俺様王の初恋ー3
(あどけない寝顔が、なんとも可愛い)
この者のためなら、なんでもやってあげたいと思った。そのためには何が必要か。
(そうだ、汚れて破れた服を着ていては寝づらいだろう)
「おい、誰か……」
言いかけて口を噤む。世話をさせるのは、誰でもいいわけではない。信頼できる仕え人でなくてはならない。
煉魁の頭に一人の侍女が思い浮かんだ。
(あいつはちょっと苦手だが、仕方ない)
「おい、
煉魁が声を張ると、すぐに名前を呼ばれた侍女が現われた。
「お呼びでしょうか、あやかし王」
扶久は、重めの前髪を額に垂らし、後ろ髪を襟足辺りで真っ直ぐに切り揃えている。端正な顔立ちをしているがいつも無表情なので、まるで不気味な日本人形のようだ。着物も飾り気のない黒地のものを好むので、白い前掛けをしていなければ更にうす気味悪かっただろう。
「この者に寝心地の良いものを着せてやれ。最上の客を扱うように、丁寧に致せよ」
「承知致しました。わたくしの命が懸かっておりますゆえ、誠心誠意尽くさせていただきます」
扶久は深々と頭を下げて言った。
「命が懸かっているだと?」
煉魁が不思議そうに問うと、扶久は顔を上げて煉魁の目を見据えた。
「はい。あやかしの国にいられなくなるのでしょう? 宮中の噂となり、皆が震えあがっておりましたよ。あやかしの国にいられなくなるということは、つまり妖魔に喰われるということ。このお仕事にはわたくしの命が懸かっております」
「お、おう。いや、そこまででは……。でも、まあ、それくらいの意気込みで対応してくれると有難い」
この扶久という侍女、丁寧なのだが怖れ知らずの言動で、思ったことをはっきりと口にする。仕事ぶりは真面目で口も堅いので信頼できるのだが、とっつきにくい雰囲気を醸し出している。
扶久は部屋の奥から寝間着の浴衣を取り出すと、人間の横に浴衣を広げた。
「お体が汚れていますね。拭いて差し上げた方が宜しいかもしれません」
「そうだな、そうしてくれ」
煉魁が扶久の仕事ぶりを覗き込むように隣で見ていたら、扶久の動きが止まった。
「……女性の着替えを見ているおつもりですか?」
扶久は軽蔑するような眼差しで煉魁を横目で見た。
「違う、違う、そうじゃない! 今すぐ出る!」
「まあ、わたくしは、どちらでもいいのですけどね」
扶久はふっと嘲るようなため息を吐いた。
煉魁は急いで部屋を出ると、襖を閉めた。
体を拭いて着替えるとなると、しばらく時間がかかるだろう。かといって、片時も側を離れたくなかった。
煉魁は襖の横に腰を下ろし、ずっと待っていることにした。
(目覚めたら、名を聞こう)
起き上がった後のことを想像するだけで気分が高揚する。
煉魁は顔を緩ませながら、幸せな時を過ごすのだった。
一方、人間の世話を仰せつかった扶久はというと……。
(あやかし王は、部屋の外で待たれるおつもりなのか。どこかで暇つぶしでもしてくればいいものを)
早くしないといけない重圧を感じ、気が滅入る。
(まあ、いいや。ゆっくり丁寧にやろう。私の命が懸かっているわけだし)
曲桶に入った温かな湯と布を準備し、布を丁寧に絞って、琴禰の手をそっと拭いていく。
(良かった、深く寝ているようだ)
起きる気配がなかったので安心する。この様子だと、全身を拭いて着替えさせても起きないだろう。
とはいえ命が懸かっているので雑にはできない。細心の注意を払ってやらなければ。
(どうしてこんな重役をやるはめになったのか)
扶久が任命されて、さぞかし他の侍女たちは安心しただろう。誰も人間の世話なんて進んでやりたいとは思わない。
(それにしても、あやかし王がご執心になるのもわかるくらい綺麗な子だな)
扶久は人間を初めて見た。噂に聞いていた通り、あやかしにそっくりだ。
でも、あやかしでもこんなに美しい女性は見たことがない。
(でも、着物はまるで切り裂かれたかのように痛んでいる)
何かあったのだろう。何もなければ、そもそもあやかしの国に来ることなんてできない。
(私には、関係のないことだ)
目の前に横たわる美しい人間に同情しそうになって、慌てて思考を変える。
深入りしてはいけない。これは、仕事なのだから。
体を丁寧に拭き、着替えさせ、そして髪の毛も拭いていく。
それが終わったら、目覚めた後のことも考えて必要なものを準備しておいた。
機敏に仕事を終わらせ、部屋の外で待っていた煉魁に声を掛けた。
「それでは、わたくしはこれで」
「うむ、また頼む」
正直な所、遠慮したいと思ったが、何も言わずに立ち去った。とりあえず、仕事は終わった。
扶久と入れ替わりで部屋に入った煉魁は、汚れも落ちてひと際輝くように綺麗になった人間に目を奪われた。
穏やかに眠り続ける人間の側に腰を下ろし、そっと頬をなでる。
(何か大変なことがあったのだろう。かわいそうに。これからは俺が守るからな)
まるで誓いのような決断を自分に課す。
愛おしい寝顔を見つめながら、美しい眉目を下げ、それから何時間も側に居続けたのであった。
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