第29話 罠
ジョアンがヤヌス王国へ旅立ってから、もうすぐひと月となる。
デクスターは、ジョアンから一度も手紙が届かないことに、日に日に不安を募らせていた。
ジョアンは、約束を破るような人物ではない。
手紙を送ることができない事態が起こったと考えるべきだ。
今すぐにでも、ヤヌス王国へ様子を見に駆け付けたい。でも、王弟という立場上、軽率な行動はできない。
悶々としたまま、デクスターは今日も黙々と執務をおこなう。
周囲へは、ジョアンが一時帰国していると周知していた。
(どうにか、情報収集をしなければ……)
窓の外へ目を向けると、暗く厚い雲が広がっている。
今にも雨が降りだしそうな曇天を眺め、デクスターは大きなため息をつく。
そこへ、秘書官がやって来た。
「ヤヌス王国より、デクスター殿下宛の書簡が届きました。ただ、差出人の名が不明でして……」
「構わない。見せてくれ」
通常であれば、差出人不明の書簡を直接主へ届けることはしない。
事前に秘書官が中身を精査し、それから渡すきまりとなっている。
しかし、「ヤヌス王国からの書簡は、すぐに渡すように!」と申し付けていたため、秘書官が持ってきたようだ。
何か事情があり、ジョアンが差出人の名を記載できなかったのかもしれない。
そう考えたデクスターは、迷わず封を切った。
◆◆◆
ヤヌス王国へ帰還したジョアンが連れてこられたのは、王都の外れにある屋敷だった。
なぜ、公爵家でもなく王城でもないのかと不審に思ったが、ジョシュアはここで療養していることになっているとのこと。
ひとまず理由に納得し、この日はそのまま過ごす。
翌日、さっそくデクスターへ手紙を書いているジョアンのもとを訪れたのは、意外な人物だった。
「ジョシュア……本当に、生きていたのね」
ノックも無しに部屋へ入ってきたのは、赤みがかった金髪に水色の瞳の若い女。
元婚約者である女王のリーザ・ヤヌスだった。
「なぜ、陛下がこちらへ? 私たちは、もうなんの関係も関わりもないはずです」
「随分な言い方ね。あなたに会いに行くために、わたくしは必死で執務を終わらせてきたのよ?」
「『終わらせた』ですか……」
フレディに押し付けたのでは?
喉元まで出かかった言葉を、ジョアンはぐっと飲み込んだ。
「会わない間に髪も短くなって、かなり雰囲気が変わったわね。前は、少女みたいだったのに」
リーザは、つかつかと歩み寄ってくる。
すっかり忘れていたが、この女はいつも周囲へ悪臭を振りまいていた。
ジョアンへしなだれ、リーザは豊満な胸を押し付けてくる。
真っ赤な紅が引かれた唇が己に触れる寸前に、ジョアンは顔を背けた。
自分の体は、番いであるデクスターだけのもの。
この女に
「元婚約者のわたくしを拒否するなんて、生意気ね……」
「王配は私ではなく、フレディです。少しは、お立場を
正式に王配を迎えても、この女の性根は変わっていないようだ。
ついつい口調が冷淡になる。
嫌悪感を
「アハハ! その説教くさいところは、相変わらずだわ」
リーザが離れたことで、ようやく呼吸ができる。
ジョアンは、女王の傍にいたときには無意識に息を止めていたことも思い出した。
「まあ、いいわ。ジョシュアには、これから父親になってもらわなければならないのだから」
「……どういうことでしょうか?」
「あなたが病に倒れる前に、わたくしたちは結ばれた。あのときに、この子を授かったのよ」
ドレスに隠れてわからなかったが、リーザのお腹が大きくなっている。
日数から考えても、フレディの子ではない。
父親が王配ではない子を女王が妊娠しているという事実に、ジョアンは驚愕した。
「陛下は、何をおっしゃっておられるのですか? 私があなたと関係を結んだことなど、ただの一度もございませんが?」
「ジョシュアが行方不明になったと聞いたときは、焦ったわ。だって、父親がいなくなってしまったのだから……公式の父親がね」
愛おしそうにお腹を撫でながら、リーザは意味深な笑みを浮かべている。
ジョアンは、すべてを悟った。わざわざ自分が連れ戻された理由を。
「どうしても、彼との子が欲しくなったの。だから、あなたはここで療養しながら、この子の父親として生き続けてもらうわ」
彼はあなたと同じ金髪で瞳の色も同じだから、誰も気づかない。
そう言って微笑む女を、ジョアンは睨みつける。
「あなたが誰の子を産もうと、好きにすればいい。ただし、即刻退位していただきます!」
これから獣人王国の民となるジョアンには、もう関係ないことなのかもしれない。
それでも、これだけは見過ごすことができなかった。
「それはできないわ。この子は、将来国の王になってもらうのだから」
「やって良いことと悪いことの判断もできぬような者に、国を統治する資格などございません。聞き入れていただけないようなら、この件を公表します」
何を言っても、この女には伝わらない。
ならば、ジョアンが引導を渡すまで。
この女が頂点に君臨している限り、ヤヌス王国の発展は望めず衰退していくだけだ。
「私の子ではないとわかれば、上層部も考えを改めるでしょう」
次期国王には、前国王の異母弟の子を擁立すればよい。
まだ
でなければ、いずれ国が滅ぶ。
ジョアンは、そう判断を下した。
「アハハ! そんなことができると思っているの? あなたは、ここから出られないのだから」
「私が国へ戻っていると知っている兄が、こちらに来ないわけがありません。いつまでも面会ができなければ、不審に思うでしょう」
「残念だけど、ダニエルは何も知らないわよ? だって、トミーが伝えていないのだから」
「!?」
「腹心の部下に裏切られているなんて、自信家のダニエルは想像もしていないでしょうね……フフフ、いい気味だわ」
「…………」
トミーが裏切る可能性もある程度は想定していたが、いざ事実を突きつけられるとその衝撃は大きい。
「ジョシュアがここに居ることを知っているのは、わたくしと忠実な従者だけ。フレディも知らないわ」
「……フレディは、あなたが妊娠していることをどう思っているのですか?」
「驚いてはいたけれど、王配の立場であれこれ言えるわけがないでしょう? それに、いずれわたくしは彼の子も産むのだから」
皆が、この女に騙されている。
しかし、今のジョアンではどうすることもできない。
「この子が生まれたら、感動の親子対面を果たしてもらうわ。それまでは、ここでおとなしく療養していなさい」
捨て台詞を残し、リーザは部屋を出て行く。
この日から、ジョアンの軟禁生活が幕を開けたのだった。
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