恋敵の幼馴染ー2
仮に琴禰が力を暴発させて煉魁を襲ったとしても、煉魁の力の方が強いので倒すことはできないことは分かっているが、それでも煉魁を攻撃するなんてことは絶対にしたくない。それは物質的な攻撃以上に煉魁の心を痛みつけるだろう。
祓魔一族を取るか、煉魁を取るか。
琴禰の中で、もう答えは決まっていた。
「うん、だからお前はさっさと帰れ」
煉魁はまるで犬でも追い払うかのように、しっしっと手を払った。
なぜか分からないけれど煉魁は、澄八を嫌っているらしい。
「そうしたいところなのですが、まだ完全には力が戻っていないので、もうしばらく厄介になるかと思います。良いですよね、琴禰」
同意を求められた琴禰は、目が泳ぎながらも静かに頷いた。
(澄八さんを騙さなければ)
琴禰は決意した。かつては初恋の人だったけれど、今ではまったく心が動かされない。
「煉魁様、この方は私の命の恩人であり、幼馴染でもあります。昔から無能で虐げられていた私を気にかけてくださいました。だからどうか、もう少しの間だけ、彼の滞在を許可してください」
「幼馴染か。余計面白くないが、仕方ない。もう少しだけだからな。それに、むやみに俺の嫁に近づくなよ、分かったな!」
「寛大なお心に感謝いたします」
あからさまに敵対心と嫉妬心を露わにされているのに、澄八は飄々とした顔で礼を述べる。
「さあ、琴禰、行こうか」
煉魁は琴禰の肩を抱いて、澄八から遠ざけようとした。
「待ってください、煉魁様。少しだけ彼と二人きりで話してもいいでしょうか?」
「二人きり?」
煉魁は渋面を作って、もの凄く嫌そうな口ぶりで言った。
「故郷のことなど積もる話がありますので」
「俺が一緒にいたらまずいのか?」
「祓魔での出来事は、あまり煉魁様に知られたくないのです」
琴禰は悲しそうに睫毛を伏せた。
憂いのある表情は、人間界でどれほど傷つけられてきたのかが窺い知れる。
「……分かった」
本当は嫌で、嫌で堪らないし、早く話を終わらせろよ、と言ってやりたい気持ちをなんとか抑えて、煉魁は承諾した。
過去の辛い出来事も全て打ち明けてほしいし、頼られ、慰めてあげる存在となりたい。悔しい気持ちをぐっと堪える。
代わりに琴禰に気づかれないように、澄八を睨み付けて牽制し、その場を去った。
煉魁がいなくなり、会話も聞こえない距離になったことを見計らって澄八が口を開いた。
「あやかし王は随分と幼稚だね」
「感情表現が直球で素直な方なのです」
澄八は煉魁を嘲ったつもりなのに、惚気で返ってきたので気分を害した。
「あのあやかし王をたぶらかすとは、なかなか」
たぶらかしてたぶらかしているつもりはないが、否定できないので曖昧に視線を逸らす。
「結婚ねぇ。確かに最善の策だよ。あやかし王を目の前にして分かったけれど、あれは化け物だね。祓魔一族が束になったところで傷一つ負わせられないだろう。琴禰なら攻撃の一つか二つくらいなら当たるかもしれないけれど、倒せるかというと難しい。でも、妻となれば話は別だよね。例えば奴が寝入っているときなどに心臓を一撃で刺せば勝機はある」
澄八の目が輝き、嬉しそうに口元を綻ばせた。
もちろん琴禰はそんなことをするつもりは毛頭ないが、結婚を持ちかけたのは勝機を探るためだ。
澄八の見解は間違ってはいない。だからこそ、胸が痛い。
「どうして黙っているの? まさか、あやかし王に、本気で惚れたの?」
図星を突かれて、胸がざわめく。
「いえ、そんなわけでは……」
「だよね、あんな化け物を好きになるわけがない」
煉魁を化け物と呼ばれて、怒りを必死で抑える。手をぎゅっと握って屈辱に耐えた。
「琴禰は毎晩、あの男に抱かれているの?」
「な……なんでそんなこと」
澄八は琴禰の顎を片手で掴んで上に持ち上げた。
「痛っ……」
「僕の質問に答えて」
澄八の目は冷酷で、有無を言わせない迫力があった。
目を逸らしながら頷くと、澄八は冷笑しながら手を放した。
「化け物と性交とは、目的のためとはいえ、よくやるよ」
悔しくて、握っていた手の平に爪が食い込む。
どうしてこんな男を好きだったのだろうかと自分の見る目のなさに嫌気がさす。
「でも、嫌いじゃないよ。昔の間抜けな琴禰よりよっぽどいい」
(素朴なところに好感を持っていたとさっき言っていたのは嘘だったのね)
澄八の本性に、おぞましいくらいの寒気がする。皆、澄八の人の良い笑顔に騙される。あやかしの方々も、かつての自分も。
見抜けなかった自分の不甲斐なさが悔しくなった。
「もしもあやかし王を討ち取ることができたら、琴禰を妻にしてやってもいいよ」
澄八は尊大な顔をして言った。
「何を言っているのですか。桃子と結婚するのでしょう?」
「あの子は気が強くて頭が悪い。名家の肩書が欲しかったから許嫁となったけど、あやかし王を滅ぼしたら、琴禰は祓魔で力を認められるだろうし、なにより桃子より美人だ」
澄八に値踏みするように体を見られ、寒気がした。
「どうして私が、あなたと……」
「僕はずっと気付いていたよ。琴禰が僕を好きだったことを」
琴禰は驚きと羞恥心で顔が真っ赤になった。
澄八はおかしそうに笑いながら続けた。
「出戻りしても貰い手がいるのだから、琴禰にとってもいい話だろう。それに、相手は初恋の僕。化け物なんかよりよっぽどいい。どう、やる気が出た?」
琴禰が自分のことを今でも好きだということを疑ってもいないらしい。
自信過剰な態度や言い方は、煉魁と似ているところがあるが、澄八の場合は嫌悪感を抱かせる。
積極的で愛情表現豊かな煉魁には、相手を思いやる優しさがあるが澄八にはまるでない。
自分が一番で、驕り高ぶっている。
けれどここは、澄八の勘違いに乗っておいた方がいいのかもしれない。
煉魁との平穏な日々を守るために。
「そう……ですね、嬉しいです」
嘘をつき慣れていない琴禰にとって、これが精一杯だった。
作り笑いを浮かべるもぎこちないし、言葉も緊張で少し震えている。
だが、澄八は疑うことなく、満足気な笑みを見せた。
「いい子だ。僕たちの未来のため、そして何より祓魔の永劫の繁栄のために頑張るんだ」
澄八は琴禰の頭を撫でた。
いとわしさで身の毛がよだつ。正直、殴られた方が気持ち的には楽かもしれないと思った。
すっかりいい気分になった澄八は、琴禰に背を向けて歩き出した。
あやかしの国を探索し、弱点はどこなのか探るために動き回っているそうだ。
あんな人の良い笑顔を浮かべて、あやかしの方々にも好意的に受け入れられているのに、澄八の腹の中は、あやかしを滅亡させることしか考えていない。
罪悪感は湧かないのだろうかと琴禰は思うが、澄八は祓魔や人間界のために行動しているので、悪いことをしているつもりなどさらさらない。
琴禰もずっと、あやかしは人間界に厄災を振り落とす邪悪なものだと思っていた。
それが真実であり、常識であり、疑う余地もないことだと信じてきた。
(何が正しいの? 私こそが、厄災?)
気が重くなりながら、煉魁の宮殿へと向かう。
煉魁は仕事に行ったかと思いきや、宮殿の中で琴禰を待っていてくれたようだ。
気もそぞろに落ち着きなく室内を歩いていた煉魁は、琴禰が帰ってくると嬉しそうに顔を綻ばせた。
「おかえり、琴禰。どうした? 顔色が悪いが」
「大丈夫です。ちょっと、昔のことを思い出してしまっただけなので」
「そうか、侍女に茶と菓子を持ってこさせよう。甘い物を食べれば気分も和らぐだろう」
煉魁の優しさに、胸が苦しくなる。
嘘ばかりついている。自分はなんて酷い女なのだと自分のことがどんどん嫌いになっていく。
あやかしの国の方々も、祓魔一族や人間界も、全てに嘘をついている。
一番の極悪人は自分なのかもしれない。
(忌み子、祓魔を滅亡させる者、生まれてきてはいけなかった存在)
どうして周りは自分をこんなに虐げるのだろうと思ってきた。
何も悪いことをしていないのに。どうして殺されなければいけないのか。
でも、今なら少し分かる。
琴禰の存在自体が凶事なのだ。
「大丈夫か、琴禰。闇に引きずり込まれるな」
煉魁は琴禰を強く抱きしめる。
手を引かれるように我に返った。煉魁の温もりに包まれると、気分が和らぎ、息が深く吸える。
全てが辛い。自分の置かれている環境が苦しくて堪らない。
今が一番幸せなはずなのに、幸せであればあるほど琴禰を苦しめる。
まるで、『お前は幸せになってはいけないのだ』と誰かに言われているようで。
全てを吐き出して、謝りたい。もう嘘なんかつきたくない。
「うっうっ……」
煉魁の胸の中で嗚咽を漏らしながら泣いた。
ずっと堪えてきたものを吐き出すように。煉魁を強く抱きしめる。
(離したくない。この方とずっと一緒にいたい)
例えそれが、地獄に落ちる行為だとしても。
例えそれが、多くの人を裏切る結果になったとしても。
「煉魁様、煉魁様、煉魁様」
「うん、俺はずっと側にいるよ」
煉魁の胸にしがみつき、子供のように泣く琴禰の頭を優しく撫で続けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます