幸せな結婚生活ー3

一抹の不安を抱きながらも、琴禰を愛する気持ちに変わりはない。


(俺がお前を守るから)


 全てに絶望し、死に絶えようとしていた琴禰の瞳を思い出すと、胸が痛くなる。

 どれほどの痛みを抱えているのか。

 何も知らなくても、あの目を見れば推察できる。


(絶対に、幸せにする)


 煉魁は琴禰の顔を上げさせると、唇を重ねた。


 煉魁と琴禰の結婚生活は順調そのものだった。互いに愛し愛され、幸せな日々を送っていた。

 琴禰はしばらくの間は寝殿(と煉魁が呼ぶ宮殿)から出ずに過ごしていたが、最近では庭園に出るようになった。

 何をしているのかといえば、庭の手入れだった。

 こうやって徐々に宮中を掃除し始めるのではないかと侍女たちの噂の的になっている。とても良く働くので、ここだけの話、助かっているらしい。


「琴禰はよく働くなぁ」


 無心で草むしりをしていると、後ろから甘い低音の声が降ってきた。

 驚いて振り返ると、そこには呆れるように微笑む煉魁の姿があった。


「はい、楽しいです!」


 泥がついた雑草を片手に満面の笑みで返事をする。鼻と頬には黒い泥がついていた。

 煉魁が思わず笑ってしまうと、琴禰はきょとんとした顔になる。その顔がさらに間抜け具合を引きだしている。


「本当にお前は、可愛すぎるだろ」


 煉魁は袖で琴禰の顔についた泥を拭いてやった。


「わあ、すみません」


 あまりにも可愛すぎて、つい乱暴に拭きたくなる。されるがまま、顔を顰める表情が、さらに愛おしさに拍車がかかる。


「俺を煽らないでくれよ」


 琴禰は煉魁の言っている意味がわからない。不思議そうな顔が、煉魁の胸の奥を刺激する。


「ああ、もう駄目だ」


 煉魁は琴禰を力強く抱きしめた。


「煉魁様、汚れてしまいます」


 泥のついた雑草を片手に持ちながら、あたふたする。

 どうして急に煉魁が抱きしめてきたのか分からない琴禰だったが、愛情表現は素直に嬉しい。ただ、周りから見られることが恥ずかしくはあったが。


「お仕事はいいのですか?」


「ああ。別にやることなんてない」


 煉魁は琴禰を抱きしめ、髪の毛に顔を埋めながら言った。

 もしも今の発言を上層部が聞いたら『やることは山のようにあります!』と激怒しただろうが、誰も指摘してくれる人がいないので、琴禰は『そうなのか』と騙されてしまった。

 でも実際、あやかしは平和だった。

 煉魁は、やる時はやる男だが、やらない時はやらない。


「煉魁様はいつも何をされていたのですか?」


「公務を放り出し、釣りに行っていた」


「え……」


 王がそれでいいのだろうか、と琴禰は真面目に考える。


「そうだ、琴禰も一緒に行こう!」


「今からですか? 仕事は大丈夫なのですか?」


「ああ大丈夫だ。さあ、行こう!」


 承諾の返事も聞かずに、琴禰を横抱きにして飛び立った。

 自分本位の強引なところが、琴禰にはまったくない部分なので、輝く星のように見えた。

 仕事を放り出すことも、それについて悪いとも思っていない闊達かったつさも、琴禰の性格とは正反対だ。

 他人からの目を過剰に気にしてしまい、怒られることに怯えていた琴禰にとって、煉魁は眩しいくらい堂々としていた。

 そして、やる時は誰にもできない凄い仕事をやってのけるからこそ、多少のことは許されてしまうところも憧れる。

 陽の光に引き寄せられるように、恋慕の心に囚われていた。日を増すごとに、煉魁への思いは募っていく。

 あやかしの国の端に着いた煉魁は、雲の上に降り立った。

 煉魁は琴禰を下ろすと、雲の中に手を入れ、何かを探していた。


「何を探しているのですか?」


「釣り竿だ。ここら辺に置いておいたはずなのだが」


「指輪を出した時のようにはいかないのですか?」


 琴禰は不思議そうに尋ねる。


「小さな物ならまだしも、大きな物は時空を歪ませるゆえ、運悪く誰かにぶつかったら危ないだろう」


 煉魁は顔を上げて、当然のように言った。

そういえば、『移動させる』と言っていたことを思い出した。あやかしの力の原理は、何でもありというわけではなさそうだ。


「おお、あった、あった」


煉魁は嬉しそうに顔を緩め、隠していた釣竿を取り出した。


「何が釣れるのですか?」


 嫌な予感がした。こんなところで釣れるとしたら、妖魔か何か……。


「何も釣れない」


 煉魁は事もなげに言い放つ。

嫌な予想は外れたが、それはそれで問題のある発言だった。


「何も釣れないのに、釣りをするのですか?」


「そうだ。無意味なことだから面白いのだ」


 煉魁が自信満々に笑顔で言うので、なんだか説得力があるようなないような。

 煉魁は、「ここに座るといい」と雲の端を指さして言った。空が見えている。一歩間違えれば真っ逆さまだ。

 恐る恐る尻込みしながら座ると、煉魁が後ろから抱きしめるような体勢で腰を下ろした。


「釣り竿は一本しかないからな。一緒にやろう」


 釣り糸を空に垂らす。

 何も釣れないと分かってはいるが、ここに座っているだけでなかなか刺激的だ。

 まるで煉魁の胸の中にすっぽり収まったような体勢なので、恐怖心よりも安心感の方が勝る。

 二人で一本の釣り竿を持ち、一面に広がる海のような青空を眺める。


「煉魁様のおっしゃっていたことが、少し分かるような気がします」


「だろ」


 時折吹く強い風が、緩慢としていた頭に刺激を与えてくれる。

 雄大な自然に溶け込むと、まるで時が止まっているような、はたまたあっという間に過ぎ去ってしまうような不思議な感覚になる。


「寒くないか?」


「煉魁様がいるので温かいです」


 背中に感じる温もりに癒される。ずっとこうしていたいと思った。


「一人で釣りをするのが気楽で好きだったが、二人の方が楽しいな」


「煉魁様と一緒だと何でも楽しいです」


 柔らかな風が吹く。

 夫婦とはいいものだなと改めて思う。

釣り竿を握った二人の左手には指輪がはめられていて、それを見ると幸せな気持ちになった。


「俺はやろうと思えば何でもできてしまうから、つまらなかった。だからずっと、無意味なことをしていた。意味のあることこそが、俺にとっては無意味なことだった」


 煉魁はふいに心の内を吐露した。

 自慢のようにも思える独白は、煉魁の感情を乗せると悲しい話になった。


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