私と離縁してくださいー1
澄八は苛々していた。
あやかしの国に来てから一週間が過ぎていた。その間に体力も回復し、人間界に戻れる日も近い。
それなのにも関わらず、琴禰は一向にあやかし王を討つ気配がないからだ。
機会は山ほどあるはずだった。あやかし王は琴禰に虜で隙だらけだ。
寝ているあやかし王の心臓を一刺しすれば全てが終わる。
あやかし王の力は強大で、命を奪える者などこの世に存在しないと思われているほどの絶大な権力者だが、唯一の弱点は琴禰だ。
琴禰ならば殺気を完全に消し、屈強な体に一刺しを加えられるほどの力を持っている。祓魔一族の宿願がついに果たされる時がきたにも関わらず、肝心の琴禰が何も動かない。このままでは何も起こらずに人間界に追い返される日がきてしまう。
焦る気持ちが、澄八の苛々を助長させていた。
澄八が、あやかしの国に来ることになったのは、琴禰の様子を探るためだった。血の契約を結んでいるので、琴禰が死んでいないことは澄八には分かる。
琴禰が、あやかしの国に行くときに作った縄のように細い道を辿り、命からがらやってきたのである。
当初は祓魔五人衆であやかしの国に乗り込む算段だったが、澄八以外は途中で力尽きた。
澄八も、琴禰と血の契約を結んでいなければ辿り着くことはできなかっただろう。縄は澄八を受け入れ、手の平に吸い付くように澄八を補助した。なぜなのかはわからないが、考えられるとすれば血の契約しか思い浮かばない。
永遠に続くかのように思われた縄を辿って登る作業は、凄絶な鍛錬のようだった。力尽きた者たちは落ちていったが、下には結界を敷いていたし、元々の力が強いので死ぬことはないだろう。
彩雲に輝くあやかしの国を真上に仰ぎ、下界を見下ろすと、まるで人間界が地獄のように汚れた世界に見えた。
厄災の元凶であるくせに天上の美しい場所に住んでいるなど図々しい奴らだ。一刻も早く殲滅し、人間界に平和を届けてやりたい。そうすれば自分は英雄となり、祓魔で一番の権力者になれるだろう。
人々から崇拝され、富も権力も手にした自分の姿を想像した澄八は、口元を綻ばせた。
しかし、なかなかその日はやってこない。
澄八との結婚を匂わせれば、琴禰は喜び勇んであやかし王を倒すと思っていた。
嫌々あやかし王と結婚したと思っていたが、あやかし王を見つめる琴禰の顔は、まるで恋する乙女のように幸せそうだった。
最初は反対されていた二人の結婚も、祝福するような雰囲気になっているという。
二人の仲睦まじい様子が周りを変えた理由のようだ。
そして、澄八はようやく、ある一つの仮説に辿り着く。
(琴禰は、あやかし王に恋をしているのではないか)
そう考えると、全ての辻褄が合う。
殺す機会は山のようにあるのに、決行しない理由。あやかし王より優位な立場にあるはずなのに、なぜか負けているような気持ちになること。
苛立ちや悶々とする気持ちの背景には、琴禰の裏切りが影響しているのかもしれない。
(血の契約を破るつもりか)
澄八は段々と怒りが募っていった。
(もしも裏切るつもりなら命はないと思え)
◆
琴禰は一枚の文を手にしながら、思案に暮れていた。
庭園の片隅で腰をおろしながら、一人ぼうっと空を見上げる。風がさやさやと草木を揺らしていた。
文にはこう書いてあった。
『今夜、白木蓮の木の下で待っている。澄八』
まるで恋人同士が逢引きするような内容だ。
澄八は、あやかし国にいるにも関わらず、会うことはほとんどなかった。
琴禰があまり出歩かないからという単純な理由と、煉魁が澄八を琴禰に近づかせないようにしていたためだ。
澄八は王の宮殿には立ち入るどころか近寄ることさえ禁止されているにも関わらず、あやかしの警備をかいくぐって琴禰に文を届けに来たのである。
いつものように庭園の手入れをしていた琴禰の前に突然現れ、文を手渡して颯爽といなくなってしまった。
そんな状態で渡されたので、内容を断ることもできず琴禰は困っていた。
(夜に一人で出歩いたりしたら煉魁様に不審に思われる)
不審どころか過保護な煉魁は、心配して付いてきてしまうだろう。
(かといって本当のことは言えないし)
煉魁は澄八に嫉妬している。
そんな中、『こんな文が渡されました』と言ったら、激怒するに決まっている。もちろん、会うことは禁止されるだろうし、警備も強化されるだろう。
(でも、私に会わないという選択肢はない)
血の契約を交わしている以上、澄八の機嫌を損ねることは避けたい。
琴禰は血の契約を完全に理解しているわけではなかった。決して破られぬ誓いで、契約に反したら強制的に力が発動するということしか知らない。
つまり、契約違反に気づかれたら終わりだということだ。
でも、例え強制的に力を発動させても、琴禰の力では煉魁を倒すことはできない。それが分かっているから澄八も強制的に発動はしてこないのだろう。
勝機があるとすれば、煉魁が寝入ったところに不意打ちで心臓を一刺しにする。それくらいしか勝つ方法はない。
そして、その方法ができるのは妻である琴禰だけだ。
(裏切りを決して気付かれてはいけない。そのためには、この誘いを何がなんでも叶えなくてはいけない)
試されているような気がした。琴禰の真意を。
煉魁を騙して、澄八の元へ駆けつけることができるのか。
(どうやって煉魁様の目を盗み、澄八さんの元へ行こう)
琴禰は庭園に植えられている草花に目をやった。鮮やかな黄色の水仙の花が風にそよそよと揺れていた。
(これだわ!)
琴禰は意を決し、水仙の葉をちぎった。
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