第4話
「す――……」
よしっという喚声とバンッという豪快な響きが同時に起こった。自陣の札が数枚まとめて飛び上がった。速い、そして力強い。その強さは俺がよく知る老いた祖父のものではない。もっと違う、最高峰の重みのある強さである。
これはかなり手強い相手だ。ちょっとやそっとの戦略で勝つのは無理だ。しかし相手が祖父であろうと幽霊であろうと得体のしれない妖怪であろうと、戦うからには勝つ。じっくりと試合の展開をイメージしながら次の札を待った。
「しらつゆに――……」
戻り手で自陣に向かったが、先に手を伸ばした祖父の手にぐいと押されるようにして札を取られる。巧みな手の動きに絡み取られてしまったように札を奪われた。
その後も三枚、四枚と札が取られていく。差はすでに五枚になっていた。
加速では負けない自信はあったのだが、札を取りに行く祖父の手の動きが半端なく上手い。俺の動きの先が読めているかのように簡単に腕や手をはじき返されてしまう。流れをつかむことができずにいる俺を揶揄するかのように、祖父は口角を上げた。
「慎二もまだまだやの。速いだけではわしには勝てんで。若い、若いわ」
祖父は意地悪そうにククッと笑った。馬鹿にされたようで思わず頭に血が上ったが、すぐに落ち着きを取り戻す。
――祖父だと思うから駄目だ。ただのやんちゃな大人だと思えばいい。
気持ちを切り替えると途端に肩の力が抜けて心臓が穏やかになった。「たちわかれ」が聞こえたときには祖父と同時に渡り手になったが、「たれをかも」に行った祖父よりも俺の方が若干早かった。ようやくこれで一枚。さらにもう一枚、「わたのはらや」を囲い手で奪う。この連取によって一気に俺の方に流れが来た。いくら祖父相手であろうと俺は絶対に負けない。絶対に勝つ。「なにはがた」と「なにしおはば」のどちらを送るか迷い、結局「なにはがた」を送る。
名にしおはば 逢坂山のさねかづら 人にしられで くるよしもがな
「なにしおはば」は、上の句と下の句の一文字ずつを合わせて「名人」となる歌である。かるたの名人。競技かるたの最高峰。俺の目指すべきところ。この歌を絶対に取らせるわけにはいかない。俺の陣から動かすわけにはいかないのだ。
「なに――……」
俺は相手陣へ。祖父は俺の陣へ。二本の腕が風を切って交差した。
「……しおはば――……」
全身から発する気合を凝縮した音と共に、「なにしおはば」は畳の外まで遠く弾き飛ばされた。
――これが正真正銘本物の、名人の速さというものか。
祖父の加速のあまりの鋭さに俺はしばし茫然としてしまい、反射的に息と唾を飲み込む。
札は周囲のススキの根元で大人しく祖父を待っていた。祖父は手にした札を目の前に掲げる。銀色のススキの前で札を持つ祖父の黒い袴姿は、光に輝く闇の王者のような威厳を放っていた。戦いで得た勲章を自慢するかのように、俺に札をこれでもかと見せつけてくる。
「慎二、これ取れんくて悔しかったやろ」
「…………」
「勇気が足りんな。取ってやろうという勇気、それがまるで足りとらん。それではあかんわ。そんなんでは、いつまでたってもこの札は取れんやろな」
そして祖父はなおも先ほどの皮肉を繰り返した。
「まだまだ慎二も若いのお」
いったい祖父は何のことを言っているのだろう。「なにしおはば」の札を取ったことくらい、練習でも本番でも、今までに何度でもあるというのに。
不敵な笑みをもらす祖父をぼんやりと眺めているうちに、周囲の景色が朦朧となってくる。祖父の姿は次第に輪郭が滲んでいく。風もないのに白銀の穂が一斉にざわりと揺らめく。
青空の中の雲が舞い降りる。そして、俺は白い靄の中へ深く沈んでいった。
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