あやかし王を殺せー2

琴禰の胸の奥から強烈な憎悪が湧き上がってきた。その思いに連動して、琴禰の中で眠っていた祓魔の力がどんどん増幅していく。

 締め付けられる痛みは緩んでいき、力を跳ね除ける。すると、祓魔五人衆の顔から大粒の汗が滲み出てきた。

 琴禰の力はますます強くなっていく。体は動けるようになり、結界を壊そうと意識を集中させると、祓魔五人衆は更に術を仕掛けてきた。

 無数の形代が刃のように琴禰に向かって飛んでくる。ただの紙とはいえ、鋭さは凶器だ。顔や体に触れると切れて薄く血が滲み出る。服も切り裂かれ、三つ編みを結んでいた紐も切れて、長く豊かでほのかに臙脂色を帯びた黒髪が風に舞った。

 すると、琴禰の力が一気に解放された。髪は古来より力が宿るものといわれている。髪を結ぶことによって力を抑える役目があるのだ。それが解かれたことによって、琴禰の力は最大値を発揮できるようになった。

 こうなるともう、祓魔五人衆など敵ではない。

 長い髪が揺らめき、結界の中心に佇む琴禰の姿は神々しく美しかった。

 白磁の肌に、伏し目になると際立つ長い睫毛。

 この世のものとは思えないほど婉然えんぜんとした優美な姿は、まるで世俗を超越した高潔な趣だ。

 皆が息を飲んで琴禰を見つめた。そこには冴えないぼんくらな少女はどこにもいない。圧倒的な美しさと強さを持ち、異彩を放っている。


「終わった。今日、祓魔は滅亡する」


 大巫女様が、呆けるように琴禰を見つめながら唇をわななかせた。


「お願い、もうやめて。皆を殺したくないの。このままでは力が暴発してしまう」


 琴禰は美しい涙を零しながら、玉唇ぎょくしんを小さく開き、言葉を洩らした。

 その言葉に恐れ戦いた祓魔師たちは更に力を強める。しかしながら、渾身の力を用いた術は、琴禰の前で風に巻かれるように消えた。


「くそ! 妖女め!」


 背の低い酒豪の多岐都が目を血走らせ、吐く息に酒の香りを漂わせながら叫んだ。

 祓魔師たちがその矜持にかけて一人の少女を葬り去ろうと力を振り絞った時、結界が解かれた。祓魔師たちは最初、結界を解いたのは琴禰だと思ったのだが、その実は五人衆のうちの一人、澄八だった。

 星型の強力な結界なので、一人でも術を解けばその力は無になる。


「何をしている澄八! 再び結界を敷かんか!」


五人衆の最年長者である活津は四十代だが妻はいなかった。

祓魔五人衆を取りまとめる役を担い、大巫女様に次ぐ権力がある活津に怒鳴られた澄八だったが、飄々とした物言いで返す。


「無駄ですよ。我々の命は彼女に握られている」


 そして澄八は一歩を踏み出し、琴禰の側に寄った。琴禰は結界が解かれたことで、気が抜けて地面に膝をついていた。


「君に選択を委ねよう。我々を殺すか、あやかしの王を殺すか。君が決めるのだ」


 周りの者達が澄八の身を案じ、緊迫の眼差しで見守っているにも関わらず、澄八は底の知れない冷たい目で琴禰を見下ろす。


「私は誰も殺したくはないです」


 琴禰はすがるような上目遣いで澄八に言った。


「それは無理な選択だ。君には強大な力がある。君が望むと望まざるに拘わらず、力のある者は弱者を守らねばならない。それは使命だ。さあ、選べ。祓魔一族を滅亡させるのか、祓魔一族のために我々の念願であるあやかし王を討つのか」


「……私の使命」


 澄八の言葉は琴禰の胸に響いた。

 力のある者は弱者を助ける使命がある。それはまるで、琴禰は皆にとって必要な人材だと言われているかのようだった。

 これまで祓魔の人達からは酷い扱いを受けてきた。琴禰を殺そうともした。

 けれど殺したいとは思えなかった。一族を滅亡させる厄災になどなりたくない。

 であれば、一族の宿願である、あやかし王を葬り、平和で安穏な世の中を作りたい。


「あやかし王を討つなど、私にできるのでしょうか?」


「できる、できないではない。やるか、やらないかだ」


 澄八は冷淡な目で琴禰を見据えた。この期に及んで、優しい言葉一つかけてくれない。

 でもそれは仕方のないことなのだ。琴禰は忌み嫌われた、生まれてはいけない存在だったのだから。

 皆に認めてもらうためには、厄災の元凶である、あやかし王を滅ぼさないといけない。それだけが、琴禰が祓魔で生き延びる方法なのだ。


「……わかりました。私が、あやかし王を殺します」


 琴禰の決断に、澄八は唇の端を上げ、陰りのある笑みを薄く浮かばせた。


「それでは、血の契約を結ぼう。心変わりして逃げ出すことがないように」


 澄八は完全に琴禰の退路を奪う気だ。一瞬躊躇したが、断ることなんてできない。

 澄八は歯で親指を噛み、血を滲ませて琴禰の眼前に突き出した。覚悟を決めて、同じように親指を噛んで血を滲ませる。

 そして血が浮き出た親指を突き合わせ術を発動させた。

 血の契約。それは、命を懸けて契約を守ることを約束させる術だ。

 もしも契約を違反するようなことがあれば、その者の意思に関係なく契約は発動される。

 血の契約は交わされた。

大巫女様含め、祓魔の人達はほっと安堵した。

 琴禰はとんでもないことをやってしまったのではないかと、胃をぎゅっと握られた思いだった。終わってから急速に怖くなってきたのだ。そんな琴禰に、澄八は勝ち誇ったかのような笑みで命じる。


「さあ、琴禰。あやかし王を殺して来い」


 ◆


 淡い虹色で彩られた霧のような雲の上に琴禰はいた。

 これまであやかしの国に辿り着けた人間はいない。全ての力を使ってあやかしの国に飛んだので、琴禰は意識を保つだけで精一杯の状態だった。

 飛んだとはいっても、物理的に空を飛行したのではない。力を集中させてあやかしの国へ飛ばし、まるで縄を辿るように登っていったという方が表現としてはしっくりくる。


(ここが、あやかしの国。なんて美しい所なの)


 まるで、まほろばの常世とこよに迷い込んだかのようだ。

 一歩一歩、足を踏み出すたびに、足首まで雲に沈む。でも決して落ちることはないので不思議な感覚だ。

 魑魅魍魎が跋扈する恐ろしい場所だと聞いていたので、こんなに美しい光景が広がっているとは驚きだった。


(まるで天国のようね……)


 朦朧とする意識の中で、琴禰は図らずも笑みが零れていた。

 もう立っているのも難しいくらい、体は疲弊していた。


(あやかし王に会う前に、私は死ぬのかもしれないわ。でも、それでいいのかもしれない。私は自分の意思でここへ来て、そして力尽きた。殺されたわけじゃない)


 ついに琴禰は膝をつき、倒れ込んだ。体が雲の上に横たわり、ふわふわとして気持ちがいい。


(今度生まれ変わったら、誰かに愛される人生を送りたい)


 誰も琴禰を愛してはくれなかった。両親でさえも。

 誰かに必要とされ、存在を認めてもらえ、笑いかけてもらいたかった。

 優しくされたいと願うことは欲深いことなのだろうか。

 誰にも愛されない人生というのは、どうしてこんなにも虚しいのだろう。


(さようなら……)


 誰に向けての別れの言葉なのかわからない。さようならと告げても、別れを惜しんでくれる人などいない。

 そっと目を瞑ると、涙が横に流れた。


「おい、大丈夫か?」


 薄れゆく意識の中、琴禰を心配し気遣う言葉が上から注がれた。

 意識を手放そうとしていた琴禰は、ない力を振り絞って瞼を開けた。するとそこには、人間の足が見えた。声のかんじからして男性だろう。

 顔を上げたいけれど、目を開くので精一杯だった。すると、その男性は琴禰をひょいと横抱きに持ち上げた。

 男の顔を見ると、息を飲むほど美麗な面立ちをしていた。まるで月の雫のように滑らかな銀髪が腰まで豊かに流れている。

 ただ立っているだけで威厳があり、醸し出す色気には品がある。精悍な眼差しに見つめられると、なぜか胸が高揚してきた。

 歳は二十代前半くらいだろうか。若いように見えるが、落ち着いた雄々しい雰囲気を放っているので、もっと年齢は上なのかもしれない。


(こんなに綺麗な人、初めて見た)


 澄八も整った顔立ちをしていたが、彼はその比ではない。人間を超越した美しさを放っていた。

 背はたいそう高く、優美な雰囲気ながら、空恐ろしいほどの力の気配がある。

 薄い紫を帯びた白地の豪奢な上衣に袴を纏った彼は、琴禰を軽々と持ち上げていた。

 琴禰をまじまじと見つめ、切れ長の凛々しい目を大きく見開いている。


「人間……?」


 男らしい喉仏から発せられた声は重低音の色気を含んでいる。

 彼は、自分が拾った生き物が人間であることに驚いているらしい。

 琴禰も、あやかしの国でまさか人間と出会うとは思っていなかったので驚いた。


「あなたは、誰?」


 なくなった気力を振り絞り、掠れた声を必死で押し出した。

 すると、男はとろけるような甘い眼差しで琴禰を見つめ、衝撃の事実を告げた。


「俺は、あやかし王だ」

 

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