第6話 本を開かない日

 今日は体調が優れず、仕事から帰宅してすぐベッドに横になった。本を開いて頭を使うことはさすがに無理そうだった。体調が悪い日は良くないことを考えがちだ。僕はハルキの本の登場人物のように穏やかではなく、非常に攻撃的な人間だ。そんな時は自分の殻に閉じこもることが自分にとっても世界にとっても良いことだと思って今まで生きてきた。


 それでも、自分に関わってきた女たちのことが思い出された。「よくわかってくれる」と彼女たちは僕に言った。直子とは真逆の反応だ。僕は彼女たちと同じ経験をしていないのに、どうして「よくわかってくれる」と言われるのか。僕はその時何を話していただろうか。僕は彼女たちとの今までの会話をできる限り思い出そうとした。


 僕は傷ついている人に対して、その人の話をまとめたり意見を言ったりしない。そんなことをしても、腹が立つか余計に悲しくなるだけで意味がないからだ。僕は彼女たちと同じ気持ちになろうと努力をしていた。そして、その時感じたことを話すようにしていた。経験は異なっていても、似たような経験から気持ちを想像することはできる。そのようにすると、彼女たちは自分の気持ちを代弁してもらえたと感じて、――あるいは、これほど親身になってくれる人がいると思って――落ち着いてくる。


 直子とワタナベの会話が通じていないときを振り返ると、直子の世界にあってワタナベの世界にないものを、ワタナベが自分の世界でこしらえた代替品で答えようとしているように僕には見えた。そうだとしたら、直子のあの反応は当然だ。そして、そのような会話は世の中に溢れている。


 キズキが入っての三人での会話や人間関係のバランスもよくある風景だ。たかだか60ページまでの話だが、僕には共感を超えて日常だと感じた。日常茶飯事すぎて、大抵の人が気づかない。だからささいなことだとされている(実際はささいなことではない)。


 もしかしたら、村上春樹が河合隼雄を好きな理由はそこにあるのかもしれない。人の話を聞くというのは、本来尋常なことではない。話し手に、自分にない世界があるということが前提で、それに対するリスペクトが必要なのだ。


 そういう話なのかな、と自分なりに予想を立てて先を読み進めようと思った。

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