第2話 ある種の警告のようなもの
僕は今の作品に対する迷いのようなものを友人に打ち明けた。打ち明けるというほど大層な悩みではないが、書きたいものがあるのか、あるいはそれすらないのか、自分でもよくわからずにいた。
「今まで書いたものを見させてもらったけど、作品の傾向がマジックリアリズムなのかなと思います」と、友人は言った。僕は文学の知識がまるで無いので、友人から聞く言葉は全て新しくて興味をそそられる。
友人は僕に論文のリンクを送ってくれた。リンクを開くとそこにあったのは――村上春樹――の名前。こんな短期間にまたしても、彼と出会ってしまった。
「ありがとう。すぐに読んでみるよ」と、僕はお礼を言ったのだけれど、本当はすぐに読む気にはなれなかった。これだけの専門家やファンたちが研究し尽くしているにも関わらず、僕は少しばかりでも自分の力で読んで感じてみたいと思っていたからだ。
『ノルウェイの森』を開くと、五行目に「やれやれ」が出てきて、思っていた以上に早くハルキ味に触れられたことに僕は少し感動した。さらに読んでいくと、直子との思い出のシーンになった。「村上春樹ものまね大会」に一番乗りで参加していた作品には会話が多くあり、なるほどそういうのがハルキ的会話なのだなと面白く読んだ。注意深く会話を追い、何がハルキ味なのかを掴もうとした。若い時よりは幾分内容はわかるが、その会話がなぜその会話なのかという疑問(その疑問自体が掴みどころがないとは思っている)の答えになるようなものは見つけられなかった。
たとえば、頭の中のノートの一行目に彼自身が書いた本物の一文を持ってきて、その続きをハルキ味豊かに書いてみようと頭で考えてみる(内容は何でもいいとして)。そしてそれを本物と比べてみると、見事に何も惜しくなかった。僕の会話でハルキ味を出す力は、他の参加者に比べてはるかに劣っていると簡単に予想がついた。それでも仕方がない。僕は、今からかぶれていくのだ。
「はじめに」はなんとか見よう見まねで書き上げたが、すぐにクオリティを上げるのは至難の業だと思った。僕は友人がくれたリンクを思い出し、ヒントを得るために論文を読むことにした。すると、なぜかリンクが開けない。僕はすぐに、知識でわかった気になってはいけないという警告なのかもしれないと思った。そういう展開も悪くない。僕はそう思いながら本を閉じた。
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