血の契約と祓魔の闇ー1

 なんとか結界を破って外に出ようとしていた琴禰は、体力を使い果たし座り込んでいた。


(どうすればいいのだろう。いつ力が発動されてもおかしくないのに)


 焦燥感が増すが、力が発動される気配はない。

 澄八はもう人間界に降り立ったはずなのに、おかしい。


(裏切りに気づかれた今、私を生かしておく理由なんてないのに。むしろ、早々に始末しておきたいはず)


 澄八の考えがわからない。先延ばしされればされるほど、悪い方向に進んでいるような気がして怖かった。

 そんな時、遠くに行ったのか気配のしなかった煉魁が、宮殿に戻ってきた。


(煉魁様! 私に近付かないで!)


 琴禰は強く願ったが、煉魁は迷うことなく寝室に入って来た。


「お待たせ、琴禰」


 煉魁はとても優しい声で言った。琴禰を労わる気持ちが感じられて、再び涙が溢れてくる。


「近寄らないでください!」


 琴禰は自分の体を抱きしめ、大きな声で叫んだ。


「もう大丈夫だ。澄八は俺が拘束した」


 涙を流しながら、顔を上げる。言葉の意味をはかりかねていると、煉魁は慈しむような眼差しで琴禰に近付いてきた。


「血の契約は発動されない。もう恐れなくていいのだ」


「どうしてそれを?」


 煉魁は座り込んでいる琴禰を、そっと包み込むように抱きしめた。


「人間界に行って、全てを聞いてきた。契約の発動には術式が必要となる。おそらく澄八は手を使って術を使うのだろう。澄八は手を骨折して術が使えなくなっていた。だが念のため、体を動かせないようにしてきたから、あいつは一生術を使えない」


 琴禰は煉魁の胸の中で、何度も瞬きをした。

 確かに澄八は、というか祓魔師たちは術式を行うときに、指に印を結んで構える。式神など高度な術式は、白紙などを用いる必要がある。

 琴禰は力が強いので、あやかしのように術式を用いなくても力を使うこともできるが、それは異能だからだ。

 術を使わずに車を持ち上げることができ、祓魔の力では考えられないことをやってしまったから排除された。

 血の契約を発動させるという大きな力が必要な時は、澄八の力では術式を用いず発動させることはできないだろう。

 どうして澄八は力を発動させなかったのか理由がわかったけれど、体を動かせないようにしてきたとはどういうことなのだろう。


「腕を拘束してきたのですか?」


「いや、念のため手足も動けなくさせてきた。まあ口は動くので餓死することはないだろう」


 なかなか非道な行いだ。つまり、澄八は一生寝たきりの状態になったということだ。


「だからもう、恐れることはない。安心して俺の側にいろ」


にわかには信じがたいことだが、力の発動がされないということが、煉魁の言葉が真実であるという何よりの裏付けだ。

 琴禰は体から力が抜けていくのを感じた。


「煉魁様、嘘をついていて申し訳ありませんでした」


「何を言う。一番辛かったのは琴禰だろう?」


 煉魁の言葉に、琴禰の目から温かな涙が零れ落ちる。


「離縁してくださいって言ってごめんなさい」


「うん、もう二度と言うなよ」


 離縁に関しては煉魁も相当まいったらしく、苦笑いしていた。

 琴禰を心から大切に思っていることが伝わってくる。


「お側にいてもいいのですか?」


 琴禰は潤んだ瞳で煉魁の顔を見上げる。


「ああ、一生側にいろ」


 煉魁は琴禰の唇を奪うように口付けした。



 ―― 人間界。

手足がまったく動けなくなった澄八は、灰神楽家に運ばれ、布団に寝かされていた。

 絶望の淵の中で、澄八は諦めてはいなかった。

 不幸中の幸いか、頭と口は動く。起死回生の一手はないかと思考を巡らす。

 そして桃子は、寝たきりとなってしまった婚約者を見捨てなかった。

 我儘で見栄っ張りな桃子の性格上、寝たきりとなってしまった男など早々に捨てるかと思いきや、優しく介抱する姿を見て、両親たちは胸を痛めながらも感心していた。

 昔から桃子には甘かった両親なので、澄八が寝たきりとなってしまっても、桃子がそれでも一緒になりたいと言うなら受け入れてやろうと話していたほどだ。


「澄八さん、お粥を持ってきました」


 お盆の上に、小さな土鍋と取り皿を載せ、桃子は部屋に入ってきた。

 顔は動かせるので、横に向ける。


「桃子が作ったのか?」


「いえ、お手伝いさんが作ったものです」


「そうか、それならいただこう」


 以前、桃子が作ったものを食べて大変な思いをしたことがある澄八は、桃子の料理を警戒している。

 桃子も料理は大嫌いなので、『もう作らなくていいよ』と澄八に言われて、ほっとしていた。

 桃子は畳の上にお盆を載せると、粥を取り皿によそい、ふうふうと息を吹きかけた。

 そして澄八の上半身を起こし、背中を壁にもたれかけさせて、痛くないように壁と腰の間に毛布をいれてやる。

 これだけで大変な重労働だ。桃子は額にうっすら汗をかきながら、冷ました粥を匙に掬って、澄八の口に入れる。


「熱くはないですか?」


「うん、ちょうどいい」


 桃子は安堵の笑みを漏らすと、再び粥に息を吹きかけた。


(桃子にこんな面があるとは、意外だな)


 家事能力皆無で、贅沢好きな我儘娘。

 正直にいって、結婚にはあまり乗り気ではなかったけれど、こんな体となってしまった今、選り好みしている場合じゃない。


(桃子を俺の手足として使い、血の契約の失効方法を調べさせるか)

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