第3話


 日曜日、足羽会の練習の後で今後の予定について話し合いが行われた。


 大会の勝利ポイントは各会対抗団体戦の出場権利に関わってくるため、実力ある両全さんなんかはポイント稼ぎのためにも自ずと大会遠征が多くなる。とはいうものの大会運営の仕事も分け隔てなくあるわけで、両全さんたちの負担はかなりの厳しさを見せていた。


「慎二くんも高校卒業したら忙しくなるでえ。足羽会のためにも頼むな」


 俺にそう諭してくれた両全さんは、選手でもあり、足羽会の主軸でもあり、大会運営者でもある。両全さんを始めとする足羽会の先輩たちの努力には頭の下がる思いがする。高校生である自分はまだまだ大人たちに守られているばかりだ。いつかはこの恩を返すべきときが来るのだろう。


 帰り際、もみじのことをふいに思い出した。助けてもらった、というのなら、もみじだってそうだ。「クイーンになるためならなんでもする」こう宣言して、もみじは福井への出稽古によく来てくれる。今こうやってかるたに打ち込めることができるのは、わざわざ福井まで足を運んでくれるもみじの熱意のお陰でもある。そしてその恩も、いつかは何らかの形にして返さなければならないと思っている。


 俺はかつてもみじに「団体戦には力を入れない」と公言してしまったことがある。

 もちろんそれは本意ではない。団体戦というものは個人戦とは違うノウハウや駆け引き、仲間との連携プレーが必要となる。そのための努力が無駄に感じるときがあるためだ。俺には他者との距離感に若干の抵抗があり、それがチームを作る上での足かせになっている節がある。


 しかしもみじは違った。その実力故に二年にして主将になったもみじはチームをどんどん強くしてゆき、高校選手権の団体戦で総合二位を果たしたのだ。俺は紅葉の作った新しいチームがみるみる強くなっていくさまをどうしても直視できなかった。多分、俺はもみじたちの作った「チーム」というものに、猛烈な憧れと嫉妬心を抱いていたのだと思う。仲間がいれば強くなれる、そして東京で一番になるどころか全国総合二位まで果たしてしまうほどの底知れぬ情熱。「仲間作り」という俺の最も苦手とするものをやすやすと手に入れてしまい、それをエネルギーに変えてしまうもみじたちの能力が羨ましくて仕方なかった。それは俺にはない力であり、俺の見知らぬ強さだった。


 東京都予選でも全国大会でも、俺はもみじへ素直に「おめでとう」と言えなかった。悔しかったからだ。そして俺が放った「団体戦には力を入れない」という不用意な一言でもみじを傷つけてしまったこと、この自分の愚かさには今でも後悔している。もみじの気持ちに応えるためにも、そして部員たちの情熱を受けて立つためにも、チーム作りに本気を出すことが俺には必要であろう。


 しかし情けないことに、チームを作るどころか部長としての役目を十分に発揮できていないのが今の現状である。俺はこの問題解決の糸口をどうしても見つけることができなかった。どうすれば俺のかるたへの情熱を他の人たちに伝えることができるのか、暗中模索の泥沼から足をひっこ抜くのはそう容易なことではなかった。



 ――気が付くと、俺はどこかの空き地に立っていた。


 空は晴天。小さな雲がぽかりと浮かぶ。小さな砂場が一つに、椅子が若干斜めになってしまっている二人用のブランコ、それに錆びてペンキがかさぶたのようになってしまった滑り台。まだ四月のはずなのに、季節外れの白銀のススキの草むらがその周りを取り囲む。その場所に見覚えがあった。幼稚園のときによく遊んでいた、近所の小さな公園だ。


 その空き地になぜか四枚の畳が敷かれている。しかもよく見ると、畳の上にかるたが行儀よく並べられているではないか。誰かを待っていたように置かれた畳とかるた一式は、その空き地には余りにも不自然で珍妙な光景であった。


 なんとはなしに畳に座る。かるたの札をじっと見つめる。自陣に二十五枚、敵陣に二十五枚。これはどう見ても正真正銘、競技かるただ。


 この状況はいったい何なのだろうと眉を潜めていると、目の前に人の気配がした。


「さあ、慎二、かるたしよっさ」


 それは聞き覚えのあるしゃがれた声だった。決して忘れることのない、世界で最も敬愛する人の声。顔を上げると、どこから現れたのか、一人の袴姿の美しい青年が静かな微笑みをたたえて畳に座していた。


「お、お祖父ちゃん……?」


 それは祖父だった。しかし俺のよく知る祖父ではない。肌には皺ひとつなく、背筋はぴんと伸び、筋肉たくましく、二つの聡明な瞳には有り余るほどの生命力がみなぎっている。それはビデオの中でしか見たことのない、祖父がまだ全盛期だったころの八重園永世名人の姿だった。


「なんや、化けもんでも見るような顔して」


 祖父と思われるその青年は、楽しそうに目を細めた。声だけが俺のよく知るものだ。老人特有のかすれたような響きに懐かしさを覚える。とはいえ目の前にいる青年から発せられるものだから、そのアンバランスさが奇っ怪なことこの上ない。


「お祖父ちゃん……なんでここにいるんや」

「かるたするために決まってるやろう。当たり前なこと言うなや。変なやっちゃな。さ、始めるで」


 全くもって意味が分からない。いったいここは何なんだ。戸惑う俺のことなど一向にお構いなしで、祖父は袖をはためかせながら元気よく素振りを始めた。と、どこからか誰かの読手の声で序歌が流れてくる。何が何だか訳が分からないが、とりあえず俺も一緒に身構える。

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