幸せな新婚生活ー1

 煉魁が、『俺の部屋』といって紹介した場所は、とんでもなく豪華な御殿だった。

 部屋というよりも、家。家というよりも、宮殿。

 琴禰の認識では、部屋というのは、家にある一室を指すものだと思っていたが、煉魁の認識は違うらしい。

 煉魁と一緒にいると、つい忘れてしまいがちになってしまうが、煉魁は紛れもなく王様なのだ。


「ここは特別な者しか入室を許可されない、王の寝殿だ」


 一室に対する広さも驚きだが、部屋数も多い。

 宮中の御殿は、純和風の造りが主だったが、王の宮殿は神殿に近い華やかさがあった。

 障子建具は美しい面腰組子が使用され、床柱には精巧な彫刻が施されている。天井及び欄間には純金箔、純金砂子で仕上げられ、息を飲むほどの絢爛豪華な造りだ。


「日中、侍女が掃除に入るくらいで、ほとんど出入りはない。気兼ねなく一緒にいられるぞ」


 煉魁は琴禰を後ろから抱きしめて匂いを吸い込んだ。

 他の者の目がなくなった煉魁は、心置きなく琴禰に触れてくる。

 どうやら、人目もはばからずくっついていたが、あれでも煉魁的には遠慮していたようだ。


「私の部屋はどこになるのですか?」


「全てだ」


(す、全て。共有ってことかしら。そうね、そうよね、夫婦ですもの)


 煉魁は琴禰を後ろから抱きしめながら、愛おしそうに琴禰の首筋の匂いを堪能しているので、くすぐったくて仕方がない。


「もちろん寝所も一緒だぞ」


「は、はい」


 さすがの琴禰も、そこは覚悟している。

 夫婦なのだから、寝所が一緒なのは当然だろう。

 頭では理解していても、急激に心臓の音が速まる。


「そうだ、一緒に湯殿に入ろうか」


「え⁉ 一緒に入るのですか⁉」


「夫婦なのだから、当然だろう」


 そうなのだろうか。夫婦というのは、そういうものなのだろうか。

 祓魔の中でも隔離されて育ってきたので、そもそも世間の常識というものをあまり知らない。


「わかりました。お背中お流しいたします」


 琴禰は決意に満ちた顔で力強く言った。


「それじゃ侍女と変わらないだろう」


(え、違うの?)


 では、一緒に入って何をするのだろう。

 よく分かっていない様子の琴禰に、煉魁は言った。


「よし、じゃあ今から教えてやろう。夫婦というものは何かということを」


「今から入るのですか?」


「そうだ。琴禰は何も分からないようだから、俺が手取り足取り教えてやる」


 自信満々に言われると、そういうものなのかと思ってくる。


「すみません、不勉強なもので。お願いいたします」


「いや、誰にでも初めてというものがある。これから学んでいけばいいのだ」


「ありがとうございます」


 煉魁も初めてだというのに、さも経験者風に言うと、素直で純真な琴禰は疑うことなく、殊勝な様子で頭を下げた。

 湯殿の準備を終えると、二人は白い浴衣に着替えて大きな樽桶の中に入った。

 煉魁は裸で入りたかったが、琴禰が恥ずかしがったので譲歩した形だ。

 琴禰を後ろから抱きしめる体勢で、適温の湯に浸かる。


「私も一緒に入ったら、窮屈ではありませんか?」


「狭いのがいいのだ。むしろ広すぎるくらいだ。もっと小さなものにすれば良かった」


 宮殿の中にある湯殿は、確かに一人用とは思えないほど広かった。

 以前、琴禰が利用していた湯殿よりも広くて豪華だ。おそらく、全てが宮中にある物の中で一番高級であることが窺える。

 湯の中に入ると、浴衣が体に張り付いて、体の輪郭が露わになってしまう。

 恥ずかしくて、とてもじゃないけれど振り返ることはできないと思った。


「夫婦はどうして一緒に入るのでしょう」


「ずっと一緒にいたいからだろ。それに、何でも二人一緒の方が楽しい」


 楽しい……。その視点は琴禰にはなかった。

 いつも一人だった。誰かと一緒に楽しむという経験をしたことがない。

 食事もいつも一人だったし、話すこともほとんどない。

 これからは、いつも一緒なのだ。何をするのも、何を見るのも、一緒に楽しむ相手がいる。


「夫婦とは、いいものですね」


 零れるように呟いた琴禰の言葉に、煉魁の胸がきゅっと締まる。

 愛しい気持ちが暴発し、琴禰の体をくるりと反転させ向き合った。


「恥ずかしいです、煉魁様!」


 抗議の声を上げる琴禰に、煉魁は強く抱きしめる。


「ほら、こうしていれば見えないだろ」


 互いの姿は見えないけれど、体が密着しているので余計に恥ずかしい。

 でも、なぜか安心する。

 一人じゃないということが、こんなにも心が満たされることだったなんて。

 琴禰も、そっと煉魁の背中に手をまわす。煉魁の肩に顎を乗せて、目を瞑る。


(温かい……)


 初めて、安らかで穏やかな気持ちに包まれた気がする。いつも気を張っていた。怒られないように、これ以上嫌われないように。

 ここにいていいと思える安心感。包み込んでくれる絶対的な愛情。

 ずっと求めていたものに出会えた気がした。


 湯殿から上がった琴禰は、濡れた浴衣を脱ぎ、体を拭いていた。

 すると、屏風の向こう側で着替えていた煉魁が待ちきれずに声を掛けた。


「まだか」


「すみません、今すぐ……ひゃあ!」


 琴禰が新しい寝間着用の浴衣に袖を通したばかりだというのに、煉魁は屏風の仕切りを取り払った。

 まだ帯も締めていない。さすがにせっかちすぎだろうと思う。


「着なくていい。すぐに脱がすのだから」


「なっ!」


 襟の合わせを体に巻き付けるようにして、なんとか体を隠した琴禰を横抱きにする。


「れ、煉魁様⁉」


 戸惑う琴禰をよそに、煉魁は琴禰を横抱きにしたまま歩き出す。

 そして寝所に着くと、天蓋付きの大きな寝台に琴禰をゆっくりと寝かせた。

 煉魁は琴禰に覆いかぶさり、熱情を含んだ瞳で琴禰を見下ろした。


「震えている、怖いのか?」


 指摘されて、初めて震えていることに気が付いた。


「怖くないと言ったら、嘘になります」


「ふっ、正直だな」


 煉魁が微笑したことによって、張りつめていた空気がいくぶん和らぐ。

 琴禰は全身を強張らせ、浴衣がはだけないように手を十字にさせていた。


「無理強いはしない。琴禰のことを大切に思っているからな」


「煉魁様……」


 多少強引なところはあるが、煉魁はどこまでも琴禰に優しい。

 自分の気持ちを隠すことなく伝えてくれる。

 それは、出会った時から一貫していることで、だからこそ出会ってから日が浅いとはいえ、急速に惹かれていった。

 決して好きになってはいけない相手だというのに。

 煉魁は琴禰の頭を撫でて微笑んだ。

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