第14話 不穏な影


 ジョアンとデクスターは、離宮の執務室にいた。

 頬の治療をするために打ち合わせの時間をずらし、一度戻ってきたのだ。


「ご迷惑をおかけして、申し訳ございませんでした」


「おまえは、何も悪くないぞ」


「でも、僕が余計なことを言ったばかりに……」


 元婚約者のような女に、どうしても我慢が出来なかった。

 言う必要のないことまで、つい言葉が口をついて出る。

 結果、相手を怒らせ、事を大きくしてしまった。


「余計なことじゃない。全部本当のことだ。王家に連なる者として、あの女は以前から恥さらしだった。だから、俺が断罪した」


「あの方は、どなたなのですか?」


「以前会った、俺の叔父メイソンの一人娘だ。アイツは従姉妹にあたる」


(なるほど。あの壮年男性の……)


 龍眼石での一件を思い出す。

 父娘と聞き、ジョアンは妙に納得してしまった。

 ようやく清々したと、デクスターは笑う。


「それで、腫れは引いたのか?」


「そんな、大したケガではありませんから」


「いいから、見せてみろ」


 執務机の椅子に座る主が、自分の膝の上を叩いている。

 ここに座れとの合図だ。

 横向きに座らされたジョアンの頬を、デクスターが指先で優しく撫でる。


「まったく忌々しい。おまえの綺麗な肌に傷を付けて、本来であれば万死に値する行いだぞ」


「フフッ、殿下は大袈裟です」


「大袈裟じゃ、ない!」


 見上げると、デクスターと目が合った。

 優しいまなざしは、森で初めて会ったときから変わらない。ジョアンを庇い守ってくれる。

 でも、近づいてくる綺麗な碧眼は全てを見透かしそうで、ジョアンはいつも目を閉じてしまう。


 女に触れられたときは、気持ちが悪くて仕方がなかった。

 それなのに、彼にどれだけ触れられても、口づけをされても、嫌な気持ちになったことは一度もない。

 どうしてなのか。

 口づけを受け入れながら、ジョアンはその理由を考えてみる。


(『印を付ける』という明確な理由があるからだ。それに、慣れもあるだろう)


「……おまえ、俺と行動をともにしないように、わざと予定を調整していただろう?」


(!?)


 思わず目を開けてしまった。

 碧眼が、責めるような咎めるような視線を送りつけていた。


「当たりだな」


「……どうして、わかったのですか?」


「だって、明らかに不自然だろう? 俺かおまえしか対処できない案件が、同じ日の同じ時間に入ってくるなんて、偶然にしては数が多すぎる」


 今日の衣裳の打ち合わせも、事情聴取の時間と被るようジョアンがわざと予定を組んだのだった。


「誰かに、何か言われたのか?」


 印を付け終えたデクスターは、今度はジョアンの毛先をくるくる巻いたりほどいたりしながら遊んでいる。


「そういうわけではありません。ただ、噂を払拭したかったのです」


「噂?」


「僕が、あなたに寵愛されているという噂です」


「……おまえは、皆からそう見られるのが嫌なのか?」


「当たり前じゃないですか!」


 ジョアンの声に、デクスターの手がピタリと止まる。

 目を伏せ、しょんぼりしているような素振りを見せている。


「当たり前……か」


「変な噂のせいで殿下が番いとなられる方と出会えなかったら、一大事なのですよ!」 


「……ん?」


「『ん?』じゃありません! 大事なことです!!」


「ハハハ! そうか、そういうことか……」


「ようやく、わかっていただけましたね」


 笑いながら頷いているデクスターに、ジョアンはホッと胸をなでおろす。

 

「ああ、いろいろとわかったぞ。嫌がられてはいないこと。未だに、まったく伝わっていないこと。おまえが、人からの好意にかなり鈍感だということもな」


「僕は、他人の機微きびに鈍感ではありませんよ? 事前に察知し、断りの文言をいくつか事前に準備していますから」


「……断りの文言?」


「はい。見合い話や交際を申し込まれましたけど、その都度、角が立たないように丁重にお断り───」


「おい、ちょっと待て! そんな話は、いま初めて聞いたぞ!!」


「だって、いま初めて言いましたからね」


 ジョアンがあっけらかんと言い切ると、デクスターから頬をツンとつつかれた。もちろん、ケガをしていない方を優しくだが。

 それにしても、主は何をそんなに興奮しているのだろうか。

 理由がわからない従者は、首をかしげる。

 

「『いつ』『どこで』『誰から』言われたのか、洗いざらい話せ!」


「いつ、どこで、誰から?」


(こんな私的なことも、王弟の従者であれば報告が必要なのか?)


 少々疑問は残るが、今回のような騒動に再び巻き込まれる可能性もある。

 ジョアンは、記憶を手繰り寄せた。


「声をかけられるのは、いつも一人のときです。場所は王城内で、文官の方から『知り合いの(人の)商家の入り婿にならないか?』とか、王城にお勤めの侍女の方から交際を申し込まれたり、『番いになってほしい』と言われたこともあります」


「クソッ、皆、俺のいない隙を狙っていたのか……」


「あっ、そろそろ打ち合わせの時間になりますので、僕は行きます! 殿下は、執務の続きをお願いしますね」


 ジョアンは膝から降りる。

 時間を変更してもらったのだ。

 今度は遅刻するわけにはいかない。


「待て、俺も一緒に行く! また、面倒な輩に絡まれるかもしれないからな」


「さすがに、あんな騒動のあとですから、それはないかと……」


 この主は、本当に心配性だ。過保護と言ってもよいほどに。

 でも、それを嬉しく思ってしまう自分がいる。


「ニコニコして、どうした?」


「いえ、殿下はいつもお優しいなと思いまして」


「おまえはだからな、当然だ」


「僕の特異体質のせいで、いろいろと申し訳ありません」


「その特別じゃない。だ」


「パーティーが終わりましたらなるべく早く自立できるように、準備を急ぎますので」


「おい、俺の話を聞いているのか? おまえが、ここを出て行く必要はないぞ!」


「聞いていますよ。では、時間ですので参りましょう」


 ジョアンは入り口の扉を開け、デクスターを待つ。

 通り過ぎる際に、主から「おまえは、やっぱり鈍感だ……」とつぶやかれた。


「何度も言いますが、僕は鈍感ではありません」


「いや、おまえほど鈍感なやつは他にいない……呆れるくらいにな」


(呆れるくらい!?)


 どうやら、自分が気づいていないだけで、デクスターがさじを投げるほどらしい。

 このままでは、今後仕事にも支障が出てくるかもしれない。


 喫緊きっきんに解決しなければならない最重要課題だと、深く心に留め置いたジョアンだった。

 


 ◆◆◆



 ここは、王都内にある屋敷。

 壮年の男が、届いたばかりの書簡を読んでいた。


「修道院送りじゃと!」


 書状が握りつぶされ、壁に投げつけられる。

 家令とともに傍に控えていた執事が、素早く拾い上げた。


「こうしては、おれぬ。あのを迎えに行くぞ! 可哀想に、今ごろ心細くて泣いておるじゃろうな……」


 メイソンは、勢いよく立ち上がった。

 

「すぐに支度をせよ!」


 従者にとって、主の命令は絶対である。

 しかし、家令も執事も動かない。


「何をしておる? 早く用意をせんか!」


「……旦那様、恐れ入りますが、これは国王陛下が決定されたことでございます」


 先に口を開いたのは、家令だった。


「それに異議を唱えることは……反意があると見なされても、おかしくはございません」


 執事も追従する。


「「何卒、ご再考を」」


 たとえ前王弟のメイソンといえども、国王に盾突けばただでは済まない。

 家令と執事は、覚悟をもって主をいさめたのだった。


「あの忌々しい若造めが……」


 デクスターは、わざわざ衆目の中で娘を断罪したという。

 まるで、見せしめのように。


 母親を早くに亡くした娘が不憫だと、メイソンは甘やかして育ててきた。

 娘は結婚適齢期が過ぎても番いを探さず、居心地のよい実家で暮らしてきた。

 たとえ罪を犯したとしても、問題行動があっても、メイソンにとっては目に入れても痛くない我が子。


 愛娘をこのような目に遭わせたデクスターを、到底許すことはできない。

 しかし、王弟に手を出せば娘の二の舞を踏むことは確実。

 ならば、手段は一つしかない。


「今に見ておれ……」


 復讐の鬼と化したメイソンに、忠臣たちの言葉は残念ながら届かなかった。




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