7
(スモークした鱒の前菜に南瓜のポタージュ、猪肉のシチュー、タルトタタンという、とても簡素とは呼べない晩餐の後、宇留井は閏井を書斎に連れていった。そして、書棚に置かれたノートほどの大きさの絵を示した。
「さっき話した聖テクラのイコンだよ。どうだい、美しい顔だろう?」
宇留井は一分ほどその絵に見とれてから、そう言った。閏井も顔を近づけて、古びたイコンを見つめてみた。
そこに描かれている聖テクラは、生真面目なティーンエージャーといった顔つきで、ひざまずいて宙を見上げていた。赤毛に近い金髪は腰までの長さがあり、ライオンと蛇がそれにじゃれつこうとしていた。
ラファエロの聖母像を思わせる美しい肖像ではあったが、閏井には見とれるほどの美人とは思えなかった。それよりも、聖女だというのに肉感的な腰つきをしているのが気になった。それはセクシーというより邪悪な感じがした。
「不思議なことに」と宇留井は言った。「叡理はこの絵を見るなり、『これは私よ』と言ったんだ。それまで彼女に似ているなんて少しも思わなかったんだが、言われてみると、確かにそっくりなんだ。まるで写真みたいに。どうしてそれまで気づかなかったのか、本当に不思議だ。君もそっくりだと思うだろう?」
宇留井は期待を込めた目で閏井を見たが、彼は「そうだね」とは言えなかった。仕方なく、「僕は叡理さんのちらりとしか見ていないのだから、判断しかねるよ」と言った。
「そうか、そうだね」宇留井は少し残念そうに言った。「まあ、明日になれば、君もわかるさ。――さあ、居間に戻って話の続きをしよう」
居間に移ると、宇留井は二つのグラスにブランディーを注ぎ、一方を閏井に渡した。そして、ソファーに腰を下ろすと、おもむろに語り始めた)
新婚旅行もそこそに、叡理と僕は研究を再開した。
――え? 結婚式のことかい?
いや、神前結婚じゃないよ。古式床しい人前結婚式だよ。
僕も
――え? 新婚旅行の行き先?
なんだ、今度は君が話をそらすなあ。イギリスとフランスを七日ばかりね。叡理の希望で図書館と博物館ばかり巡っていたよ。今にして思えば、あれは事前調査だったんだな、彼女の研究の。僕は自分の研究資料を探すのに夢中で、彼女が何を調べているのか、あまり気に止めていなかったんだが……。
まあ、そんな話はもういいだろう。僕らの研究のことに戻るぞ。
僕らは調査研究の成果を論文にまとめて学会誌や大学の紀要に発表するとともに、その概要を英米の学術誌に寄稿したりした。
とくに誰に読ませようとかいった目的はなかったのだけれど、ヨーロッパの学者たち、とくにキリスト教の伝播史を研究する連中がすぐに食いついてきてね。質問やら自説やらを送ってくるようになったんだ。
それらにいちいち返答しているうちに、そこそこ名前が知られて、雑誌に寄稿を求められたりするようにもなった。物好きなイギリスのテレビ・クルーが聖母神社まで取材に来たこともあったよ。
そうやって連絡してくる連中の中に、国際キリスト史学会のお偉いさんもいたようで、キリスト教の日本伝播といったテーマで講座を開く気はないか、といった話も出るようになった。
これを聞いて叡理は大喜びさ。クールな彼女には珍しく僕に抱きつき、キスしたほどだった。そして、耳元で「チャンスよ、一緒に行きましょう」と囁いたんだ。
僕としては長崎での現地調査を中断するのは嫌だったし、ヨーロッパの学生に教えるのも気が重い以外の何物でもなかったから、本当は断わりたかったんだがね、叡理にキスされたとたん、ヨーロッパでやるべきことが次々と頭に浮かんだんだ。そう、文字通り、彼女に吹き込まれたのさ。
半年後、僕らはイギリスに渡った。
叡理はスペインかフランスに行きたかったらしいのだが、僕は彼女みたいにスペイン語やフランス語を操れないからね。英語だって、読むことはまあなんとか仕事に困らない程度にはできるのだけれど、話すとなると中学生レベルといっていいくらいなんだ。大学での講義は毎度冷や汗ものだったよ。
そんなわけで、拠点はイギリスにおいて、必要に応じてヨーロッパ各地を旅することにしたんだ。
――住居?
ああ、イギリスでの住まいのことか。ロンドン北部のハムステッドというところに家を借りたんだ。日本で言うと、そうだな、成城か自由が丘ってところかな。僕は成城も自由が丘も行ったことがないから、比較として正しいのかよくわからないがね。
もっともハムステッドといっても町はずれだから、観光客などはまず来ないところだよ。
家は十九世紀初頭に建てられたという元商人の屋敷でね、内部はすっかり現代風にリノベーションされているから、住み心地そのものは今の分譲住宅と変わりはないんだが、やはりね、石造りの家は息苦しく感じるね。中はとても広いんだがね。
ただ、その家が息苦しいのは、石造りのせいばかりではなかったようなんだ。実はね、お化け屋敷だったのさ。
イギリスっていうのは変な国で、幽霊が出るという噂つきの屋敷があちこちにあって、しかも人気物件になっているんだ。ところが、そこは、それらとはちょっと違ってね、出るのは幽霊じゃなくて悪魔なんだよ。
言い伝えによると、この屋敷を建てた豪商は持ち船が嵐で沈んだのをきっかけに破産してしまい、夜逃げしたそうだ。一文無しになったことに怒り狂った商人が、一家を皆殺しにして庭に埋めたという話もある。
彼の成功と失墜は悪魔のせいだという者もいるが、その館が悪魔の家と言われるのはそのせいではないんだ。
豪商が出ていった後、この館を買い取ったのは貴族階級出身のチェス名人だったんだ。彼はプロとしてデビューして以後、一度も負けなかったそうだ。その強さをどうやって手に入れたかというと……
そう。悪魔と契約した、というわけさ。
私を無敗のチェス名人にしてくれ、その代わりに魂はくれてやろう、というわけさ。
確かに彼は連戦連勝の名人となった。だが、一つ勝つたびに体の一部を欠損していったんだ。八十連勝を成し遂げた時には、もう歩くこともできなかった。九十連勝の時は盲目になっていたので、介添人に
そして、百連勝を前にこの世を去り、今は地獄で悪魔を相手に永遠に終わることのないチェスを指し続けているそうだよ。――もっとも、地獄の様子を誰が見てきたのか、知りたいものだがね。
僕も歴史家だからね、伝承がどこまで歴史的事実に基づいているのか、調べてみたよ。
家を建てたのがペルシャ絨毯を扱う商人であったこと、次の所有者がプロのチェスプレイヤーだったことは事実だった。疑問の余地がないわけじゃないが、少なくとも公文書にそうした記述が見られる。
だが、商人が破産して夜逃げしたのか、チェスプレイヤーが百連勝近い戦果をあげていたのか、といったことまではわからなかった。悪魔について言われるようになったのは、一九四〇年代かららしい。
そう、新しい話なんだ。話が広まったのが最近だから事実ではない、とはいえないことは、君もよくわかっていると思うが。
この屋敷を見つけてきたのは叡理だよ。彼女は顔が広いから、ロンドンの
それで見つけてきたのが、その悪魔の家というわけだよ。
イギリス人はおかしなものでね、幽霊つきの物件は大人気なくせに、悪魔憑きとなると忌避されちゃうんだ。それで借り手がつかずに困っていたそうなんだ。
僕は悪魔が憑いていようが、幽霊が棲み着いていようが構わないのだけれど、水道などの修理を頼もうにも業者が来るのを嫌がったりして困ったこともあったよ。
そんな時、叡理はやけに楽しそうににやにや笑っているんだな。
でも、暮らし始めてみると、その家は叡理が探し出してきたことだけあって、僕らの生活にぴったりだった。広さの面でも、使い勝手の面でもね。
渡欧を機に叡理も本格的に研究を始めたから、彼女にも書斎が必要だったし、増える一方の本を収める書庫もなくてはならなかった。それに、麻利にもバス付きの部屋がいるからねえ。
そうだよ、僕らは三人で暮らしていたんだ。あれ? 話してなかったかい?
麻利が叡理づきの女中だったということは、話したよね? 彼女――
それから叡理の死まで僕らは三人暮らしをしてきた。
今から考えると奇妙な結婚生活だが、当時はそれが当たり前だと思っていたよ。まあ、欧米では使用人が家にいるのは珍しいことではないから、奇異な目で見られることはなかったけれどね。
そうそう、イギリスでは通いのメイドも一人雇っていた。買い物とか現地の人間じゃないとわからないことがあるだろう? それに麻利は叡理の研究の手伝いなどもあって、家事まで手が回らないこともあったからねえ。
ロンドンに移住した当初は、せっかくヨーロッパに渡ったのだから、キリスト教伝来期のヨーロッパ側の史料を調べて自説の補強にしようと考えていた。宣教師の報告書などにキリスト教の土着化の萌芽のようなものが読み取れたら、と考えたんだ。
ところが、そう都合のいい史料がいくつもあるわけなく、私の方の研究は早々に開店休業になってしまった。対照的に、叡理は自分の研究をどんどん本格化させていった。
屋敷にはさまざまな研究者や文学者、芸術家などが訪ねてきて、研究内容について意見交換をした――酒と美食が目的の者もいたがね――。当初は僕を訪ねてくる者が主だったが、次第に叡理に会いに来る者が増え、一年も経たないうちに叡理のサロンのようになっていた。
その冬のことだったか、ギリシア正教会の老聖職者と叡理がオルフェウス教について長々と議論していたことがあった。老聖職者は当初、叡理に怒りをぶつけていたようだったが、月が昇る頃には、法悦を得たかのような上気した顔で陶然として帰っていったよ。
奇妙なことが起こるようになったのも、その頃からのことだった。
――いや、そうじゃない。幽霊や悪魔が出たんじゃないんだ。そこまであからさまなことではないんだ。超常現象ととれないこともないが、気のせいとか誰かの
たとえば、ありえない、変な物が家の中に出現するといったことだ。どうしても開くことができない本とか、家の中のどの鍵穴にも合わない鍵とか、弦が逆さに張られたフィドルとか 、そんなものが応接室のテーブルや食堂の床などにぽつんと置かれているんだ。
困るのは、家の構造が変わってしまう、あるいは変わってしまったように思えることだ。
その家は三階建てだったんだが、二階までで部屋は足りていたし、三階は屋根裏部屋みたいなもので天井が低くて息苦しいし、前の住人の家具なんかも押し込んであったから使ってなかったんだ。
だから、三階には上がることはなかったんだけど、変な物が出現するようになってひと月も経つと、二階に上がったはずなのに三階にいたとか、書斎の扉を開けたら三階の部屋だったということが時折起こるようになったんだ。
騒がずにしばらく様子をみていると元に戻るから実害はないんだが、やっかいなことだよ。気分もよくないし。叡理は面白がっていたけどね。
そう、叡理はどんな事態が起こっても動じなかった。冷静に観察し、対処していた。その冷静さは研究に没頭していることによるものだったのかもしれない。
彼女は日ごとに研究にのめり込んでいった。深夜まで書斎に籠もって仕事をしていることが多くなった。
以前は僕のサポートとして図書館や博物館に行っていたのだが、自分の研究のために出かけていくのが主になっていった。その際には僕がお供をすることもあったが、麻利と二人ということがほとんどだった。二人でヨーロッパ各地の古書店を巡ってくることもしょっちゅうだった。『黒い雌猫』を手に入れたのも、そんな時のことだよ。
叡理と麻利が旅に出ると、決まって大きな荷物が送られてくるんだな。開けて見ると、どれも本なんだ。それも骨董品のようなものばかりだよ。たまに小さな箱が送られてくると、中身は正体不明の薬物だったりするんだ。そうそう、本物のマンドラゴラだったこともあるよ。ナス科の薬用植物じゃないよ、抜く時に叫び声をあげるというあれさ。
もちろん、『黒い雌猫』のような貴重なものは彼女自身が携えてきたがね。でも、それ以上に彼女が入手を喜んだのは、ひと組のカードだったんだ。
そう、ゲームで使うようなカードだよ。
大きめのタロットカード、と言うか、見た目はほとんどタロットカードだ。実際、僕は一目見た時、アンティークのタロットカードだろうと思った。
口で説明するより実物を見せよう。ちょっと待ってくれ。
(そう言うと宇留井は部屋を出ていき、五分ほどで金色のごてごてとした飾りがついた宝石箱のようなものを両手で抱えて戻ってきた。それをテーブルにそっと置くと、時代がかった鉄の鍵を使って錠をはずし、金色の金具がついた蓋を開けてみせた。中には古びて角が磨り減ったカードがひと組入っていた。)
ほら、これだ。見た目より重いだろう。紙じゃなくて羊皮紙で作られているせいもあるが、金属製の糸で刺繍されているためでもある。ほら、ここだよ。一枚ずつ、みんな違う刺繍があるんだ。
叡理の調査では、このカードは九世紀以前に溯るそうだ。羊皮紙とインクの成分を化学分析してもらった結果だよ。そんな昔にどんな技術でそんな刺繍をしたのか、それは謎だそうだ。
じゃあ、刺繍にどんな意味があるのか、それは後で話そう。
賢治君、君はタロットカードには詳しいかい?
そうか、僕も百科事典程度のことしか知らないのだが、このカードの絵柄がタロットカードによく似ているのはわかるだろう? これなど、タロットカードの「塔」とそっくりだ。これも「吊られる男」によく似ている。
一方、タロットカードにはない種類の絵柄もある。たとえば、これ。羽をもち蛇の尻尾と牛のような角をつけたライオンが海の上を飛んでいる。こちらは人間の腕と脚をもった鷲がシャベルで穴を掘っている。
こんな絵札が全部で五十二枚ある。絵のない数札はない。ちなみに、タロットカードは絵札、いわゆる大アルカナカードが二十二枚、小アルカナカードと呼ばれる数札が五十六枚というのが一般的だ。
叡理によると、このカードはタロットカードの原形というべきもので、これ自体が一冊の本であり、古代のパソコンというべきものだったそうだ。
簡単に言うと、カード一枚一枚が宗教的真理や哲学的命題を表わしていて、これ全体で一つの文明の知識体系を網羅しているんだ。しかもこのカードは聖典や辞書のように固定――製本――されていないので、一つの時代、一つの場所に拘束されない。常に流動し、その時々の真理、真実を示すのだよ。もちろん、正しい方法でシャッフルし配列することが必要だがね。
叡理はここに解答があると、早くから気づいていたようなんだ。
ああ、そうなんだ。僕はずいぶん長いこと、彼女のことを誤解していたんだ。
そう、僕はこう思っていたんだ。叡理は聖母神社の伝承に秘められた――あるいは、秘められていると信じられてきた――神秘思想のルーツを解明しようとしているのだとね。
聖母神社にはキリスト教を介して伝わったと思われる、そうした話がいくつも残っていてね。たとえば、
ほかにもいろんなバリエーションの話があるんだが、そのほとんどは出典が不明だ。そのうち何割かは仏教や神仙思想などが起源かもしれないが、ユダヤ・キリスト教的な神秘思想に由来すると思われるものも少なくないんだ。
だから、彼女はそうした伝承の由来や伝播の経緯を明らかにして、聖母神社の信仰の本質を明らかにしようとしているのだと、すっかり思い込んでいたんだ。
僕が自分の間違いに気づいたのは、叡理たちがイタリアから送ってきた本の包みを片付けていた時のことだ。イタリア語はほとんど読めないが、どういう本なのかはだいたいわかった。オルフェウス教に関するものが一番多く、それにマニ教やグノーシス、新プラトン主義、ヘルメス思想、薔薇十字団などの本が混じっていた。これらに共通するものは何かい? 君ならわかるだろう?
――そう、そうだ。
彼女――叡理――は、輪廻の研究をしていたのだよ。それも人為的に輪廻をコントロールして、復活を可能にするというものだったのだ。
彼女が仏教やジャイナ教といったインド系思想の研究を早々に放棄したのも、「人為的コントロール」を目的としていたからだったんだ。ゴータマにしてもヴァルダマーナにしても、輪廻から逃れることばかり考えていたからねえ。
彼女は輪廻から抜け出すのではなく、輪廻に立ち向かい、それを己の手で操ろうとしていたんだ。いや、本当にびっくりしたよ。
――でも、僕は、まだ本当には、彼女の意図を理解していなかったんだ。
僕と叡理の立場が逆転した話はしたよな。
僕は彼女に手伝ってもらう立場から、彼女を手伝う立場になっていったんだ。そして、それはとても楽しいものだった。
実はね、僕の手伝いはほとんど役に立っていなかったんだ。彼女たち――叡理と麻利――の研究は、僕が考えるよりずっと高度な段階に入っていたんだ。
そうとは気づかず、僕は彼女たちを指導しているつもりだったんだから、いい気なものだよ。
今にして思うと、叡理に頼まれてやった仕事――膨大な論文資料の分類整理とか叡理たちが撮ってきた写真のチェックとファイリングなど――は、彼女たちの作業を邪魔させないためのものだったようだ。
当時の僕の知識レベルでは彼女たちがやっていることを理解できるわけはなかったのだが、叡理にとっては、僕もチームの一員でいることが必要だったんだ。
これは、
まあ、そんなこともあったが、その頃の僕らの生活は、穏やかで満ち足りた研究生活だった。少なくとも表面的にはね。
僕らには金はあったし、時間もたっぷりあると思っていた。
それも、僕の誤解だった。
すでに期限は迫りつつあったんだ。
ハムステッドの屋敷に住み着いて半年ほど経った頃だよ、叡理が体調を悪くしたんだ。
見た目は磁器の人形みたいに華奢なんだが、アスリートのようにタフで病気一つしたことがなかった叡理が、熱っぽいと言って寝込み、そのまま起きられなくなったんだ。
すぐに医者を呼んで診察をしてもらったが病名の診断すらできなかった。それは大病院での検査でも同じだった。彼らは口を揃えて、血圧と体温が異常に下がっている以外、どこにも問題は見つけられないと言うんだ。腎臓も肝臓も膵臓も心臓も肺も腸も、そして脳も正常に機能しているそうなんだ。
それなのに叡理は体温が上がらず、手足に力が入らず、話すこともままならないんだ。
そんな状態が二ヶ月ほど続いた。
その頃になると麻利の献身的な看病が効いたのか、叡理は少しずつ回復していった。ひと月後には図書館ぐらいなら出歩けるようになった。
そうなると彼女はまた研究に励み始めたんだ。僕はまだ早いと止めたんだが、彼女は「もう時間がない」と言ってきかないんだ。
「結末はすでに決まっているの。その時期も終わり方も。ただ、終わりを終わりでなくする方法が一つだけある。それを、その時までに見つけなければならないのよ」
僕は「ただ一つの方法」について繰り返し尋ねたんだが、彼女はけっして話そうとはしなかった。まだその時期ではなかったからだ。
少しずつ体力を取り戻した叡理は、再び資料の探求を始めた。いつ病状が悪化するかわからなかったから、少しでも遠出をする時は、麻利とともに僕も同行した。列車のコンパートメントに彼女たちと乗っていると、ヴィクトリア時代の小説の中にいるような気になったものだよ。
いや、実際、あの頃の日々はルイス・キャロルやコナン・ドイルの小説そのものだった。
いろいろな奇妙なことが起こった。起こりすぎて奇妙と思えなくなるほどだった。
その中でも一番僕の心をかき乱したのは、彼女の寝室の窓に現われた天使だった。
――あ、いや、本当に天使だったのかはわからん。
たぶん、違うだろう。もっと邪悪なものだったに違いない。けれど、その姿はまさに天使だったんだ。ひどく薄っぺらだったけれどな。
それはハムステッドの借家の寝室だけではなく、叡理が夜眠るところならどこでも現われた。ホテルの窓にも列車の窓にも飛行機の窓にも現われた。
そう、それは常に窓辺に現われて、中にいる叡理をじっと
おかしなことに、そいつは少し視点をずらして見ると、ほとんど厚みがない埃のようなものだとわかった。
だから、以前だったら、ただの窓の汚れか、目の錯覚ですませていただろう。でも、その頃は、廊下を直立して歩いていく赤い蛙だとか、書斎で写本を探し続ける半身がない尼僧といったものが毎日のように現われていたから、それもそうしたものの一つだと思ったんだ。
実際、それは少しずつ動いていた。蛙や尼僧に比べれば微々たるものであったが、確かに動いていた。
初めは壁の染みや木の節穴が人の顔に見えるシミュラクラ現象の一種だろうと面白がっていたんだが、動いていることがわかると急に不気味に思えてきた。窓を擦り抜けて、室内に入ってくるんじゃないかと思えたんだ。
彼女にも言うべきか、僕は迷った。病いのせいもあって叡理はとても神経質になっていたから、そんな不安を煽るようなことを言って、彼女の心の負担を増やしたくなかった。
できれば叡理をその天使から遠ざけておきたかったが、どこに行ってもそいつは窓の外に姿を現わすし、叡理は窓のない部屋を極端に嫌がったので、どうしようもなかった。
窓を開けて追い払おうかとも思ったが、かえって引き込むことになりそうでできなかった。対処に困って悩んでいると、察しのいい叡理が、こう言ったんだ。
「窓の子のことが気になるのでしょうけど、そのまま放っておいて。あれは死の天使なのよ
「死の天使? 君を連れに来たのか?」
僕は驚いて、そう聞き返した。笑止にも、もし彼女が「そうだ」と言ったなら、僕はそれと戦うつもりだったんだ。
しかし、彼女は弱々しく頬笑んで首を横に振った。
「違うわ。あれは、私の眷属のようなものよ。私の死が近づいたから、手伝いのためにやって来たの。だから、私の命令がなければ、中に入ってくることはないわ」
確かにその〝天使〟は、少しずつ位置や姿を変えながら叡理のことを見ていたが、ただそれだけのことで、中に入ってきたり何かを言ったり行なったりすることはなかった。ただ、それでも気持ちのいいものではなかったがね。
それからしばらくすると、叡理の体調がさらに回復して、帰国できる程度になった。そこで僕が先に帰国して、新居を探すことになった。叡理の実験の最終段階を行なうための館だよ。
旅立ちに際して彼女は、新居とは別にもう一つ物件を探すよう、僕に命じた。それには条件がいくつかあって、その一つが、明治期に建てられた修道院の廃墟というものだった。
さすがに、その条件には途方に暮れたよ。いくら金を湯水のように使えるからといって、明治期の修道院の廃墟なんて買えるものとは思えなかったからだ。いくら廃墟になっていても文化財に指定されていているだろうし、教団や信者の反対もあるかもしれない。
しかも、叡理は、人里から離れた場所にあるとか、近くに修道士の墓所があるといった、細かい条件もつけたんだ。
そんな都合のいいものがあるわけない、僕がそう言うと、叡理は笑って「大丈夫、私があると言うからには、きっとありますから」と自信満々に言うんだ。そして、探す手順まで教えてくれた。
実際、彼女の言うとおり動いたら、まるであらかじめ下準備がされていたみたいにとんとん拍子にことが進んで、気づいたら廃修道院の所有者になっていたよ。
――そう、それがここだよ。
彼女の指示を受けてから購入に至るまで、その過程にはちょっとした冒険譚もあるんだが、話が終わらなくなってしまうから、次の機会に話そう。
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