お前は俺のものだー1

春夏秋冬の草花が描かれている襖仕立ての鏡面から、朝日が差し込んでいた。

 煉魁は目覚めると、頭だけ持ち上げ頬杖をつきながら、隣でしどけない姿で眠っている琴禰に目を落とした。

 長い髪の毛から少しだけ見える、白く艶やかな肌。

 毎夜堪能しているにも関わらず、目に入ると欲情してしまう。

 疲れたのか、ぐっすり眠る琴禰の頭を撫で、こめかみに口付けを落とす。

 琴禰の最近の様子がおかしい。だが、原因は分かっていた。あやかしの国に入ってきたあの優男のせいだ。

 煉魁は一目見た時から澄八が気に食わなかった。理由は本人にも分からない。強いて言うなら男の勘だろう。

 さっさと放り出してやりたいところだが、琴禰にお願いされては無下にはできなかった。

 琴禰が望むことなら、何でも叶えてやりたい。それが、自分の本意ではなかったとしても。それが、煉魁の愛だった。


 それと、もう一つ、煉魁には気になることがあった。琴禰の強すぎる力についてだ。

 出会った当初は文字通り力尽きていたので分からなかったが、琴禰の潜在能力はそんじょそこらのあやかしよりも強い。

 ほとんど力が回復してきた今では分かる。琴禰の力は強すぎる。異常ともいえる。

 力の強い宮中のあやかしでさえ倒せるほどの力を持った人間など聞いたことがなかった。

 祓魔は人間界でも特別な一族だと知ってはいたが、それにしても強すぎるのだ。


 琴禰は一体、何者だ?

 琴禰から、辛い過去のことは聞いていたが、もしかしたらもっと深い何かを抱えているのかもしれない。

 それが何か琴禰に聞いてみたいとは思うが、辛そうな琴禰の顔を見ると、かわいそうでとてもそんなことできないのだ。

 となると、聞けるのはただ一人。あやかしに入って来たあの男。

 いけ好かない奴だが、琴禰の過去を知る人物だ。何かを知っているに違いない。

 煉魁は眼光を鋭くさせ、起き上がると、鍛え上げられた体に着物を羽織った。



 煉魁は、まずは人間の男がどんな人物なのか遠くから探ってみることにした。

 男はまだ体力が回復していないにも関わらず、積極的に外に出て宮中内を探索しているようだ。

 優しそうな雰囲気と物腰の柔らかさ、そして甘い顔立ちをしているので、侍女たちの人気は高いようだ。

 しかし、男の目が笑っていないことに煉魁は当初から気が付いていた。


(胡散臭そうな男だな。だが、女はこういう腹黒い男に弱い)


 俺の方が何倍もいい男だな、と煉魁は思う。


「そういえば、あの男の名はなんだったか。すら……ちがう、すみか、するめ……」


「澄八ですよ」


「ああ、そうそう、澄八だ!」


 名前を思い出すのに没頭していたら、目の前に観察対象の澄八がいた。


「何をさっきから覗き見しているのですか、あやかし王」


「覗き見とは失礼だな。ここは俺の国だ。何を見ようと俺の自由だ」


 煉魁は澄八の前で腰に手を当て背筋を伸ばした。

 煉魁の方が炭八より頭半分くらい大きい。自らの優位性を誇示していた。


「確かに何を見ようと勝手ですが、するめはないでしょう。気になる相手の名前くらい覚えておくものですよ」


 澄八は口の片端を上げ、呆れるように言った。


「気になる? 俺がお前ごときを?」


 ごときと言われたことに、澄八は憤懣たる思いだった。

 物腰は柔らかいが、澄八は矜持がとても高い。


「僕は、琴禰の初恋の人ですから」


「琴禰の初恋?」


 煉魁は眉を顰める。


「おや、聞いていませんでしたか? てっきりそれを聞いていたから僕に嫉妬して、敵情視察にやってきたのかと思ってしまいました」


 これまで下手に出ていた澄八だったが、昨日の琴禰との会話で、自身の方が優位だと分かったので態度が大きくなっていた。


「は? 俺が嫉妬? お前より何もかもが勝っている俺が嫉妬なんてするわけがなかろう」


 これには当然、澄八の怒りに火がついた。

 言い返そうと口を開いた瞬間、煉魁から殺気のような恐ろしい威圧感が放たれていたので、慌てて口を噤む。

 絶対に怒らせてはいけない相手だと判断した澄八は、先ほどまでの高慢な態度は隠し、柔和な笑みを浮かべる。


「確かにあやかし王に勝てる相手はいませんよね。ちょっとした冗談ですよ。人間界では自分より立場が上な方に、わざとこういう冗談を言って相手と親しくなりたいという意思表示をするのです。そして、偉大な方はその冗談を受け流し、器の広さを証明したことで、周りから尊敬されるという流れです。つい癖で申し訳ありませんでした」


 相手が潔く謝ってきたのに、ここでさらに怒ったら己の狭量さが際立つ。

 さらに澄八は遠回しに、軽い冗談で怒るなんて器の小さい人のやることだと非難しているが、こう言われたら大体の人は怒りを鎮めざるを得ないことを計算した上での発言だ。

 しかしながら、煉魁にはまったく効いていなかった。


「琴禰の初恋の人だからって調子に乗るなよ。俺は嫉妬なんてしていないからな! 分かったな!」


 澄八を指さし、憤怒を隠そうともせず言い放ち、そして立ち去った。その姿は、まるで子どもが喧嘩の際に悪態をつくかのようである。


(あれ思いっきり嫉妬しているだろ。逆に隠す気ないだろ)


 澄八は呆気に取られながら一人残された。


(あやかし王は暗君なのか?)


 愚かで幼稚な王だと判断することもできるが、澄八の勘はそれを否定していた。


(あやかし王は良くも悪くも感情のまま直感で動く性質だ。洗脳や謀られるような失敗はしない。僕の最も苦手とする部類かもしれない)


 澄八は巧妙に取り入るのが上手い。些細な言動から心を操り、自分の優位な方向に持っていく。

 しかし、あまりに自己が確立していて軸がぶれない人は、澄八の思うように動かせないので苛々する。


(琴禰は僕のことが好きで、あやかし王の命を狙っている。僕に嫉妬し怒りを露わにしているあやかし王を見て、嘲笑ってもいい状況なのに、なんだ、このすっきりしない気持ちは。どうして負けたような気分になる)


 澄八は苛々した表情で、親指の爪を噛んだ。


 一方、琴禰の過去を聞き出そうとしていたはずの煉魁は、澄八が琴禰の初恋の人だという衝撃の事実を知ってしまったので、うっかり本来の趣旨を忘れていた。


(あいつが、琴禰の初恋の人だと⁉ 俺は信じないぞ。だが、もしも本当だったとしたら……めちゃくちゃ羨ましい!)


 思いっきり嫉妬していた。

 これは琴禰に問いたださなければいけない案件だと判断した煉魁は、そのまま真っ直ぐ宮殿へ向かった。


「琴禰!」


 大きな音を立てて妻戸つまどを開けた煉魁だったが、室内には誰もいなかった。


「奥様なら調理場へ行かれましたよ?」


 通りかかりの侍女が言う。

 煉魁は振り向き、不機嫌そうな表情で侍女に聞いた。


「調理場? なぜ」


「知らなかったのですか? 最近奥様は自分の分は自分で調理し召し上がっているのですよ」

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