第6話 国法を潜るバンディット

「砂上はさ、この地下都市に今日来たばかりなんだよな?」


 晶がぐったりとしたまま話題を変えた。


「吸血鬼になった次の日に頭撃たれて気絶して、気付いたらここにいました」


 夜遺は自分で言っていて思わず笑ってしまう。昨日今日で起こった出来事があまりにも荒唐無稽で、3日前の自分に言っても信じないだろうと思えたからだ。


「おもしろ」


「晶」


 古賀が晶を咎めるような声を上げ、顔を向けた。


「でもも、だってもないからね?」


「すみませんでした。ごめんなさい」


 晶が古賀の言葉にいすまいを正し、夜遺に向けて謝罪した。


「いや、俺も笑えてくるほどだから別に大丈夫だよ」


 そんな晶の謝罪を聞いていて、夜遺は先ほどのルールブックのことを思い出した。


「そういえば、あのルールブックには吸血鬼がいなかったんだけど、俺は厳密には吸血鬼ではないのか?」


 2人の瞬火に対する評価を聞いていると、夜遺は自分が吸血鬼というのも案外、「だいたい合ってる」という奴なのではないのかと気になった。


「いやいやいや、吸血鬼だよ。検査に間違いがなければ間違いなく吸血鬼だ。ルルブには乗ってないけど、人間の吸血鬼はいる」


「ほら、晶が初めに言ったでしょう?だいたい合ってるクトゥルフ神話と。実話として実在しているクトゥルフ神話と、創作物として語られているクトゥルフ神話は同じでは無いのです」


「ストーリーの脇役なんて、適当にぶっとばされて終わりだろ?主神って言って良いのか怪しいけど、アザトースという神格が比較対象だぜ?クトゥルフとかの邪神じゃないと登場キャラとして、物語の物差しになれねーのよ」


「つまり、吸血鬼ごときは物語に登場させるには力不足なんです。ですので、創作物としてクトゥルフ神話には人間の吸血鬼の記載はありません」


「えーとつまり、弱すぎるから記載しないということですか?」


 夜遺の言葉に2人は頷いた。


「常人よりは強いのですが、少なくとも宇宙規模で存在する神々からすればアリと同じ扱いなんですよ」


「そう、人間っていうアリの視点から、強大な神々に恐怖するって言うのが創作物としてのクトゥルフ神話のテーマ。そんなテーマで吸血鬼ごときを取り扱う訳がねーのよ」


「もしかして吸血鬼ってそこまで強くはない?」


 これまでの説明からの推測を夜遺は口にした。すると晶が意味深な視線を古賀に向けた。


「私はとある吸血鬼に復讐するためにこの組織に入りました。そしてそれはすでに果たされています」


「……俺も吸血鬼は殺したことあるし……一式が殺したのは目の前で見たんだよな?」


 夜遺はその時のことを思い出す。あの時はフワフワとした感覚だったが確かに夜遺は自分の目の前で一式が吸血鬼を殺す様子を見ていた。


 そしてその時の小さな呟きも聞いていた。


「復讐…吸血鬼は、嫌いですか?」


 古賀は柔らかく笑った。


「憎かったのですが、今ではそれほど嫌っていません。私が殺したかった吸血鬼はちゃんと殺しましたから」


 復讐を終えた復讐者として、生々しい実感がこもった話し方だった。


 しかし夜遺は言葉に詰まった。


 復讐ということは、吸血鬼に大切な人を奪われたということだ。たとえ復讐を終えたとしても、奪われた命は戻らない。だから、その奪った種族と───実感はないが───同じ夜遺は、「それなら良かった」などとは言えなかった。


「あー深刻そうな顔はしないで良いですよ。すでに終わった話で、乗り越えた過去ですから」


「そーだぞ。過ぎた憐れみは侮辱と変わらんって先生が言ってた」


 晶が軽く放った言葉は、夜遺の心にズンと染みた。


「瞬火先生もまともな事を言うんですね」


 夜遺は笑うことにした。


 すると晶と古賀も笑顔を浮かべた。


「あの先生ひと適当だけど、キレる時はちゃんとキレるよ」


 言い方が悪いなぁ、と夜遺は苦笑いを浮かべるしかなかった。




 ◇




「ここが食堂。政府が作ってるだけ合って無料。気絶するぐらい食べても良いけど、夜10時には閉まる」


 夜遺は学校──と呼ぶには余りにも酷い建物──から出て、人工のライトで照らされた地下都市の案内を受けていた。


「つか今、腹減ってる?」


 時刻は昼の12時である。夜遺は当然のようにその質問に肯定した。


「減ってなくても食べてから案内するつもり……いや、お腹が空いたからついでに案内をしようと考えていたのでしょう?」


 古賀が胡乱な目で晶を見た。


「いやいや、新しい友達が腹減ってそうだから来たんだ、変な邪推はやめてくれよなー」


 その瞬間、ぐぅ、とお腹が鳴った。


 2つの視線が音の出どころに刺さった。


「俺じゃない!」


 古賀が呆れたようにタメ息を吐いて、とっとと食堂に入っていった。それからごちゃごちゃ言いながら晶が続き、夜遺も入った。


 地下都市にある無料の食堂と言うと、めちゃくちゃ胡散臭く、美味しくなさそうだが、思ったより悪くないと感じ、夜遺のお腹は満たされた。


「吸血鬼って血しか飲めないのかと思ったけど、普通に食事が出来て良かった」


 心からの安堵を口にすると、古賀が口を挟んだ。


「吸血行為は魔術的な要素が絡んだ本能ですので、そこをなんとかすれば普通の人と変わりないですよ」


 そうなんだ。と夜遺は呑気に返答して、それから焦ったように質問を返した。


「なんとかしたって…なにされたんです?俺」


「魔術的な措置を受けたというか、魔術的な拘束を受けていますよ。その腕輪です」


 腕輪が拘束具だったという新事実に、夜遺はうげっと苦い顔をした。


「だから外したら殺すとか言っていたのか……」


「あ、もしかして先生に言われた?あの人、殺るって言ったらちゃんと殺るから気を付けてなー」


 だいたい合ってればオーケーという人物なら、多めに見てくれそうだと考えていた夜遺の楽観は、晶の言葉で粉々に砕け散った。


「はぁ…俺はこれからどうなるんだ……」


 突然予測不可能になってしまった将来に、暗澹たる気持ちを浮かべた夜遺は、がっくりと項垂れた。


「あそこが病院。めちゃくちゃ病院らしくないし、真っ当な医者なんて数える程しかいないけど、一応病院だ」


 食堂を出て、正面にある建物を晶が指を差した。


 それは夜遺が目覚めたときにいた場所だ。


「字さんが居るところですよね」


「あの人、警備員兼受付やってるけど、滅茶苦茶強いって先生が言ってたから、なにかあったらここに逃げ込めってよ」


「ついでにこの施設を守れということだとも思いますけどね」


 夜遺はあの不健康そうな、今にも倒れそうな男を思い出し、本当に強いのかと疑問に思ったが、とりあえずそれを棚上げした。


「病院だから大切ってことですね?」


「あーまぁそうなんだけど、ここは一応牢屋でもあるからさ、逃げたら困る奴が取っ捕まってるんだよ」


 この場所は刑務所──と言っても良いのか分からないが──兼病院という訳らしいと理解し、守れという言い分も良く分かった。


「怪我人とかって出るんですか?」


「あまりでねーな。基本死んでる」


 この2日で平和な日本とは思えないほど、命が軽い発言を聞いていたため、あぁ…そうなんだ、と夜遺はすんなり受け入れてしまった。


「ですから医者はそれほど多くは居ません。そもそも魔術に関わりのある医者という存在自体が、あまりにも邪悪でしょう?」


 夜遺はその言葉の意味を噛み締める。


(魔術がどこまで出来るのか全く分からないけど、少なくとも魔術で治療が出来るのか…そして魔術でそんな事をする医者。……マッドサイエンティストか、医療過誤か、もしくは技術のない医者か、ヤバいヤブ医者しかいねぇ!)


「本当に医者なんですか?」


 到底人を救うという志を感じられない。


 そんな夜遺の気持ちを見透かしたように、古賀が困ったように笑った。


「一応、病院からの生還率は100%です」


 生還率などという、およそ病院から出てはいけないワードを聞き、夜遺はひきつった笑いしか作れなかった。


(死んだら帰ってこれない。帰ってこれなかったら観測できない。観測できなければ無いも同じ。生きてる限りは100%……なんて邪悪で信用できない数字なんだ。お、終わってる)


「そそ、しかも退院は1日も掛からない。もちろん金も取られないから安心しなー」


 本気で言ってるのかコイツ、と夜遺は晶を見るも、ヘラヘラとした笑顔を浮かべているだけだった。


 それから更に散策し、夜遺は建物の説明を聞いて回った。


 その建物のだいたいが支柱のようなビルで、実際に支柱としての役割を担っているようだった。


 都市と呼ぶには余りにも華がなく、遊びもない。この都市を設計した人物は、間違いなく合理性に頭を支配されていると感じざるを得なかった。


「基本的にヤバめの施設には入れねーから、入り口で弾かれる。ま、そもそもなーんの施設か分からない謎の建物もあるし、行けるとこだけ覚えておけば問題はねーし、困んねーな」


 どうせロクでもないことしてるんだろうな、と謎の信頼感すら生まれ始めた頃、ようやく始まりの場所、学校に戻ってきた。


「そういえば、学校の名前ってなんなんですか?」


 結局教えて貰っていないと思い出した夜遺は、2人に聞いてみた。


「え?えーーっと。わからん」


 晶は考える素振りを見せ、それから古賀に視線を向けた。


 答えを求められた古賀は手を顎下に置いて暫し熟考したのち、頼り無さげに口を開いた。


「国立……対神…高等学校?」


「誰も分かねーみてーだわ。俺は対神学校って呼んでる」


 世界中の神学校から宣戦布告を受けそうな名前は、どうやら公式にそう言う名前ということがわかり、夜遺は苦笑いを浮かべた。それから、そもそもの疑問を口にした。


「なんで高校なんて作ったんでしょうね?」


 日本の義務教育なら中学生までだ。高校に入るべき、という法律はない。それに、こんな地下都市に身を置くことになるような人物が高校を卒業したとして、なんの役に立つというのだろうか。


(行事どころか、授業すらない。制服ぐらいしかない高校なんて作る意味あるか?というか、こんな誰も知らないような高校を卒業しても意味なくね?)


 晶はあっけらかんと、単純な答えを夜遺に返した。


「瞬火先生が、先生になりたい!って政府に駄々こねて作られた。なんなら中学もあるぞ、この建物の中に」


「は?」


 この地下都市は無法なんだと夜遺は改めて実感した。そして理解した。


(学校作った人物が、学校名を適当にしか言わないから、誰も分かんなかったってことかよ?え?バカ?適当すぎん?)


「気をつけて下さいね。先生は褒められた大人ではないので、先生と呼ばれないと返事すらしませんよ」


(なんだそれ)


「なんだそれ」


 思考するだけで留めて置けない困惑が、思わず口から溢れだした。


 そんな夜遺を晶が今日一番、楽しそうに笑った。

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