人間界ー2
煉魁は顎に手を当て考え込んだ。
澄八を殺せば琴禰も死ぬ。
だが、放置していれば澄八が力を発動させて琴禰は死ぬ。
そして琴禰の力が暴発すれば、あやかしの国はただでは済まないだろう。
(なるほど、琴禰が守ろうとしていたのはこれか)
泣きながら離縁してくれと懇願してきた琴禰の様子を思い出し、その隠された思いに胸が痛くなる。
「琴禰が死んだら契約はどうなる?」
「その場合は、契約は失効。互いの寿命が尽きても同じことじゃ。血の契約はあくまで当人同士の意思が尊重される」
大巫女の言葉に、煉魁は苦々しげに口の端を上げた。
「当人同士の意思ね。そのわりにはあまりにも琴禰が不利ではないか?」
「血の契約を持ちかけたのは澄八じゃからな。澄八が得になるように契約を結ぶのは当然じゃ」
「僕のためというよりも、祓魔一族のためですよ。それに、琴禰は契約を拒むことだってできた。最終的に同意したのは琴禰自身です」
澄八は得意気に胸を張る。
「なぜ琴禰は同意した」
煉魁の言葉に、皆が一様に目を泳がせた。
真実を言えば、煉魁が激昂するのが想像できたからだ。
「それは……」
大巫女が答えようとすると、澄八が被せるように言葉を遮ってきた。
「僕が答えましょう。祓魔を滅亡に導く厄災だと言われた琴禰は、その汚名を払拭するために血の契約を結んだのです。祓魔にとって厄災ではないと証明するためには、それほど大きな覚悟を示す必要があったからです」
「殺されかけていたからか?」
「そうです、琴禰が生き延びるために必要な提案でした」
澄八は、血の契約を結んだのは琴禰を救うためでもあったと煉魁に思われるように、巧妙に先導していた。
「そもそも、なぜ俺を倒す必要がある。俺が死ぬと困るのは人間たちの方だろう?」
煉魁の言葉に、村人たちはざわついた。
あやかし王が死ぬと人間が困るなんて聞いたことがなかったからだ。
「え、いや、厄災を落としているじゃないですか」
戸惑いながら答える澄八に、煉魁は真実を告げる。
「何のためにそんなことをするのだ。俺はそんな嫌がらせをするほど暇ではない。いや、暇ではあるが、そんな悪趣味はない。むしろ妖魔が人間界に行かぬよう牽制している。俺がいなくなったら人間界は妖魔だらけになるぞ」
初めて聞く話に、澄八含め、村人たちは
これまであやかし王は醜い怪獣のような姿をしていると聞いていたのに、目を奪われるほどの美しさだったし、言い伝えは嘘だったのかと疑い始めていたのだ。
「妖魔が人間界に来て何が悪いのじゃ。それこそ祓魔の出番ではないか。妖魔を退治できるのは祓魔だけ。祓魔一族は人間界で大いなる力を発揮し、絶大な権力と金を手に入れることができるのじゃ」
大巫女の言葉に皆が驚いた。大巫女の側で仕えていた麻羅が、信じられないと言った顔で問いかけた。
「大巫女様は、全てをご存知だったのですか?」
「ふん、愚問じゃ」
皆は顔を見合わせてひそひそと話し出した。
人間界に厄災をもたらすあやかし王を討ち取ることが、祓魔一族の念願だった。しかし実際は、妖魔という厄災が人間界に降り立たないように守ってくれている存在だった。
「意思一つで契約が発動されると言っていたが、発動の際に術式は使わなくても可能なのか?」
煉魁の問いの答え方いかんによっては、自分にとって不利になることに気が付いた澄八がすぐさま答える。
「はい。血の契約は意思に反応して効力を発揮します。琴禰が僕を殺そうとした時も、意思に反応し血が固まりました」
「つまりは、逆にいうと意思が絡まらなければ血の契約は発動されないのだな。琴禰が自分から命を絶とうとすれば血の契約がそれを制するが、殺されたり、力尽きて死ぬ場合にはそれは発動されない」
「そういうことです」
煉魁は、初めて出会った時に琴禰が死にかけていた時のことと、殺してくださいと懇願された時のことを思い出した。
血の契約は、あくまで当人同士の契約。外的な力は関係しない。
「ふむ、大体のことはわかった。ゆえに、お前はもう用無しだ」
煉魁が手をかざすと、澄八の体は見えない紐で拘束されたかのように動けなくなり、倒れ込んだ。
それと同時に結界は解かれ、逃げ出すことができなかった村人たちは四方八方に駆け出した。
「何をした!」
澄八が叫ぶと、煉魁は冷酷な眼差しを向ける。
「要はお前を動けなくして寿命が尽きるのを待てば良いのだ」
「そんなことをしていいと思っているのか⁉ 僕の意思一つで琴禰の命はないのだぞ!」
すると煉魁は見下すように微笑んだ。
「動けなければ術を使えないのだろう、お前は」
澄八は目を見開いて、青ざめた。
「意思一つで発動ができるのであれば、人間界に降り立った瞬間に発動していたはずだ。しかし、お前はしなかった。小賢しく慎重なお前が発動を遅らせた理由は、術を使えなくなっていたから。その腕の怪我のせいだ、違うか?」
幼稚で愚かな王だと侮っていたが、全てを見破られていたことを知った澄八は、悔しさに歯を食いしばった。
「それに、お前が嘘をついたとき、村人たちは俺から視線を外した。実にわかりやすい」
村人たちが逃げないように結界を張っていたのはそのためだったのかと澄八は驚いた。
能ある鷹は爪を隠す。賢い者ほど普段は愚かに振る舞うものだと思い出したが、後の祭りだ。あやかし王は澄八より、一枚も二枚も上だった。
「仮に今後、何らかの手段で術が使えるようになり、琴禰の力を発動させたら、俺は必ずお前を殺す」
煉魁は怒りに満ちた目で澄八を見据えた。
琴禰を殺すことは、すなわち自分の命を失う引き金となる。そう理解した澄八は、恐怖に慄いた。
「さて、それではあやかしの国に戻るとするかな。琴禰を安心させて思いっきり愛するとしよう」
先ほどまでの残忍な表情と打って変わって、煉魁は嬉しそうに頬を緩ませた。
「待ってください! 琴禰の力を発動させないと誓います! だから動けるようにしてください!」
澄八は無我夢中で切願した。
「信じられぬ」
煉魁は一刀両断した。
「血の契約を失効させる方法を考えます。だからどうか……」
「俺は今すぐ帰りたい。動けるようになりたければ死ぬ気で失効させる方法を見つけることだな」
「必ず見つけます! だから……」
澄八が言い終わらないうちに、煉魁は飛び立った。
後に残された澄八は横たわりながら、いつもと変わらぬ空を仰いだ。
「くそう!」
澄八の怒りに満ちた悲痛な叫びは、祓魔の村に響き渡った。
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