第7話 ブラックボックスを知る

(なんのために。授業もないし、教師もいないのに美術室とか科学室とかがあるんだ…)


「次はアングラホワイトとして重要で、なにより砂上さんが暫く通うことになる場所を案内しますよ」


 夜遺は存在する意味があるのか疑わしい学校施設を見て、頭を抱えたまま古賀に先導されエレベーターに乗った。


 学校と呼ばれるには寂しすぎるこの建物の学年分けは、上──最も地上に近い場所──から下に向けて、小学校、中学校、高校となっており、夜遺に案内するということで階段を使って上がっていた。


 だからエレベーターに乗って初めて夜遺は気付いた。


「地下もあんのかよ………」


「エレベーターに乗ってしか行けないんだぜ。秘密基地みてーだよな」


 晶がそう笑うが、残念ながら夜遺はワクワクなどしなかった。


(どうせロクでもない)


 やがてエレベーターのランプが点滅し、浮遊感が落ち着いた。


 エレベーターから一歩踏み出して見えた景色は、学校の廊下と殆ど変わりがなかった。


 エレベーターから左右に茶色のフローリングが続いており、その通路の所々に鉄製のドアがある。その左右の突き当たりにもドアがあった。


「左奥の部屋が先生の訓練室です。その道中にアングラホワイトとして学ぶべき魔術が書かれた本がある図書館と魔術の実践室があります」


「右奥の部屋は俺たちの訓練室だ。先生がたまに神話生物を捕らえてきて、強制的に戦わされる。だから途中の部屋は…仮眠室とかがあるな」


 突然魔術などの単語が出てきて、夜遺の心のどこかにあった余裕が少しなくなった。


「まずは魔術からで良いでしょう。多分、先生が押し付けた説明には、基礎的な魔術を教えることも含まれていますから」


 魔術と聞き、夜遺は一式が呟いた不気味な音を思い出す。


「出来るかな?」


「出来るって簡単だ。どんな魔術か分かってれば、その腕輪がなんとかしてくれる」


 夜遺は嫌そうに右手の腕輪に視線を落とす。


「この腕輪って何が出来るんだ?」


「精神に作用する魔術への耐性と数点の魔術の補佐、そして魔力を溜め込むことと位置情報などのデータの送信、身体能力の大幅な強化ですね」


「それを起動すれば高さ5階のビルから落ちても、足がジーンってなるだけで済むぞ」


 夜遺は腕輪を着けたときの瞬火の説明を思い出し、本当に適当な説明しかしないなと、若干怒りが沸いた。


 それから晶に案内され、図書館と呼ばれた部屋に入ると大きな棚に本がスカスカに納められた、およそ本棚と呼ぶには余りにも寂しい物がポツンと中央に鎮座していた。


 その周りを囲うように数個のテーブルと椅子が並んでおり、本の数より椅子の数の方が圧倒的に多かった。


「これが、図書館…??」


 夜遺は促されるまま本棚に近い席に着席すると、晶が3冊の本を持ってきて、目の前に広げた。


「これがトートの詠唱。これが癒し。これが肉体の保護。今日はこれだけ読めばオッケー」


「は、はぁ…?」


 なにを言っているのか良く分からないまま、夜遺が生返事を返すと、古賀が詳しい説明を始めた。


「これらは魔術書です。読めばその魔術を理解でき、理解した魔術を扱うことが出来ます。理解できなくても読めば嫌でも理解できます。なにを言っているのか分からないと思いますが、これは感覚的な話で、理屈での説明は難しいので、受け入れてください」


「ま、とりま1冊呼んでみると良い。気分が悪くなるから」


 魔術を使えるようになるというワクワク感がありつつ、2人の説明から感じる不信感が夜遺の心をかき混ぜる。しかし読まねば始まらないし、読めとも言われたので、夜遺は迷いながらも1冊手に取った。


 それは、癒しと呼ばれた魔術書だ。良く分からない詠唱と保護よりは、分かりやすく平和そうという理由で選んだ。


 読み終えた。


 魔術書というと分厚い誇り被った本を想像するが、手の中にある魔術書は、薄い本より少し厚いという程度で、数分で読み終えることが出来た。


 内容をなにも覚えていない。


(なんだこれ…俺は、読んだ?いや読んだ。わかる。癒し。どうすれば良いのか分かる。知らない知識が知らないままに分かる…)


「気持ち悪っ!」


 頭の中にスマホがあるような感覚だった。そのスマホの電源を点けると、アプリ「癒し」が入っていて、それをタップすると魔術が発動する。


 スマホがなぜ動くのか、アプリはなぜ動くのか、分からない。しかし使うことは出来る。物体的なそれらが、頭の中にある。


 ブラックボックス理解不能が頭の中にある。


(の、脳ミソがもげる…ッ!)


 パン──手をたたく音が聞こえた。


「はいはい。考えすぎるなよ?考えると脳ミソがゴミになるぞー」


「あ、ありがとう」


 余裕の無い心からの感謝を絞り出すと、晶は楽しそうに笑った。


「ははっ。理解できたみてーだな。理解したのに理解できない。バグったシステムがそのまま動く感覚がさ」


 それから晶は、「試してみよーぜ」と軽く言った後、自分の親指を噛んだ。


 なにをやっているのかと困惑していると、晶は血が出ている親指を夜遺に見せて言った。


「ほら、癒し使ってみな」


 学んで実践。


 それを三回繰り返すと、夜遺は信じられないほど不快感を覚えた。


(考えちゃいけない物が頭の中に3つある……。しかも存在感が強い。使いたくねー。触れたくねー)


 魔術というものはこんなにも夢がない物だとは思わなかった。


 椅子にもたれ、暫くぐったりとしていると、古賀が更なる絶望を夜遺に告げた。


「覚えるべき魔術はまだありますよ」


「は、勘弁してくれ………」


 夜遺はこれから毎日1冊づつ魔術書を読むことが確定している事実から目をそらし、2人の案内の続きを聞いていた。


「ここが最後の訓練室だ。明日から戦闘訓練すると思うけど、頑張れよー」


 訓練室と呼ばれる右奥の部屋に入ると、そこは、夜遺の人生で一番大きな部屋だった。床と壁に、白一色の大きなタイルが敷き詰められていて、ボードゲームのマスのように線を引いている。


 天井は体育館を思わせるほど高く、千人ほど収容出来そうな空間には、空調の音が静かに、ゴウゴウと響いていた。


 そこには先客がいた。


 右手に、四角いカッターナイフのような刃を持った剣を握っている、銀髪の小柄な人物。一式燐が、静かに疲れたように高い天井を見上げていた。


 隣から小さな声が聞こえた。


「出るぞ」


 夜遺は腕を引っ張られ、部屋を出た。


「一式さんは、性格が安定していないと言ったのを覚えていますか?」


 ある程度部屋から離れた所で、古賀が口を開いた。


「精神…ではないのか?」


「性格、です。二重人格に近いのですが、別物です。まず前提として、人は役割に応じて言葉遣いや態度が変わります。その時、性格に少しの変動が起きています。例えば職場にいる時などは、誠実性が上がったりするのです。一式さんはその変化が極端に大きくなっているのです」


「だから、性格が安定していないということか?」


「はい。ですので、一式さんが剣を握っている時は気を付けて下さい。攻撃的になりますから、弱い人には特に」




 ◇




 今日から貴方の家だよーー!と与えられた家はお高めのホテルのようだった。


 1人で暮らすには多すぎる部屋、広すぎるトイレ、ベッドはタブルサイズで、大きなソファーがリビングに居た。


「あーー。意味わかんねー!けど、限りなく最悪だーー!」


 ソファーに倒れ込みながら、夜遺は今日の行動と言動を振り返った。


 夜遺は出来る限り丁寧語で話そうとしたが、困惑と衝撃で思わず素が出てしまったりして上手く行かなかった。


(まぁ別に良いんだが…)


 そもそも丁寧語で話していたのは、心理的に距離を置こうとしてのことで、深い意味はない。せいぜいが自己防衛の一環だ。

君子危うきに近寄らず

「賢い人、危ない、近寄らない!」


 露骨に頭を悪くして自分の振り返りを済ませた後、どうしてこうなったのかを思い出す。


 すると脳裏に浮かぶのは、一式燐という人物だった。


 危ないから近寄らないように、どう接すれば良いのか分からない、性格が安定していない、と言った彼女に対する言葉を思い出す。


 実際、夜遺は彼女が、「害虫が……」と吐き捨てるように言ったことを聞いている。


 危ないのは確かだろう。


「だけど、なんだかなぁ……」


 最後に見た、訓練室で天井を見上げていた彼女の横顔は、無表情で無感情だったが、なんだか頼りなく、寂しそうに見えた。


 あの2人が距離を置いてしまうような危険人物。一式燐。まだ数回しか話せていないが、彼女の言動は確かに不安定だったと夜遺は感じた。


 だが、仮に危険人物だったとしても夜遺を助けたことは間違いない。


「よし、まずは強くなろう」


 訳の分からないことに巻き込まれ、未来と日常があやふやに呑まれた。これからのことなどなにも信じられないが、とりあえず目標を決めなくては行動できない。


(弱い人物には当たりが強いなら強くなるべきだ。折角?吸血鬼になったんだ。普通の人よりは強いなら、なんとかなるだろ!)


 夜遺は不安感を根拠の特にない自信で乗り越えようと、気持ちを切り替えた。


 そうでもしないとこの急な変化に付いていけないと思ったからだ。

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