逃げられない夜

@k_etoile1221

第1話

暗闇の中を全速力で走った。今はただ、逃げるしかなかった。家の灯りが遠ざかるたび、心臓が早鐘のように打ち鳴らされる。背後から母の声が聞こえる。「待ちなさい!」しかし、その声はどこか冷たく、不気味だった。


振り返りたい衝動を抑え、ただ前へ走り続けた。母はいつも私を守ってくれていた。なのに、今は彼女から逃げなければならない──そう感じていた。足音が近づいてくる。だんだんと強くなる気配。しかし、暗い道路は無限に続いているかのようだった。街灯は一つもなく、ただ月明かりが弱く照らすばかり。足の感覚が次第に消えていく中、私の頭に浮かんでいたのは、あの男のことだった。


彼は優しく、いつも私たち兄弟を助けてくれた。だから、最初は何の疑念も抱かなかった。だが、ある日、兄にタブレットのパスワードを解除させようとしていたあの光景を目にした瞬間、私は何かが不自然だと感じた。なぜ、彼がそれほどまでにパスワードにこだわるのだろうか? それまでにも兄は何度も教えてあげていたのに。そのときの彼の視線は不自然なほど鋭く、何かを見つけようとしているようだった。 その瞬間、私の胸に警報が鳴り響いた。彼はただの善人ではない、と。


走り続けても、この道には終わりがない。まるで出口のない迷路の中にいるようだ。


母が私を追いかける理由はわからなかった。だが、彼女もあの男に操られている気がしてならなかった。逃げなければならない──そう確信していた。


やがて、私の足は限界に達した。もう逃げ場はない。振り返ると、母がそこに立っていた。暗闇の中で、彼女の顔には静かな笑みが浮かんでいる。「どうして逃げるの?」声はいつもの母のものだ。しかし、その言葉には何かが欠けていた。私の背筋を凍りつかせるような違和感が、心に広がっていく。


ふと気づくと、月明かりは消えていた。闇がすべてを覆い尽くしていた。

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