二人だけの結婚式ー1

静寂が二人を包み込んだ。

 琴禰は真っ直ぐに煉魁を見つめ、煉魁も目を逸らさずに驚きの目で琴禰を見つめている。

 煉魁の大きな喉仏の鳴る音が、静かな部屋に響いた。


「その意味を分かって言っているのか?」


 煉魁が眼差しを強くして琴禰に問う。


「はい」


 琴禰は強い意思で答えたが、煉魁が問うている意味を本当の意味では分かってはいなかった。

 煉魁は薄く微笑み、魅惑的な眼差しを向けた。


「良かろう。俺の嫁にしてやる」


ぐいと引き寄せられ、煉魁の胸板に琴禰の頬が触れた。上衣から漂う白檀びゃくだんをかいだ時、ようやく煉魁が言わんとした意味を知る。

 琴禰を抱きしめ、煉魁は満足そうだ。


「あ、あの……」


「なんだ?」


 抱きしめられるのが初めての琴禰は、鼓動が早鐘を鳴らすように強く打ち続けている。

 本能的な恐れに、身を引きそうになる気持ちをぐっと堪えた。


「い、いえ。何でもありません」


 結婚してくれと頼んだのは琴禰だ。

 夫婦が抱き合うのは自然なことだと必死で自分に言い聞かせる。

 顎を指先で持ち上げられ、煉魁と視線が交じり合った琴禰は気まずさに視線を泳がせた。


「お前はもう、俺のものだ。いいな?」


 見下ろす視線に、有無を言わせぬ威圧感がある。獰猛な獣の間合いに入ってしまった小動物のように、琴禰は運命を受け入れた。


「はい」


 すると、唇を奪うような激しい口付けが落とされた。

 全てが初めての連続に、琴禰の頭は真っ白になる。

 拒むことなんてできようもない。煉魁に嫌悪感を抱いているわけでもない。

 ただ、純粋に怖かった。

 全身を強張らせ、瞼を固く閉じて、時が過ぎるのを待つしかないと諦めにも似た覚悟を決めた時だった。

 永遠に続くかのように思われた口付けが離された。


「この先は、結婚してからにしよう」


 煉魁は琴禰を放した。


「お楽しみは、俺が約束をきちんと守る男だと証明してからだ」


 悪戯小僧のような純真な瞳を輝かせながら煉魁は笑った。

 頬を赤く染める琴禰に、煉魁の大きな手が頭に乗り、優しくなでられた。


「まだ病み上がりだからな。ゆっくり休め」


 そう言って煉魁は部屋から出て行った。

 怒涛のような展開に、気持ちが追い付かない。

『結婚してくれ』と頼んだのは琴禰だ。でも、純粋な気持ちからの言葉ではない。

 結婚して琴禰に気を許すようになれば倒せる機会もやってくるかもしれないという打算からだ。

 煉魁の優しい笑顔を思い出すと胸が痛い。

 騙しているのが心苦しくて、甘い喜びに浸ることもできない。口付けをされた時に気付いてしまった。

未知なる体験に怖れはあれど、不快感はまるでなかった。むしろ、内から溢れだすような甘酸っぱいときめきが胸を駆け抜けた。

琴禰の心はすでに煉魁に囚われていた。出会った瞬間から惹かれていたのだ。


(私は一体、どうしたら……)


 両手で顔を隠し、体を折り曲げた。罪悪感と恋心に押しつぶされそうだった。


 一方、琴禰から思わぬ形で求婚を受けた煉魁は、寝殿へと向かっていた歩を止め、先ほどまで会議が行われていた春秋の間へと向かった。


(あいつらまだいるかな)


 臣下が集まる会議の場で、琴禰の元へ早く行きたかった煉魁は、『うん、もう、それでいいよ』と気もそぞろに丸投げし、まだ会議は続いているにも関わらず出てきてしまっていたのだった。

 会議の進行具合が気になるから戻ったのかと思いきや、零れんばかりの満面の笑みを携えた煉魁は、春秋の間に入るなり議題とは全く関係のないことを声高に叫んだ。


「聞け! 皆の者! 俺がついに結婚するぞ!」


 真面目に会議を行っていた臣下のあやかし達は、突然の王の報告に、鳩が豆鉄砲を食らったような顔を見せた。

 しんと静まり返ってしまった場の空気を見て、煉魁は不服そうに眉を寄せる。


「おい、もっと喜ばぬか。俺が結婚するのだぞ? あれだけ結婚しろ、世継ぎはまだかと言っていたのに、その反応はないだろう」


 皆は顔を見合わせて、よく分からないまま拍手が巻き起こり、煉魁はとても満足気だった。


「あの、あやかし王、お相手はどちらの御方でしょう?」


 大臣おおおみが、低姿勢でかしこまりながら尋ねた。


「人間だ」


 途端に、ざわついた嫌な空気が場に漂う。


「あやかし王が先日拾ってきた、あの人間ですか?」


「そうだ」


 顔面蒼白になっている大臣に、煉魁は笑顔で頷く。


「反対です!」


「人間は駄目でしょう」


 周りから次々と異を唱える声が上がる。


「誰でもいいから早く結婚しろと言っていたのはお前達だろう!」


 急に猛烈な反対に合ったので、煉魁は皆を指さして声を荒げた。


「人間は種が違うでしょう」


「何を血迷ったことをおっしゃいますか」


 いつもは煉魁の言に異を唱えることのない臣下達も、この件に関しては真っ向から反対してくる。


「静まれ!」


 煉魁は止まぬ反対の声を大声で制した。


「俺が結婚すると言ったらするのだ。わかったな!」


 すっかり機嫌の悪くなった煉魁は、そのまま春秋の間から出て行ってしまった。怒り心頭の煉魁に話しかけられる者はいない。

 大股で音を立てながら渡殿を歩く。


(どうして反対する。誰でもいいと言っていたではないか)


 人間だからという理由で反対されるとは思ってもみなかった。あやかしの中に渦巻く差別感情は、煉魁が思っているよりも深いようだった。

 とはいえ、煉魁の中で反対されたからといって結婚を諦めるという選択はまるでない。

 国中のあやかし達から反対されようが、結婚する。約束を守りたいからという律儀な気持ちからではない。煉魁が琴禰と結婚したいからだ。

 琴禰という存在を知ってしまった以上、他の者と結婚する未来なんて考えられない。


(さて、どうするか)


 煉魁は足を止め、園庭に咲く見事な一本桜を見て、不敵な笑みを浮かべた。

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