私と離縁してくださいー2


「琴禰! 大丈夫か⁉」


 琴禰の体調が優れないと聞いた煉魁は、仕事を早々に切り上げて宮殿へと駆けつけた。

 いつも二人で寝ている寝室ではなく、宮殿の端にある畳敷きの小部屋に布団を敷いて、琴禰は横になっていた。

 額には大粒の汗をかき、呼吸が乱れている。とても辛そうな様子に、煉魁は胸を痛めた。


「一体琴禰に何があった⁉」


 あやかしの侍医に煉魁はきつく問う。

 白い髭をたくわえた侍医は、ふさふさの髭を所在なげに撫でながら言った。


「それが理由はわからないのです。食中毒に似た症状なのですが、琴禰様と同じ食事を召し上がった方々はなんともないので、考えられるとしたら毒を盛られたか」


「毒だと⁉」


 煉魁はこめかみに青筋を立てて言った。


「しかし毒であれば遅くとも三十分から一時間くらいで症状が現れるはずなのですが、琴禰様が食事を召し上がられてから数時間は経っております。これほど長い潜伏期間で、このような急性期のような症状で発症する毒を私は知りません」


 煉魁は眉を顰めたまま、心配そうに琴禰の頭を撫でた。


「かわいそうに、こんなに苦しんで」


「解毒剤や嘔吐剤は飲ませたのですが、なかなか吐く気配がなく……」


 侍医は困ったように言った。


「命は大丈夫なのか?」


「胃の中のものをすっかり吐いて、数日安静にしていれば問題ないでしょう」


「そうか。ところで、なぜ琴禰はここで寝ている? 寝室の方が広く寝心地も良いだろう」


「それは琴禰様のご希望です。厠に近い所で、ゆっくり一人で寝たいとおっしゃっておりました。私もここの方が何かと便利だと思います」


「なるほど」


 琴禰は吐き気を猛烈に我慢している状態なので、言葉を発することができなかった。

 吐いたら楽になることは分かっているが、楽になってしまっては計画が潰れる。

 水仙には毒がある。猛毒なのは球根で、葉はそこまで毒性はないと思っていたが、実際に口に入れると気が飛びそうになるくらいの苦しさだった。


「大丈夫だ、琴禰。俺が今、楽にしてやるから」


 煉魁は琴禰の頭に手を添えると、ほんのり温かい光を放った。


(え⁉)


 これに困ったのは琴禰だった。治されては意味がない。煉魁は治癒の力も使えることを失念していた。


「完治まではいかないが、だいぶ楽にはなっただろう?」


 琴禰の額に浮かんでいた大粒の汗は消え、はち切れそうな頭痛も弱まった。


「煉魁様……」


「うん、ゆっくり休め」


 煉魁はとても優しい表情で琴禰の頭を撫でた。強烈な吐き気と頭痛がおさまったら、急激に眠気が襲ってきた。

 瞼を閉じると、安心したように煉魁と侍医は部屋を出て行った。

 本当に寝てしまっては、待ち合わせ場所に行くことができないので、気力で起きていた。あとは時間を見計らって外に出るだけだ。

煉魁は心配そうに度々琴禰の顔を見にきたが、寝ているのを邪魔してはいけないと思ったのか長居せずにすぐにいなくなった。

 そして夜は更けていき、煉魁も寝室で寝入ったことを気配で感じ取った。


(今よ)


 琴禰はおもむろに起き上がると、人型に切り取った白い紙を取り出した。

 祓魔一族の最も得意とする術式、式神だ。

紙に力を込めると、小さな人型の紙は、どんどん大きくなり人間の姿となった。そしてその姿は琴禰そっくりだ。


「あなたはここで寝ていて」


 琴禰の形をした式神は返事をすることなく、布団に潜り込み目を瞑った。


(式神は喋れないけれど、寝ているだけなら気付かれないでしょう)


そして琴禰は自分の気配を完全に消し、部屋を出て行った。

外に出る前に、厠で胃の中のものを全て出し切った。強烈な吐き気はおさまったが、まだ頭は朦朧としている。体の中に毒が吸収されてしまったらしい。しばらく引きずりそうだが、こうもしないと煉魁の目を欺くことはできなかった。


(ごめんなさい、煉魁様)


 心の中で煉魁に詫び、そして白木蓮が咲いている場所へと向かった。

夜は更け、真っ暗な宮中で中空の細い月の明かりだけが闇を照らしている。夜の底冷えは、吸う息が胸を刺し、体の弱った琴禰には沁みた。

月明かりの下で、白木蓮の花びらが空に向かって咲いていた。高木は堂々と梢を突き立て、涼やかな風が純白の大輪を揺らし、香を吹き送る。

 その大木の下で、澄八が腕を組んで物憂げに立っていた。


「遅かったね」


「申し訳ございません。煉魁様が寝静まるのを待っていたものですから」


 水仙の毒と式神を使ったことを話すと、澄八は満足気な笑みを見せた。


「さすがだね。そこまでして僕に会いたかったの?」


 澄八は琴禰の頭を撫でた。


「……はい」


 ここまで自分の体を犠牲にしたのは、澄八のためではなく煉魁のためだ。

 血の契約は発動させない。命を懸けても煉魁を守る。


「じゃあ、僕に口付けして」


「え⁉」


 耳を疑った。まさかそんなことを要求されるとは思ってもみなかった。


「僕が好きなのだよね?」


 澄八はまるで琴禰を試すような鋭い目付きだった。


「あ……でも、さっき胃の中の物を全部吐いてきたので」


 澄八は汚そうに顔を顰めた。

 吐いていて良かったと心から思った。


「ねぇ、琴禰。本当に僕のことが好きなの?」


 澄八は琴禰に距離を詰めてきた。

 琴禰は目を泳がせて、半歩下がる。


「あの、臭いのであまり近づかない方が良いかと。好きな方を汚したくはありません」


 疑われないように、澄八のことを好きだと嘘をついた。

 しかし、澄八はさらに鋭い目付きで空いた距離を詰めてくる。


「琴禰が好きなのは、あやかし王でしょ?」


確信を突かれて、背筋が凍った。


(どうしよう、気づかれていた)


「そんなわけありません」


 琴禰は半笑いで澄八の目をじっと見つめて言った。


(絶対に隠し通すのよ)


 嘘は苦手だが、ここは何が何でも嘘を貫き通さなければいけない。

 煉魁につく嘘と違って、罪悪感はなかった。


「では証明してみせて」


「証明と言われましても、何をすれば?」


「今宵、あやかし王を殺すのだ」


 全身から血の気が引いた。

 震えそうになる唇から、やっとのことで言葉を吐き出す。


「今宵は無理です。私は体調が悪く、一人で寝ていることになっています。真正面から対峙しても勝てないことは澄八さんにも分かるでしょう?」


「じゃあ、明日決行して」


「でも……」


「言い訳はやめろ!」


 澄八に怒鳴られて、恐怖に慄いた琴禰の肩が上がる。


「僕はもう帰らないといけない。あやかし王の首を祓魔への土産として持って帰りたい」


煉魁の首を持って高笑いをする澄八の姿を想像し、心の奥底まで冷えびえする思いだった。


(そんなこと絶対にさせない)


「善処しますが、あやかし王は勘がとても鋭く、私が不穏な動きをすると起きてしまうのです」


琴禰の嘘に、澄八は不敵な笑みを浮かべながら、琴禰の白磁のような滑らかな頬に指を這わせた。


「あやかし王の隣ですやすやと寝ている琴禰の力を、僕が強制的に発動させたらどうなるかな?」


あまりに恐ろしい言葉に、琴禰は目を剥く。同時にくすぶる熾火のような怒りが体を熱くさせる。


「あやかし王に重傷を負わせることができるだろう。それに、あの無駄に絢爛豪華な宮中も吹っ飛び、多くのあやかし達は死ぬ。これは祓魔の歴史の中でも大健闘だ。やる価値は大いにある」


「つまり、私に死ねと?」


 力の強制発動はすなわち、自爆のようなものだ。


「僕がこの国にいるうちに、あやかし王を仕留めないのならそうなるな」


 澄八は琴禰の退路を奪った。

 裏切れば死が待っていると、暗に匂わせていた。


(このまま穏やかで幸せな日々を過ごしたいと願うのは、しょせん叶わぬ夢だったのね。煉魁様を傷つけようとする者は誰であっても許せない)


 ふいに脳裏に浮かんだことは、とても恐ろしい行為だった。

 これまでの琴禰なら、絶対に思い浮かばない考えだ。

 叶わぬ夢を叶える方法。それは……。


(彼を殺すしかない)

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