人間界ー1
煉魁は、あやかし国を飛び立つと、人間界に降り立った。
黒い羽目板のある木造の蔵が立ち並び、タイヤが三輪の車が石畳の街道を走っている。
若い女性は袴を着て、楽しそうにお喋りに興じていた。男性は和装や洋装が入り混じり、学ランに高下駄を履いて音を鳴らして闊歩している者もいる。
そんなところに、銀色の長い髪をした眉目秀麗な男性が、薄い紫を帯びた白地の着物で立っているのだから異様に目立つ。
煉魁は周囲の街並みを一瞥すると、「ここじゃないな」と一言呟いて飛び立った。
いきなり人間が空を飛ぶように移動していったので、そこにいた人々は騒然となった。
一足跳びをして向かった先は、祓魔一族の住む山奥だった。
(ここが琴禰の生まれ育った場所か)
さきほど煉魁が降り立った都会とは違い、静かでのどかな場所だった。
煉魁がどこに行こうか逡巡していると、集落の中でもひと際大きな屋敷から澄八の気配を感じた。さらに、多くの村人が集まっているらしく、祓魔の力がその屋敷に集中していた。
(何をやっているのだ?)
煉魁は気配を消して大きな屋敷の外に降り立つ。
中では数十人の村人が一堂に会していた。集落の中で一番大きな屋敷とはいえ、あやかしの御殿ほどの大きさはないので、人々はぎゅうぎゅう詰めで座っていた。
部屋の一段高くなった上座には、老輩の女性が鎮座している。
そして、その側には腕に包帯を巻いた澄八が神妙に座っていた。
(なんだ、あいつ。降り立つのに失敗して怪我したのか。間抜けな奴だ)
恋敵の不運に溜飲が下がる。
何を話しているのか耳を澄ませると、琴禰と自分に関することだったので、心臓が大きく脈打った。
「琴禰が裏切ったというのは本当か!」
祓魔五人衆のうちの一人、右眼に眼帯をした肉付きの良い建比良が野次を投げるように言った。
「はい。琴禰は、あやかし王と結婚していました。最初は血の契約を遂行するためだと思ったのですが、どうやら本気で恋に落ちてしまったようです」
澄八の言葉に、煉魁は眉を顰める。
(裏切り? 血の契約? 琴禰は澄八と駆け落ちするのではないのか?)
家族含め、祓魔一族に殺されかけたと聞いていたので、琴禰は祓魔には戻らず、澄八と駆け落ちのような形で暮らす予定だと思っていた煉魁は、話の内容についていけなかった。
「あやかし王に恋をしたじゃと? やはり琴禰をあの場で殺しておくべきだったのじゃ。あの女は祓魔を滅亡に導く厄災じゃ」
老婆の言葉に、煉魁は怒りが湧き上がる。
今すぐ部屋に乗り込んで、祓魔一族を根絶やしにしてやりたいほどだ。
「お言葉ですが、大巫女様。あの場で琴禰に攻撃をしていたら、殺されていたのは我々ですよ? それはここにいる皆さんも分かっているでしょう?」
澄八の発言に、村人たちは目を逸らして黙り込む。
「だが、琴禰と、あやかし王が手を組んだら、我々などひとたまりもないでしょう。現状はむしろ悪化しているのでは?」
村人の一人が言った。すると澄八は勝ち誇ったような顔で語り出した。
「あやかし王はまだ何も知りません。僕が琴禰の力を暴発させればいいのです。そうすれば、あやかしの国に甚大な被害をもたらすことができて、なおかつ琴禰の命も奪えます。あやかし王は琴禰を寵愛しているので、もしかしたら琴禰を助けようとして自らの命を犠牲にする可能性だってあり得ます」
(なんという男だ)
ここまで性根が腐った男だとは思わなかった。琴禰が何と言おうと、絶対にこの男の元にだけは行かせられない。
「あやかし王が人間のために犠牲になるわけがないだろう」
屈強な体の熊野久が心底あざ笑いながら言った。
澄八はむきになって反論する。
「二人は心の底から愛し合っていました。琴禰は、あやかし王を守るために自らを犠牲にして、僕を殺そうとまでしたのです。あの虫一匹すら殺せない軟弱な琴禰が、ですよ?」
「それは琴禰の話であって、あやかし王まで琴禰を心から愛しているとは限らないだろ」
「いいえ、あやかし達の話によると、あやかし王の方が執心しているそうです。国中から反対されても琴禰の結婚を押し切ったらしいです。琴禰のためなら何でもしそうなくらい溺愛しているように見えました」
村人たちは顔を見合わせて、二人の話を聞きながら首を傾げている。半信半疑といった様子だ。
一方、澄八の言葉を聞いた煉魁は、手で口を抑え呆然としていた。
(琴禰が、俺を守るために澄八を殺そうとした?)
愛し合っているのではなかったのか。
澄八と結婚したいから離縁してくれと頼んだのは嘘だったのか。
なぜあんなに泣いていた。
琴禰は、何を守ろうとしていたのだ。
煉魁は我慢できなくなって、風を切るように手を下から斜め上に掲げた。
すると、強烈な突風と力で屋敷の瓦屋根が吹き飛んだ。
壁もろともなくなり、村人たちは呆気に空を見上げる。
煉魁は彼らの頭上に飛び、冷酷な瞳で見下ろした。
「あれは?」
村人が煉魁に気が付き、指をさす。
「あやかし王!」
澄八が恐怖の面持ちで声を上げた。
「あれが、あやかし王? まるで人間みたいじゃないか」
活津が信じられないものを見るように言った。
言い伝えとは、まるで異なる姿に、恐怖よりも驚きが勝っているようだ。
「血の契約とはなんだ。答えなければ、今すぐお前たちの息の根を止めてやる」
煉魁は眉間に縦皺を入れると、剣幕を抑えた声で言った。
村人たちはようやく自分たちの置かれている状況を理解し、悲鳴を上げて逃げようとしたが、見えない結界が張られていて、逃げ出すことができない。
「血の契約は決して破ることのできない誓約じゃ。琴禰は自らが助かるために、あやかし王を倒すという血の契約を結んだのじゃ」
大巫女が立ち上がり、煉魁を見上げて言った。
「契約を破ろうとするとどうなる?」
「その者の意思に関係なく契約は発動される。琴禰は澄八と契約を結んだので、澄八の意思一つで琴禰の力は暴発する」
大巫女の言葉に、澄八は得意気な笑みを漏らした。
「暴発すると琴禰は死ぬのか?」
「そうじゃ」
「契約を失効させるためにはどうしたらいい?」
「契約者を殺せばいい」
淡々と言った大巫女の発言に、澄八はぎょっとなり、慌てて言葉を付け加える。
「僕を殺したら、その瞬間に血の契約は発動されて琴禰も死にますよ!」
この契約は澄八に得のように思えるが、殺される危険もはらんでいる。
琴禰が死んでほしくない者にとっては澄八の盾となるが、逆に琴禰に死んでもらいたい者にとっては剣となる。琴禰を殺すことより、澄八を殺す方がたやすいからだ。
「ふむ、なかなか厄介だな、血の契約とやらは」
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