第5話 針に糸を通す。
昭和40年代、東京都内、貧困地域の中にその建物はあった。
周囲は3メートルの外壁で覆われていて、中をのぞくことはできない。
広さは後の東京ドームの二つ分くらい。広いが、外壁の内側には大木が多くあってうっそうとしていて、不穏感しかない。
その中で、遺伝的に厳しい子供たちが生活をしていた。
彼らは戸籍もなく、人権もない。しかし、そこの職員は性的虐待や暴行はしなかった。大切な命だから。
彼らには番号で呼ぶのがルールだったが、この仕事に就いてから間もない、城崎守は、人間性の高い男であった。
守は背の高い15歳くらいの少年にショウと名付けて、彼のない左腕の代わりをよく手伝ってやった。同僚からはやめとけ、愛称なんてつけるな、と言われたものだったが守は頑固だった。
ショウは、
「俺らは絶対にここから出られないんですよね?俺の幻聴も死ぬまで続くのかなあ。早く死にたいです。」
ショウはいつも暗く、常に後ろ向きだった。そんなショウを守はいつも励ましてやった。守だって彼らがどうなる運命かは知っている。でもせめてそれが来るまで人間らしく生きられたらいいと思っていた。守の両親はいない、彼は鉄道事故で家族を亡くしているのだ。元々公務員志望だった彼は、本来なら身元保証人がなければなれない公務につくために、必死に探した。仕事を。そして、事故の慰謝料があってもそれで生活できるわけでもないし、この、絶対に人に言えない仕事に就いたのだ。
たまたま、学校の先輩が優秀な政治家の秘書で、この忌み嫌う仕事があることを守を信頼して教えてくれたのだ。守は、自分は戦後生まれだが、この世界の希望より少数の人格や名誉を守りたい。昔からそうだった。
守は女衒通いが好きだった。玄人の女以外に興味はない。幸いこの仕事の給料は口止め料としてもあるがとても高い、彼は高級娼婦を月一で抱いていた。
守が建物中央の広場を見まわっていると、ショウとそのほかの連中がひそひそ話しているのを目撃した。
守は、まあ問題ないだろうと思い、上には報告しなかった。そしたら、その日の夜に建物から火が出た。
この建物は明治時代からあり、火事などありえないと思いながら必死に消火作業を職員はした。消防車は絶対に呼べないのだ。調理場のぼやで済んだが、職員の一人が数名が脱走したことを上に報告した。
守は、自分の責任だと思い、どうせ生きていても仕方ない命、上に全責任は自分にあると言って処分を待った。3日後、守に指令が来た。
ショウと呼んでいた男子、白眼で左手の指が六本の幼児、乳房が三つある目が見えない女子、この三人を密かに探して連れ戻せと、口頭で言われた。文章の証拠すら残さないのだ。
守は、殺せではなく、連れ戻せというのに納得して、仕事を喜んで引き受けた。警察への免責特権と資金力は十分に貰った。
そして、城崎守、21歳は日本中を彼らを探すために放浪した。目立つ顔ではない、背は高い方だが、運動は特にはしてこなかった。
彼には人との会話術が上手かったから、次から次へと捜査網を広げていき、ショウは3年目で見つけた。ショウは、帰ることを承諾したが、残りの二人の消息は一切喋らなかった。そうこうしているうちに、8年目で大人になった乳房が三つある女子、女性を見つけた。しかし、彼女はすぐに青酸カリを飲んで死んだ。
商売女をしていた、そして客の子供を産んでいた。その子供は両目とも見えないが他は健常だった。客は当然知らない。守は、その子を連れ帰った。
一向に、指が六本ある子供は見つからなかった。そうこうしているうちに、たまたま学生運動のデモと暴動に巻き込まれて城崎守は、死んだ。享年32歳。
彼の葬儀は行われなかった。ただし、直属の上司は遺骨を持って帰り、しばし家に置いて、毎日泣いていた。49日が過ぎて、上司は彼の両親と同じ墓に入れてやった。
極秘で。上司は仕事を無理やりやめた。そして、公安に転職した。全共闘への復讐である。容赦ない取り調べはそこから来ているのだ。
元上司の上田雄二は、60歳を過ぎても、公安にいた。なんとかして、6本指の子供も見つけたいし、全共闘の芽をつぶしたかった。そうこうしているうちに、家で心筋梗塞で死んだ。たまたま妻が見つけた時にはすでに死んでいた。
雄二の仕事上の書類は一切家にはなかったが、一応公安とはいえ、警察官。二階級特進と、そのコネで、甥っ子の御剣猛は警察へ進んだ。
皮肉なものである。猛は叔父の仕事上の秘密は一切知らなかった。しかし、公安であることを誇りにしていた雄二は幼い猛には魅力的に見えたのだ。
世界はどこかでつながっている、それが嬉しくなくても。世間は好景気に沸き始めた昭和50年代の終わりへと向かう。その運命だ。
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