「私と結婚してくれませんか?」ー2

「いいえ、煉魁様。まだ動けませんので、これからしばらく厄介になっても宜しいでしょうか?」


 煉魁は、ほっとしたように笑みを浮かべた。


「ああ。しばらくといわず、ずっと俺の側にいろ」


 まるで愛の言葉のようで、胸が高鳴り頬は上気した。

 きっと他意はない。親切心で言ってくれただけだ。

 そう自分に言い聞かせるのに、煉魁があまりに優しい眼差しで琴禰を見つめるので、心が惹かれてしまうのだ。


(この方が、倒さなければいけない宿敵だなんて)


 自分の運命を呪う。

 命の恩人に、親切を仇で返すようなものだ。


「さあ、食え」


 匙を口元に寄せられたけれど、唇が震えて開くことができなかった。


「すみません。ちょっと疲れてしまって、もう食べることができそうにありません」


「おお、そうか。少し喋り過ぎたな。さあ、横になれ」


 煉魁は琴禰の肩を抱き、横にさせると布団をかぶせた。


「ゆっくり眠るといい」


 煉魁から背を向けて、ぎゅっと目を瞑った。

 胸が痛い。

 優しくされればされるほど、胸の痛みは強くなる。

 急激な心労のせいか、再び眠気が襲ってきて、琴禰はそのまま眠りに落ちた。

 安らかな寝息が聞こえると、煉魁は愛おしそうに微笑んだ。


 再び目覚めると、今度は部屋に一人だった。


(煉魁様はどこかしら)


 どれくらい眠りに着いていたのかはわからないが、体は大分楽になっていた。

 自分の力で起き上がり、立ち上がることもできた。

 動くことができる程度に回復はしたが、まだ祓魔の力は使えない。よほど出し尽くしてしまったようだ。

 とりあえず部屋の外に出てみようと、襖に手をかけると、静電気のような指先に鋭く軽い刺激を感じた。


(結界?)


 驚いて開けようとしていた手が止まると、外から勢いよく襖が開いた。


「お目覚めですね。何なりとご用事を仰せ付けください」


 おかっぱの日本人形のように整った顔立ちの少女が現れた。

 一切笑顔を見せず、生真面目な表情だったので、丁寧な口調だったにも関わらず物怖じしてしまった。


「あ、あの、あなたは?」


「申し遅れました。わたくしは扶久と申します。あやかし王からあなた様の侍女になるように命を受けていますので、以後宜しくお願い致します」


 さして感情のない平坦な声色だった。


(そういえば、侍女に着替えさせたと言っていたわ)


「では、あなたが眠っている間に私の世話を?」


「はい。寝やすいように浴衣を着せ、汚れていたので体や髪を拭かせていただきました」


「それは、大変だったでしょうね。申し訳ありません」


 琴禰が深々と頭を下げると、扶久は戸惑うように眉をひそめた。


「いいえ、仕事ですから。それより、だいぶお眠りになっていたので、お腹は空きませんか? それとも先に湯殿でさっぱりされますか?」


「えっと、私はどれくらい寝ていたのでしょうか?」


「丸二日、昏々とお眠りになっておりました。その間、あやかし王が片時も離れず側においでだったのですが、さすがに公務に呼ばれ文句たらたらで出て行かれました」


「そう……だったのですね」


 二日も眠っていたのは驚きだが、煉魁がずっと側にいてくれた事実に胸が熱くなる。

 そして、文句たらたらで公務に行った姿を想像すると、思わず笑みが零れた。

 その間、扶久はじっと琴禰を見つめていた。


「それで、わたくしは何をしたら良いのでしょうか?」


「ああ、すみません! ええと、では、湯殿に連れて行ってもらえますか?」


「承知致しました」


 お世話になってもいいものなのか戸惑っていたが、ここでお世話になるしか今は行くところがないので仕方ない。

 なるべく迷惑を掛けないよう過ごしたいが、お世話をすることが扶久の仕事であるならば、ちゃんと世話になった方が仕え人にとっては気楽なのだ。

 琴禰もそうだったので、気持ちはよく分かる。

 先ほど部屋から出ようとした時に指先に感じた結界のようなものは、琴禰が外に出ようとしたことを扶久が分かるようにするための合図だという。

 外に出てはいけないわけではないらしいが、慣れるまでは一人で外出しないようにと言われた。扶久の後ろに付いて歩きながら、そんな話を聞かされる。

たくさんの襖を通り過ぎ、長い渡殿を通ると、その間に、あやかしの人々に何人か出会った。人間のように見えるけれど、鼻が獣のように尖っていたり、瞳孔が蛇のように縦長だったりと変わっている。

 琴禰も驚いたが、あやかしの人達も琴禰を見ると怯えていた。逃げるように遠巻きにされたり、こそこそと琴禰に聞こえないように話をされたり、あまりいい気分にはなれなかった。


(仕方ないわ。排除されないだけ親切だと思わないと)


 ようやく湯殿に辿り着いた。体を洗うと言ってきかない扶久をなんとか説得して、一人で大きな樽桶に入る。

 湯加減はちょうど良く、芯から暖まっていった。


(次に煉魁様に会えるのはいつだろうか)


 なんといってもあやかし王なのである。忙しいだろうし、琴禰に構っている暇があるとは思えない。

 でも、何も分からないあやかしの国で、一人では心細かった。

 いつかは対峙しないといけない相手なのに、頼れるのは煉魁だけだ。


(会いたいな……)


 湯に浸かりながら、煉魁のことばかりを考える。煉魁のことを思い出すと、温かい気持ちになるのだ。

 自分はここにいていい存在なのだと、無条件で包み込んでくれる優しさがある。


(あの方が厄災だなんて、信じられないわ)


 祓魔で聞いていた話と、現実のあやかしがあまりにも違って困惑してしまう。

 けれど、血の契約を交わしてしまった。


(私に、選択権はない)


 気がどっと重くなるのだった。

 湯殿から上がった琴禰は、上質な正絹で作られた藤色の絹裳きぬもを着せられ、髪も良い香りのする油を少しだけつけて、丁寧に梳かされた。

 部屋に戻ると、すぐに御膳が運ばれた。あやかしの食べ物は人間界の食べ物とほとんど変わらなかった。

焼きあゆに、干し鮑(あわび)や青菜の和え物に果物。小さな器がたくさん並んだ色彩色豊かなご馳走に箸が進む。

至れり尽くせりの環境が不思議で仕方なかったので、扶久に聞いてみることにした。


「どうしてあやかしの人達は、私にこんなおもてなしをしてくれるのですか?」


「それは、あやかし王の命令だからです。先ほど会ってお分かりの通り、全員が人間を歓迎しているわけではないのです」


「煉魁様はどうして私を助けてくださったのかしら」


 琴禰の口から、あやかし王の真名が飛び出してきたので、扶久は面食らった。


「どうしてって、あやかし王から真名を聞いたのでしょう?」


「ええ、名前で呼んでほしいと言われました」

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