラブコメ展開を期待――できません。現実にそんな都合のいい出会いがあるわけないのです。良い子のみんなは真似しないように。というか普通パンを咥えてるのは女の子の方だし。


 リビングの時計を見る。いつもならとうに家を出ている時間だ。

 僕はくだらない自問自答を終わらせ、仏間へと移動する。それから仏壇に飾られている母さんの写真に「行ってきます」と声をかけた。

 現在、鳳家は僕こと鳳トモと鳳澪の二人暮らし状態だ。母さんは4年前に事故で他界。父さんは海外勤務でたまにしか帰ってこない。庭付き二階建ての一軒家は二人で暮らすには広すぎるくらいだ。

 

 ……そっか。仮に僕がいなくなったら、澪は一人ぼっちになっちゃうんだよな。それはとても寂しくて、悲しいことだ。

 澪の赤らんだ目を思い出す。

 今日のこと、後でもう一度ちゃんと謝っておこう。


 おっと、そろそろ出なくては本当に間に合わない。

 ローファーを履き、玄関を抜け、鍵を閉める。残暑特有の絶妙な蒸し暑さに包まれ、じんわりと汗をかいた。

 それじゃあ行くとしますか、久々の学校へ。

 

「あ、部屋にカバン忘れた」


 どこまでも幸先の悪い朝なのであった。






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