第6話


 俺にとって今やるべきことは、考えるまでもなく「部長としての務めを果たすこと」である。


 真剣な表情で「今」を語る篠原に触発されてしまったのか、その思いはより強く濃くなっていく。そして団体戦をするために俺に足りないものも、これでようやくクリアになってきた。それは祖父からはっきりと指摘されたもの――「勇気」だった。


 競技かるたという地味な部活に人を寄せ集めるなんて、張り紙数枚で期待できるはずもない。本当に人数を集めたいなら俺自身が勇気を出してもっと勧誘に力を入れるべきだ。そうしないと、高校選手権までに四人も集めることなんてとても無理だ。時間が勿体ないと言っていた篠原同様、俺だって時間に恵まれているわけではない。やるからには本気を出してすぐに行動を起こすべきだろう。


 学校からの帰り道、竹田川に沿って歩きながら、勧誘をより効果的にするための斬新なアイディアをずっと考え続けていた。昼休みや放課後を使って、修哉や蓮也たちと一緒にデモンストレーションでもすれば、少しは他の生徒たちに興味を持ってもらえるだろうか。いや、それをする場所がない。どこかの空き教室でやろうとも、わざわざ見学に来てくれる人がいるかどうかも怪しいところだ。ビラ配りにしたって効果は薄いだろう。俺が教室を回って、目ぼしい人たち一人一人に声を掛けるという手もある。しかしそんな大それたことを、人付き合いの下手な俺に果たして出来るだろうか。たどたどしい俺の話など、見ず知らずの人に聞いてもらえるだろうか。もっと効率のいいインパクトのある方法があればいいのだが……


 夕暮れの光は少しずつ消えていき、空に纏う藍色の幕があたり一面に降りてくる。黄昏の涼気を運ぶ風が川の表面を撫でて、堤防の草花を揺らす。川の向こう岸から飛び立った鳥たちが、西側にわずかに残る赤い夕日の方へねぐらを探しに行く。光の乏しくなった太陽の反対側では、銀色の半月が舟となって暗い群青の海を渡っていた。


 その銀月を眺めながら、突然俺の脳裏にあるものが閃いた。それは夢で見た祖父の袴姿である。白銀色のススキの前で立っていた祖父の黒い袴姿はあまりにも幻想的で幽玄的で、日本画のような至宝の美を胸奥に残していた。その夢はあるはずのない現実の鮮やかな記憶として、心に深く彫り込まれていた。


「袴……袴か」


 突然湧き出たアイディアを忘れてはいけないと、ひとりごちて祖父の記憶に重ねておく。


 袴を着て、ステージ上で競技かるた部のデモンストレーション勧誘をする――まさにこれが今俺が必要としている勇気だった。


 思い立ったら即行動。夜、食事を終えてから母に袴の着付けを教わった。


「なんで急に袴なんや。学校で大会でもあるんか?」

「まあちょっと……部活で、お祖父ちゃんの力を少しだけ借りようと思って」

「お祖父ちゃんの力?」


 うん、と俺は頷いた。つい言葉を濁してしまった。部活動の勧誘のためだけにわざわざ袴を着用するというのが、俺には似つかわしくない行動のような気がして気恥ずかしかったからだ。母は腑に落ちないながらもなんとなく納得してくれた。祖父の部屋へ行き、桐のタンスを開けて袴一式を出してくる。


 洋服を脱いで着付けを始める。着物に袖を通すところまでは順調だったが、袴の帯に少しばかり手こずった。どうしても結びが緩くなってしまうようで何度か練習を繰り返す。三、四度ほど結びなおして、ようやくしっかりと身に着けることができた。


「これでなんとかいけそうかの、慎二。自分で着れるようになるなんて、もう一人前やなあ。袴着たらえらい立派に見えるわ。お祖父ちゃん見てるようや」


 目尻に皺を寄せ心底喜ぶ母を見て、俺自身も嬉しかった。両手を伸ばして袖の長さを確かめ、袴も同様に確認する。これを着るのは昨年末の東西戦以来、約半年ぶりになる。母がしっかりと保管と手入れをしてくれているお陰で、着物の痛みはさほどない。祖父の代から受け継がれた袴の感触は、重ねていった時の長さを味わい深い布の滑らかさに変えていた。黒光りする着物の色は気品に満ち、名人の貫録を俺に与えてくれているようで、着ているだけで力がみなぎってくるような気がする。


「これ着ると、勝てん試合でも勝てそうな気がするから不思議やな」


「そりゃそうやろ」着物のよれを丁寧に伸ばしながら母は言った。「この着物と袴はずっとお祖父ちゃんと一緒に戦ってきたんやもん。お祖父ちゃんの力も、思いも、熱意も、戦い方も、全部知ってる着物やで。お祖父ちゃんと一緒に戦っているのと一緒や。――ほや、今やってる朝ドラでな、「魂を入れろ」って言葉があったんや。いい言葉やろう? これもおんなじやな。お祖父ちゃんもこの着物に魂を入れ続けてきたんやざ。何年もの間、戦いながら、ずっと、ずうっとな。何に使うんか知らんけど、この着物と袴は新にちゃんと力をくれるで。しっかりと頑張りや」


 うん、と再び俺は強く頷く。この着物と袴さえあれば、俺に怖いものはない。

 黒い勇気を身に纏い、必ず「部長」となると心に誓う。

 決戦は明日の昼休み。部員たちみんなの情熱を受けて立つためにも、俺は戦う。


《完》

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青雲の名人 nishimori-y @nishimori-y

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