第13話 遭遇


「それでは殿下、打ち合わせに行って参ります」


「ジョアン、何度も言うが気を付けろよ」


「はい」


 王城の執務室を出たジョアンは、一人で廊下を歩いていた。

 今日は、衣装担当者との打ち合わせである。

 デクスターの誕生日パーティーを来週に控え、準備に余念がない。

 これまではどこへ行くにもデクスターと一緒だったが、最近は一人で行動することが多くなった。

 心配性な主は無理やり時間を作って打ち合わせに立ち会っていたが、それも難しくなる。

 かくして、二人は別行動を取ることになったのだった。



 ◇



 打ち合わせ場所へ向かっていると、前から従者を引き連れた若い女が歩いてくる。

 身なりから見て、どこかの領主夫人が令嬢なのだろう。

 ジョアンは壁側に下がり、頭を下げる。

 相手が通り過ぎたことを確認し歩き始めたところで、後ろから声をかけられた。


「あなた、所作がとても綺麗だわ」


「恐れ入ります」


「見かけない顔だけど、名はなんというのかしら?」


「ジョアンと申します」


 一人で行動するようになってから、ジョアンは周囲から声をかけられることが多くなった。

 他の文官からは、業務効率化についての相談。

 初めて登城した者からは、道を尋ねられる。

 

 他には、『人』の女性との見合い話や告白。

 稀に、獣人女性から「番いになってほしい」という交際の申し込みまで。

 実に様々だった。


 初対面だというのに、女は距離をつめてきた。

 今回の場合は業務外の部類だろうと、即座に判断。

 ジョアンは、角が立たない断り文句をいくつか頭の中に思い浮かべた。


「所作だけでなく、顔も綺麗……」


 爪の長い指の腹で、頬を撫でられた。

 これまで、好意は伝えてきても触れてくる者など誰一人いなかった。

 無遠慮に手や髪などをベタベタと触られる。

 

(気持ち悪い……)


 ゾワッと粟立つ。

 振り払いたいが、相手のほうが身分が上のためグッと我慢をするしかない。


「決めたわ。あなたを、今日からわたくしの従者にする」


「……えっ?」


 女から発せられたのは、予想の斜め上を行く言葉だった。


「では、わたくしに付いてきなさい。あとで、お父様に紹介するから」


 当然のことのように命令されたが、もちろん従う気はない。


「恐れ入りますが、それは出来かねます。私はこれから大事な打ち合わせがございますので、これで失礼いたします」


 こんなことに時間を取られて、遅刻するわけにはいかない。

 さっさと歩き出したジョアンだったが、女の従者によって進路を阻まれてしまった。


「お嬢様のご命令には従われたほうが、身のためですよ」


「あの、仰っている意味が、私にはわかりかねます」


 実際、なぜこのような横暴が許されると思っているのか。

 ジョアンにはまったく理解ができなかった。


「その者の言う通りよ。わたくしに逆らったらどうなるか、わかっているの?」


「…………」


 元婚約者を彷彿とさせる女の言動。

 戸惑いよりも、嫌悪感が先に立つ。

 忘れかけていた、思い出したくもない感情。

 ジョアンは引きつりそうになる顔を、必死に取り繕った。


「ようやく理解したようね。あなたは、わたくしの言うことを聞いていればいいのよ」


「…………権力を振りかざすだけでは、人の心は掴めませんよ?」


 冷え冷えとした声が響く。

 瞳に冷たい光を宿したジョアンが、氷の微笑で女を見据えていた。


「な、なんですって! 誰に向かっ……」


 言い返した女に冷徹な視線を向ける、少女のような顔をした美しい男。

 凛とした気高い迫力に、女は気圧けおされる。


「自らを厳しく律し尊敬に値する人物にならなければ、下の者は誰もついてきません」


「偉そうに、このわたくしに説教をするな!」


「あなたのその言動が、ご自身の品位だけでなく家門まで貶めます。お気を付け───」


 パン!と乾いた音が響く。

 ジョアンの頬に、一筋の傷がはしった。


「潰してやるわ! お父様に言って、あんたの実家ごとね!!」


 今にも飛びかからんと言わんばかりの殺意を向ける女。

 二度目の平手打ちをしようと手を振り上げた女とジョアンの間に、ひとりの男が割って入る。


「……そんなこと、この俺が許すわけないだろう」


 ジョアンを庇うように女の前に立ちふさがったのは、デクスターだった。



 ◇



「なんで、あんたが出てくるのよ!」


「おまえが廊下の真ん中で若い男にしつこく纏わりついて、皆の通行の邪魔をしていると連絡があったんだよ」


 面倒くさそうに、まるで汚らわしい物でも見るような目つきで、デクスターは女を見下ろす。


「チッ、仕方ないわね。でも、その者は渡してもらうわよ。わたくしを侮辱した罪で、お父様に処罰してもらうから」


「おまえには渡さん。こいつは、俺の従者だからな」


「アハハ! あんた、従者教育がなっていないわね。いいわ、代わりにわたくしが教育してあげる。フフフ、調教でもいいかも……」


 さあ、行くわよ。

 そう言ってジョアンの腕を掴もうとした女の手は、デクスターによって振り払われた。


「汚い手で触るな。それに、教育がなっていないのはおまえだ。まだ、自分の置かれた状況が理解できていないようだな」


「……どういうこと?」

 

「こいつは、打ち合わせに向かう途中だったんだ」 


「それが、なによ?」


「来週開かれる誕生日パーティーの打ち合わせに、な!」


「……えっ?」


 女は、ようやく状況を理解した。


「おまえのせいで、こいつは大事な打ち合わせに遅れた。俺は、執務を邪魔された。この落とし前は、どうつけてくれるんだ?」


「わ、わたくしは知らなかったのよ! あんたの従者だったなんて!!」


「それを言うなら、こいつだっておまえが王家に連なる者だと知らなかったぞ」


「だったら、取引しましょう! 侮辱罪は見逃してあげるわ。だから、わたくしのことも見逃して!」


「ハア……仕方ないな」


「では、取引は成立ね。じゃあ、わたくしは失礼するわ」


 そそくさと場を離れようとする女の腕を、デクスターが掴んだ。


「まだ、話しは終わっていないぞ。ここからが本題だ」


 デクスターの雰囲気がガラリと変わる。

 不穏な気配を感じた女は後退りするが、壁際に追い詰められた。


「……おまえ、こいつに手を上げたよな? 頬に傷が付いている」


 ジョアンの白い肌に浮かび上がる一本の線は、女の長い爪が引っかかった跡。

 頬も赤くなっていた。

 

「それが、どうかした? わたくしを侮辱したのだから、当然の報いでしょう?」


「もう忘れたのか? こいつは、俺の代理だ。つまり……おまえは、王弟である俺に手を出したってことだ」


「そ、そんなの、こじつけよ!」


「王弟殿下の従者に纏わりつき、自分の言うことを聞けと脅し、あげく説教をされたら激怒し平手打ち。そんな所業を、この俺が許すわけないだろう?」


 デクスターは、静かに怒っている。

 彼の怒りの深さを知り、女は震え上がる。


「今日、おまえがなぜ王城に呼び出されたのか、まったくわかっていないようだから教えてやる。おまえに対しての陳情(苦情)が、俺のところへ山のように届いている。それの事情聴取だったんだぞ?」


「嘘よ!」


「俺が聴取する予定だったが、もう必要はない。おまえは身分剥奪の上、修道院送りが決定だ」


「そんなこと、お父様が黙っていないわよ!」


「国王陛下のご命令に逆らうつもりなら、親子ともども国外追放処分だ。二人で相談して、好きな方を選べばいい」


 デクスターが手で合図をすると、騎士が周りを取り囲む。

 ギャアギャアと喚きながら、女は連行されていったのだった。


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