第12話 ミドリの登場
113。11000。
この数字に意味はあるのか、あるいはなんの意味もないかもしれない。村上春樹の本を113ページだけ読み、感想文を11000字書いて、僕は人生で1、2を争う面白いイベント(村上春樹ものまね大会)の渦の中にいた。僕一人ではこの熱狂とくだらなさを作ることはできないし、味わうこともできない。それで良かった。
高尚な理論と積み上げた技術と隠し切れないプライドを持ってして、くだらない思いつきと愚かな行為と冒涜的な悦びで貴重な日常の時間を費やし、真のハルキスト達に磔に遭う危険を犯してまで書いてしまう。書かずにはいられない。僕はそんな人間が好きで、それが人間と動物の賢さの定義の違いだと思う。
この作品たちは、作者のオリジナリティとハルキズムを煮詰めているがゆえにどこにも行き場がないとわかっていながら生まれてきた。僕はそんな作品たちに少しでも祝福と労いの言葉をかけたいと思い、レビューを送っている。
本文のカオスを受けた後に書くのだからもはやレビューもカオスだが、読む人もカオスを抱いて読むのだろうから許されるだろうという甘えた気持ちはある。あるいはその甘えこそが心地よさの本質かもしれない。
ひとしきり悪い遊びに興じた後、僕はいささか罪悪感を感じて、本編を読んでから眠ることにした。ミドリが登場した。特に感想はない。やや時代的に女性らしく(僕が思う生きている女とは違うと思うが)書かれているなとは思うが、わざわざ感想文に書くような印象はなかった。
ふと、直子の方がいいなと思った。なぜだろう、まだミドリのことを知らないのに。直子の喪失に同情しているからだろうか? よくよく自分の心の様子を探ってみる。直子に対するこの近い距離感はなんだろうか。
僕は彼女が幾度となく僕の心にリアルに現れていたことに気づいた。そうだ、僕はレビューでワタナベと直子の会話をオマージュして書いている。僕の中で、彼女は何度も戸惑い、何度も笑った。僕ですら彼女と過ごしたこのわずか数日で彼女と親密な精神的関係をもった。ワタナベが彼女と日常を過ごすことで、彼女が簡単に忘れられない女性になるのはもっともだ。
はからずも僕はワタナベと同期し始めた。果たして、森を読み切ることはできるのだろうか。
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