血の契約と祓魔の闇ー2

 まさかこんなことになるとは思ってもみなかった。

 絶対的に優位な立場にいたはずなのに、少しの不運で形勢逆転された。

 まだ力が完全に回復していなかったのに、焦って人間界に戻ったのがいけなかった。

 落ちた時に手を骨折していなければ、今頃琴禰は暴発し、あやかし国に甚大な被害をもたらすことができたのだ。


(おのれ、あやかし王、絶対に許さない。だが、あの強大な力。葬り去ることができないなら、手下となり人間界の頂点に僕が君臨するのも悪くない)


 澄八は口の端を歪め、腹黒い笑みを浮かべた。

 その時だった。

 屋敷の外で何やら言い争いになっている複数の声がした。


「どうしたのかしら」


 桃子は立ち上がり、外の様子を見に行こうとして襖に手をかけた。


『ぎゃー!』


 まるで断末魔のような悲鳴が聞こえた。


「お母親の声だわ!」


「待て!」


 桃子は声のする方に駆け出して行きそうだったので、澄八が止める。


「何が起きているのかわからない。桃子は僕を抱えて裏口から逃げろ」


「私一人ではとても……」


「式神を作ればいいだろ。早く!」


 桃子は軽く頷くと、震える手で着物の衿に手を入れる。祓魔師はたいてい何かあった時のために形代を肌身離さず持つしきたりがある。

 桃子は形代を取り出したものの、手が震えてしまって、床に落としてしまった。


「何をやっている! 急げ!」


 澄八に叱責された桃子は、涙目で形代を拾う。

 すると、襖が壊れるくらい大きな音を立てて開かれた。

 先頭に腰の曲がった大巫女。それに付きそう麻羅。

 そして後ろには祓魔五人衆の姿があった。しかし、今は澄八がいないので四人衆となっている。

 祓魔四人衆の中でも一番力の強い屈強な熊野久の手には、血に濡れた大きな日本刀があった。いましがた、誰かを殺してきたのは一目瞭然だった。

 桃子は畳に膝をつきながら、恐怖に満ちた目で彼らを見上げる。


「まさか、お母親を殺したの?」


 震える唇で問うと、日本刀を持った熊野久が自慢気に答えた。


「母親のみならず、家政婦も父親も皆殺しにしてきたぞ!」


 桃子の目は絶望に染まる。そして、次は自分の番であることを悟った桃子は、立ち上がって逃げ出した。


「待て、俺を置いて行くな!」


 澄八が叫んだ瞬間、桃子の背に深々と刀が突き立てられた。


「逃げられると思うなよ。一家全員皆殺しだ」


 熊野久は舌なめずりをして、突き刺した日本刀を引き抜いた。その瞬間、血しぶきが部屋中に広がり、澄八の顔に鮮血がかかった。

 血だまりの中に横たわり、絶命した桃子を見て、澄八は祓魔一族に裏切られたことを知る。


「僕は祓魔のために尽くしてきたのですよ! それなのにどうして!」


「祓魔のためとは笑わせる。お前はいつだって自分のためじゃ」


大巫女が侮蔑の眼差しで澄八を見下ろす。


「大巫女様は我々に嘘をついていたのだ! あやかし王は厄災などではなかった。それなのにお前たちはまだ大巫女様に仕えるのか⁉」


 大巫女を説得するのは無理だと思った澄八は、祓魔四人衆に向かって言った。

 すると、年長者で祓魔五人衆をいつもまとめていた活津が、冷淡で底意地の悪い顔を浮かべながら答えた。


「確かに祓魔の中では大巫女様に異を唱える者が出てきたようであるが、我らは大巫女様の考えを支持する。妖魔が街に溢れかえれば、我らに頼らざるを得ないだろう。我らの時代の幕開けだ」


 澄八は絶句した。

 しかし、もしも澄八が動けていたら、彼らの考えに同調していた。だが今は、その考えを認めることはできない。自分の命が懸かっているのだから。


「ぼ、ぼ、僕を殺しても、あやかし王は死なない! それどころか琴禰を殺され、あやかしの国も破壊されたら、あやかし王は怒って祓魔を潰しに来るかもしれない!」


「否、あやかし王に会うて確信したぞ。あやつは琴禰に心底惚れておる。血の契約が発動されたら、己の命が犠牲になろうとも、琴禰を守ろうとするであろう。琴禰の元に、あやかし王がいる今が絶好の機会なのじゃ」


「で、で、でも、でも!」


 動けない澄八は、必死に大巫女を説得しようと頭を回転させる。


(考えろ、考えろ! 俺の一番の武器である頭は動く。殺されてたまるか!)


「澄八よ、お前は自分が賢いと思っておるな。だが、お前はただの小賢しい男に過ぎない。血の契約が長年禁忌とされた理由が分からないのじゃろう? こんなに便利な術なのに、なぜ誰も使ってこなかったのか。あまりにも危険な術で、その強大な力ゆえ、命を奪われる者が後を絶たなかったからじゃ。人智を超越した力を浅はかに使うとどうなるのか。それが分からないとは、愚かな童よ」


 大巫女は不気味に微笑み、日本刀を持った熊野久が澄八に近付く。

 澄八は、嫌だ嫌だと駄々をこねる子どものように首を振り、顔面蒼白で半狂乱となった。


「やめろ、やめろ、やめろぉ~!」


 澄八の絶叫と共に、胸に日本刀が突き刺さる。そして、血の契約は発動された。

 

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