俺様王の初恋ー2

「この通り、私はもう長くはない。早く身を固めてくれないと、安心して逝くことができぬ」


 やはりその話か、と煉魁は思った。

 それ以外呼び出す理由もないのだから当然といえば当然だが。


「どうやら俺には無理なようです。父上が後妻を娶ってくれていればこんな杞憂はなかったでしょう」


 煉魁も、張り合うように言い返す。無理なものは無理なのだ。大王が煉魁の母以外愛せなかったと同じように、責務だけで妻を娶ることはできない。


「それを言われると耳が痛いな。お前にも愛する女性ができるといいのだが」


「愛する女性ができたところで、世継ぎが無事に産まれるとは限りませんよ」


「そうだな。お前が産まれたことは奇跡だった」


 もしも子どもが授からなかったら、母は今でも生きていただろうかと煉魁は思うことがある。今でも母を愛している父を見ると、自分は産まれてこない方が良かったのではないかと考えてしまうこともある。

 けれど、世継ぎを産むことは母の念願だったらしいので、これで良かったのかもしれない。そうはいっても、王位継承を自分の代で止めることになることに関しては、罪悪感が湧かないわけではない。


「こんなことを言ってはいけないのかもしれないが、私は世継ぎよりも煉魁に愛を知ってほしいのだ。愛し愛される喜びを味わってもらいたい。……幸せになってほしいのだよ」


 大王の言葉が胸にぐっと刺さる。


「世継ぎよりも難しいことをおっしゃいますね」


 子どもなら、愛がなくても作ることはできる。しかし、愛する者はどうやったらできるのかわからない。


(俺は、愛を知らないから誰かを愛することが一生できないかもしれない)


 母と過ごした記憶のない煉魁には知りようもないことだ。父からは愛情を受け取ったが、母方からの愛は違うものなのかもしれない。

 大王の寝所を出た煉魁は、再び宮中を抜け出して一人になれる場所に向かった。

 空に最も近い雲海がお気に入りの場所だった。

 そこは下界と天界の通り道なので妖魔が出現することもあり、他のあやかしは滅多に訪れない。

 煉魁が、あやかし王になってからは、雲海にすら妖魔が現われることもなくなったのだが、近付いてはいけないというのが古くからの言い伝えなので守っているのだろう。

 雲海の上で、ぼうっと釣り糸を垂らすのが昔から好きだった。もちろん何も釣れない。だが、それでいいのだ。無意味なことをする時間が好きなのだから。

 何の不足があって、この世を儚むのか。煉魁自身にも説明のできない空虚さがあるのだった。生まれてからずっと、その穴は埋まらない。

 雲海を歩いていたその時だった。

 何かが、あやかしの国に入り込んできた気配を感じた。


(妖魔か? 命知らずな)


 異物は排除しなくてはならない。あやかしの国はどこよりも煌びやかで美しくあらねばならないのだ。

 一足飛びで雲海を駆け抜ける。あっという間に異物を感知した場所に着くと、そこには雲海に半分が沈んで横たわっている体が見えた。

 一見すると妖魔の類ではない。


(誰だ?)


 とても弱っていて、今にも生命力が尽きそうだ。


(これは、なんだ?)


 あやかしでもない、妖魔でもない。衣は切り裂かれたかのように破れている箇所がいくつもあり、体も傷だらけだ。


「おい、大丈夫か?」


 声を掛けるが返答はない。とりあえず、ひょいと横抱きにして持ち上げてみたら、息が止まるほど驚いた。

 こんなに美しいものは見たことがない。小さな顔に白磁の肌。長い睫毛に縁取られた瞳は魅惑的な色気を放ち、真珠の煌めきのような小さな唇に吸い寄せられる。

 あやかしでもなければ妖魔でもない、しかしその姿は……。


「人間?」


 下界に人間と呼ばれる弱き者がいると聞いたことがある。その姿は、あやかしそっくりらしいのだが、力もなく命も短い。

 勢いよく早鐘を鳴らすように鼓動が躍動する。

 初めて感じる胸が高鳴るほどの甘い悦び。この感情は一体……。


(愛おしい)


 見ているだけで幸せな気持ちになる。触れるだけで体が熱くなる。

 この者を守りたいと思った。


「あなたは、誰?」


 艶めくような唇から、掠れた声で必死に紡ぎ出された言葉。

 煉魁はとろけるような甘い眼差しで、問われたことに答えた。


「俺は、あやかし王だ」


 するとその者は、大きく目を開いて、そして気を失った。そこで力を使い果たしてしまったようだ。

 抱きかかえながら彼女に霊力を与える。すると、傷だらけだった体は綺麗に治り、頬に赤みが差してきた。

 安心したように眠る彼女を抱きかかえながら、大切に、大切に運んでいく。

 なぜあんなところに人間が倒れていたのかはわからない。

 けれど、とても希少な宝を手に入れた気持ちだった。感じたことのない幸福感に包まれながら宮中へと戻った。


 ◆


 彼女を抱きかかえて宮中に戻ると、侍女や下仕えの者たちが駆け寄ってきた。


「なんですか、ソレは」


「おそらく人間だ」


 物珍しそうに彼女を覗き込む侍女たちに目もやらず、賓客を受け入れるための殿舎へ歩を進める。


「人間⁉ そんな汚らわしいもの、雲の上から投げ捨てておけばいいのですよ!」


 侍女の一人が、袂で鼻を覆いながら侮蔑の言葉を吐き捨てた。

 すると、煉魁の表情が一変し、歩みを止めた。侍女たちを見渡し、殺気のこもった目で睨み付けながら冷酷に告げる。


「この人間を侮辱し傷つけるようなことがあったら、この宮中どころか、あやかしの国にもいられなくなると思え」


 煉魁の言葉に、侍女たちは「ひっ」と小さく悲鳴を漏らし、青ざめた。

 煉魁は王の威厳はあるが、根は優しく親しみやすい。多少気に障るような失態をしてしまったとしても、ここまで本気で怒るようなことはこれまで一度たりともなかったのだ。

 容赦のない物言いに、侍女たちはすっかり落ち込んでしまった。

 最上級の賓客を受け入れる殿舎の襖を、手を使わずに念力で開ける。そして柔らかで清潔なしとねの上にそっと寝かせ、布団をかけた。

 すやすやと気持ち良さそうに眠る人間の頭をなでると、胸の奥がきゅっと締め付けられ、温かな高揚感に包まれた。

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