第9話 神話殺し

 なんだか引っ掛かってしまったことが、引っ掛かってしまった自分に、思わずタメ息が出てくる。内容は知らないし、ただの風評被害かもしれない。


 だが現実として存在していたことを知るのは、なんだか具合が悪くなる。


(あーあ。最悪)


 夜遺はタメ息を吐き、次のページをめくった。


 そこでは、理念や原則など、単純に言ってしまえば一言二言で済むようなことを、長々と書かれており、大人は出来る限り難しく言ってやらねばならないんだと夜遺はゲンナリした気持ちになった。


 創立理念。日本を中心に世界を守ろう。


 原則。魔術と無関係な一般人を守ろう。


(たったそれだけのことを、長々と…はぁ)


 組織の成り立ちのように、決して語られない裏側の歴史という訳でもなく、どこまでも普通で、堅苦しい文字列に面白味を感じなかった夜遺は、それ以上真面目に読むことをやめて、次のページに進んだ。


 だが、そこから先はどれも似たような物だった。


 協力者や要注意団体、要注意人物といった物は一切明記されておらず、どこまでも行っても組織としてのマニュアルしかなかった。


 その中で、唯一夜遺の食指を動かした物があった。


(えーっとつまり、人外の取り扱い?)


 8つほどの審査をくぐり抜けた人外は、雇用することを許可される。しかしあくまでも人外であり、人権は一部欠けている。


 第一、許可なく腕輪を外すと処刑対象。やむ追えない場合を除く。


 第二、雇用を受け入れないのなら監禁。


 第三、人を殺害した場合即座に死刑。


 第四、一定期間連絡もなく行方不明になった場合、即座に敵認定。


 第五、雇用した場合、人間として扱うこと。


(あー気分悪いな)


 クソみたいなトリセツだと思い、夜遺はファイルを閉じた。


「返しますよ先生。お陰で注意事項が分かりました」


「そう良かったね。はいじゃこれ、給料明細。次からは君の家に届くからよろしく」


「今日は訓練ないんですか?」


「んー?給料日だよ?働きたくねー」


 いつも通りな言葉を受けて、夜遺は家に帰った。


(まぁつっつても高々1週間ぽっち。大した金額じゃねーだろ)


 ソファーに寝転がりながら、明細の入った封筒を開ける。


「11万…??」


 電気、ガス、家賃、と言った差し引きはなく、なんなら税金すらかかっていない。


「人権ないってサイコーー!」




 ◇




「深きものどもを知っているかな?今日の訓練はソイツを殺すことだよ」


 先生は珍しく真面目な顔をしていた。


「知ってますよ。一応。半魚人に近い化物ってことですよね?」


「1匹殴って捕まえてきたから、今日はそれと戦って殺せ。命を奪うことに躊躇してるとあっという間にあの世行きだから、なにも考えるな。そのうち慣れる」


 非日常が非常識に夜遺を蝕む。すでに頭のなかには、触れちゃいけないブラックボックスがあり、人に剣を振り回すことにも躊躇いは消えた。


「分かりました」


「よし。良い返事だ」


 手のひらの収まるほどの小さな銀色の檻。やや半透明に見えるように光を放っているそれを、先生が右手の上に浮かせている。


 あれも魔術の1種なんだろうと思いつつ、夜遺はそのまだ知らぬ魔術について考えることをやめた。好き好んで中途半端なブラックボックスを頭のなかに入れたくはない。


「私は認識阻害を使うから、夜遺君は一対一になる。準備はいい?」


 夜遺は黒い手袋を両手に着用する。


【武装招来】


 本来なら手袋のお陰で言葉にしなくても起動できるが、頭のなかで魔術を組み立てるのは気分が悪いので、夜遺はわざわざ普通の魔術のように起動する。


 当たり前のように、慣れ親しんだロングソードの重みを右手に感じた後、左手で右手首の腕輪に触れる。


【起動】


 体の奥から熱が沸き出てくる。身体能力が人間のそれを飛び越える。


 続けて2つの魔術も起動する。


【トートの詠唱】【肉体の保護】


「はい。どうぞ」


 先生は、右手の上に浮かぶ檻をゆっくり床に下ろした。


 すると銀の檻はその大きさを肥大化させていき、銀の輝きが一瞬強くなると、消えた。


 目の前に居たのはインスマス面と呼ばれる醜悪な顔を持ち二足歩行する魚人もどき。


 平べったく潰れた鼻に、横に広がった顔。しかしその代わりに眼球が前に飛び出ており、それは正しく陸に打ち上げられた魚。


 当然、二足歩行するとは言えども、魚である。ゆえに魚らしく、肌は鱗に覆われており、青白いカサブタが集まったような気味の悪い質感を与えてくる。その上、そのカサブタのような鱗にはヌメヌメとした光沢があって生々しく、目に毒だ。


 そして当たり前のように背びれと尾びれが生えている。首には、肉の垂れ下がったシワのような物が出来ていて、ブクブクと太っている印象を与える。そしてその膨れた首にはエラがあり、時折ピクピクと動き、中のピンク色が見える。


 手には水掻きのようなものがあり、指と指の間で幕を張っている。


 せめてもの救いとして衣類を着用してはいるが、あまりにも人間とは掛け離れた容姿で、人間の服を着ている違和感が気持ちの悪さを刺激してくる。


 地上にこんな気味の悪い、不細工極まる生き物が居て良いのかと思わずにはいられないほどに気持ち悪く、不快感を覚えてしまう。


 そんな化物が一匹、唸るような鳴き声を発しながら自分を見てくる。


(魔術を知るよりマシだな)


 常人だったら怯え、混乱、吐き気といった物を抱かずには居られない存在を前にして、夜遺の心はひどく静かだった。


 ただ近寄りたくないという感情が沸き起こる。単純に気持ち悪いから近寄りたくない。恐れという感情ではなく、道端でゴキブリの死体を見てしまったような気分。


(俺も銃使いてー)


 まずは剣から覚えろと言われ、銃器という文明が産み出した簡単殺戮兵器に触れることが許されず、この原始的な武器を使わされていることに不満が無いわけではない。


 だが、今の夜遺は銃器より剣を振り回す方が圧倒的に強い。


 腕輪により強化された身体能力は、軽々と8階建てのビルなら飛び越えられる。そんな身体能力で振り回す鉄の塊が弱いわけがないのだ。


 つまり一撃必殺。


 しかしそれだけなら、遠距離から致命傷を与えられる銃器の方が優れていそうだが、残念ながら【肉体の保護】という魔術がそれを阻む。


 肉体の保護という魔術は、消費した魔力に応じたバリアを展開してくれる魔術だ。


 薄い膜のようなもので、肌にギリギリ張り付かないそれは、名前の通りに、体をあらゆる物理的な攻撃から保護してくれる。


 無敵という訳ではないので、殴られれば、押し出されるような感覚で吹き飛ばされることもある。


 しかし膜が有る限り、決して血を流すことはない。


 銃弾は確かに人を殺すのに向いているが、魔術師相手には効果が薄い。そして神話生物の中には、常に肉体の保護のような膜を張り続けているバケモノもいるため、火力不足に陥りがちだ。


 その火力を補うために魔術で補強する手段もあるが、一発一発使いきりで手間がかかる。戦闘中にリロードもしなくてはならないし、ジャムが起こったら面倒だ。


 しかし、目の前にいる深きものという神話生物を殺すには充分と言える。


 そうやって、ゴキブリをハエたたきで殺すより、殺虫剤で殺した方が楽だということを長々と考えていると、ゴキブリがにじりよってきた。


 夜遺は、ハエたたきと呼ぶには物騒なロングソードを一瞬チラリと見てタメ息を溢す。


 圧倒的な身体能力にあかせて剣を振り抜けば、目の前のインスマス面のバケモノは、見るも無残な姿に様変わりするだろう。


 ただでさえ気味の悪いバケモノが、卵を割るように気味の悪い黄身をばら蒔くことになるだろう。


 2日はご飯をまともに食べられなくなりそうだ。


(そういえば、新米吸血鬼の死因の2割は餓死だったっけ?)


 死因の8割が狩られ、2割が餓死。


 ほとんど自殺らしい。吸血鬼へ望まぬ変化を遂げ、それでも人としてあろうとして血を吸わずに朽ちて死ぬ。


 晶がゲラゲラ笑いながらそんなことを喋っていたのを思い出す。


 体がバラバラになっても、頭を銃弾で撃ち抜かれても、心臓に風穴を開けられても生き残れる吸血鬼が餓死。


(吸血鬼が血を吸うのは、魔術的な要因があるんだったか?)


 夜遺は吸血鬼になってから一滴も血を吸っていない。


 右手にある黒い腕輪がなんとかしてくれているらしいが──全く…不気味なほどに多機能だ。


 もし、あの日一式を追いかけていなければ、もしかしたら夜遺も晶に笑われる死に方をしていたのだろうと思うと、なんだか複雑な気持ちになる。


『害虫が……』


 一度消され、戻った記憶がフラッシュバックした。


(一式は…古賀もか、吸血鬼を殺してるんだよな)


 きっと晶も平気で殺すことが出来るのだろう。


 視線を向ける───否、意識を向ける。


 醜いバケモノが走って向かってくる。


 ロングソードを握りしめる。


 集中力があり得ないほどに研ぎ澄まされる。それは【トートの詠唱】による思考加速を持って、人間の極限まで鋭く極まる。


 力任せではダメだ。見たくない物を見るはめになる。


 イメージするのは首だけをはね飛ばす未来。


 踏み込み、腕を振るう。剣先を意識して切り払う。


 ぐしゃり────目論みはぐちゃぐちゃに破れ去った。


 剣が皮膚に触れる感触が、そしてそれを切り裂く感覚が指に伝わる。それから硬い骨にたどり着く反動が腕に伝わる。


 集中力がマイナスに働く、思考加速が即座に迷いを作る。


 それからすぐに、もう止まれないと答えをだし、無理やりに剣と心を振り抜いた。


 肉を切り、骨を断つ。


 綺麗な切り口から入った剣は、ブレブレの乱暴な振り抜きを経て、バケモノをぐちゃぐちゃに吹き飛ばした。


「ハッ!ハッ!ハッ!ハッッッ!」


 ただのワンアクション。しかし夜遺は息を切らしていた。


 呼吸を荒げ、上下する肩にそっと手が置かれた。


「大丈夫。大丈夫。目を閉じて、それから息をゆっくり吸って」


 後ろから聞こえる声に全てを委ね、夜遺は目をつむった。


 ゆっくりとした呼吸を意識して、やがて落ち着いてきたころ、また声が聞こえた。


「大丈夫。なにも間違っていない。大丈夫。落ち着いたら目を開けて」


 夜遺はゆっくりと目を開ける。


「……俺はこれから、こんなことをしていくんですか?」


「まぁ。そうだね」


「殺さなければならないんですよね」


「まぁ。そうだね」


「……」


 彼ら深きももどもは、大いなるクトゥルフの奉仕種族で、主に海底で暮らしている。


 邪神であるクトゥルフを神として信仰し、地上の支配を目論むという、如何にも悪と分かる行動原理を持っていて、海底に沈んだルルイエという古代都市に封印されたクトゥルフに仕えている。


 敵対者は暴力で排除しようとするなど、分かりやすく悪の組織の末端のような奴らである。


 しかし単純にやられる雑魚とも言い難い。少なくとも通常の人間よりは強いからだ。その上バカでもない。醜い容姿からバカのような印象を受けるが、奴らが単純な破壊行動に出ることは少ない。


 地上の支配を暴力によって達成することが不可能だと理解しているのだ。


 奴らは人間と交配し、子孫を、仲間を増やすことが出来る。それによる侵略を組織的に行っている。


 人間という種族を汚染して、同胞にすることでの見えざる侵略。


 混血児は成長に伴い、徐々に容姿が人間からインスマス面という深きものども特有の醜悪な顔に変貌していく。


 しかしこれが必ず時期が来たらそうなるという訳ではないのが、恐ろしい所だ。


 自分が混血と知らぬまま子供を産み、変異しないまま人間として死ぬ。産まれた子供も同じように変異しないまま人間として生きていく。


 そんな自分を混血と知らない人は、深きものどもと接触して初めて、自分が混血児であり、彼らと同族であると理解して変異する。


 もちろん変異するまで外見上では、人間であり、見分けることは困難。


 奴らを放置すれば、気づけば全人類が深きものどもになっている危険性すらある。


「殺さないと、殺される」


 夜遺は息を大きく吸って、それ殺しを受け入れた。


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