第3話 曇り空

 目が覚めると、知らない天井があった。


 白く汚れのない天井。


 砂上夜遺はその天井と同じく白いベッドの上で寝ていた。


 そして思わず口にしてしまった。


「ここがあの世?」


 すると隣から軽く吹き出したような笑い声が聞こえてきた。


「あっはっはっはっは!様々な奴を見てきたけど、まさか、ははは!そんなことを言う吸血鬼がいるなんて、ははは!面白い奴だね。君は!」


 その方向へ顔を向けると、スタイルの良い女性が豪快に口を空けて哄笑していた。


 その女性は、赤い髪のポニーテールに赤い目で、黒いスーツに緩く締まった赤いネクタイをしており、パイプ椅子腰を下ろしている。


「えっと……俺は生きてるんですか?」


「うは!あはははは!ちょっと!待ってくれ!!アタシを、笑いで!殺す気かい!」


 なにも状況を理解できない夜遺は、目の前でゲラゲラと笑う女性に困惑しつつ、ベッドから体を起こして周りに目を向けた。


 白いベッドに白い壁、仄かに香る薬品の匂いから、病院のようだと思うも、窓はない。それどころかベッド以外なにもない。


 せいぜいあると言えるものは、爆笑している女性が座っているパイプ椅子ぐらいだ。


(まるで隔離病棟みたいだ)


 幸運なことに、夜遺は今までそんな場所を訪れたことがないため推測と想像に過ぎないが、なんとなく当たっているような気がしていた。


 そうやって現状把握が済むと思い出す。


(そういえば、撃たれた!)


 服を引っ張り、撃たれたはずの胸を確認するも傷跡は無かった。


(はぁ?なんだこれ?)


 全てが夢だったのかと思うも、あの生々しく気味の悪い異常空間は、夜遺の想像から出てくる物ではない。


(異常空間で、意味不明な奴に撃たれたと思ったら知らない場所にいる。ワケわからん!)


 混乱しつつも、女の胸がどうだと言う、ワケわからんことが最後に聞いた言葉にならなくて良かったと、夜遺はホッとした。


「あーあ。ごめんね。笑うだけ笑ってさ」


 パイプ椅子に座る女性がそう口にした。


「とりあえず…そうだな。自己紹介でもしようか、私は瞬火花蓮またたびかれん。瞬火先生とでも呼んでくれ。君の名前は?」


「え?あ、砂上夜遺です」


「そうか砂上君ね、よろしく」


「よろしく…お願いします?」


 夜遺は、なにがよろしくなのか分からず、曖昧に返した。


「さてと、全く状況が飲み込めていないようだから説明しようか。砂上君は銃で頭と胸を撃ち抜かれてここに来ました。はい、質問ある?」


「えーと…なんで生きてるんです?」


「君が吸血鬼だからです」


「…は?」


 疑問に対する答えはひどく乱暴で、投げやりで、あまりにも優しくない。夜遺は、もっと説明が欲しいところと思うも、残念ながら説明をするつもりは無いようで、瞬火は次の話を始めた。


「次、えーと、そう!砂上君には3つの選択肢があります」


 瞬火は指を3つ立てて、それから人差し指だけを残して2つの指を折った。


「1つ、死刑を受け入れる。君には死刑判決が下っている」


 突然の死刑宣告。


 寝ている間になにがあったのか教えて欲しいと思うも、瞬火は2つ目の指を立てた。


「2つ、逃げる。まーその場合は死刑と同じだね。逃げたら追いかけて殺す。どうせ逃げられないし、手間がかかって面倒だからやめて欲しいね」


 瞬火はあっけらかんとした態度で殺すと言い出した。


「そして3つ、働く。組織に所属して、ある程度の不自由と引き換えに死刑を拒否して生きていくことが出来る。正直一番オススメかな」


 なにか質問は?と瞬火が言うので、夜遺はおずおずと聞いた。


「その…なんで死刑なんですか?」


「え?吸血鬼だから」


「その…吸血鬼になった記憶が無いんですが…」


「あーそれね!ドンマイ!運がなかったね!」


 説明になっていないと心のなかで絶叫すると、ドアを開く音が聞こえた。


「先生。彼は目覚めた……ようですね」


 凛とした透明で張りがあり、良く通る声だった。


 目を向けると、そこには銀髪ショートカットの小柄な女性がいた。


 そしてその女性のエメラルドと目があう。


 色素の薄い肌に銀の髪。服装は追いかけた時と同じ黒いコートと黒いズボン。白と黒で構成された中にあって、その緑色の瞳はひどく印象的で綺麗だ。


 彼女は申し訳なさそうに夜遺から目線を外して瞬火に近付いた。


「先生。彼の記憶を戻しても?」


「あぁ、よろしく」


 彼女は瞬火から離れ、夜遺の目の前に来ると、


「すみません。私のミスです。ごめんなさい」


 そう言って頭を下げた。


「いや、その、なんのことか分かりませんが、頭を上げて下さい」


 よく知らないことで謝られた夜遺は、居心地が悪くなり、急いで頭を上げるようにお願いした。


 すると彼女はゆっくりと頭を上げて、申し訳なさそうな顔をして夜遺の顔を見た。


 綺麗なエメラルドがすぐ側にいて、夜遺は落ち着かなかった。


「その…記憶がどうのって言ってませんでしたか?」


「はい。私が記憶を消しました。なので今からその記憶を戻します」


「そんなことが可能なんですか?」


「はい。出来ます。準備はいいですか?」


 真面目な顔でそう聞かれ、夜遺は思わず身構えた。


 それからゆっくりと、不安だったが頷いた。


「では、始めますね」


【記憶を晴らす】




 ◇




 12月25日。


 その日はなにも変わらぬ1日だった。


 冬休みという夢は暖かい布団の中で覚めることはなく、昼を過ぎてなお、夜遺はダラダラと怠惰にベッドの中から出なかった。


 二度寝をぐっすりと堪能し、やがて昼手前にその夢から覚めたものの如何せん布団の外は寒いため、夜遺は芋虫のように布団の中に閉じ籠っていた。


 呆けたままに動画サイトを開いて眺めている。


「腹減った…」


 夜遺は目覚めたときから、うっすらと空腹感を覚えていたが、ベッドから出ることの方が空腹より重要で、無理やり知らないフリをしていた。


 しかし我慢も限界に達してつい口に出てしまう。


(あーヤバい。ホントに腹減った。あーあ)


 するとどんどんその気持ちが強くなっていき、空腹もより強く意識してしまう。


 それから意を決してベッドから飛び起きる。


「あー腹減った」


 それを何度も繰り返し口にしながら、電気ケトルにスイッチを入れる。


 カップ麺は3分待てば食べられるが、その3分を待つために必要なお湯の準備にも時間がかかる。当然だがテレビの広告のように、お腹が空いたら直ぐに3分で食えるなんてことはない。


「あーー腹減った」


 その時間をもどかしい気持ちで待っていると、スマホに1通のメールがやってきて、いつもと同じように夜になった。


 通話を切り、ゲームを落とし、タメ息を落とす。


 ちゃんと楽しんだからこそ疲れ、それを払うためのタメ息だ。


 すでに外には夜が落ちており、しんしんと音もなく白い雪が積もっていた。


 なんとなく夜遺は散歩に出掛ける気持ちになり、家を出た。


 ふらふらと宛てなく歩く。人混みに紛れて、人並みに街に溶け込む。


 途中で暖かいココアが飲みたくなって、コンビニに足先を向けて進みだした時。


 知らない女性が夜遺の進行方向へ躍り出た。


「こんばんわ。少しお時間いいかしら?」


 薄紫の髪と深い青の瞳を持った長髪の女性は、にこりと穏やかな笑顔を夜遺に向けた。


「…?えぇ、こんばんわ。もちろん良いですよ」


 知り合いではない人物だが、明確に夜遺を見ており、ここで自分に話していないなんてことはあり得ないと考えた夜遺は、穏やかに返事を返した。


 女性はありがとうと口にして夜遺の腕に腕を絡めた。


「寒いわね」


「そうですね。もう少しだけ厚着すれば良かったです」


 あまり寒いとは思わないが、同意を求められているのだから、同意するべきだ。


 すると女性は嬉しそうにはにかみ、少しだけ絡めた腕を締めた。


(魅力的だ……)


 胸の柔らかさを腕に感じつつ、夜遺は頑張って思考をコントロールしようと躍起になっていた。


(あぁ。そう言えば、今日はクリスマスだったな)


 夜遺は少し前に、友達がゲーム中にギャイギャイ吠えていたのを思いだした。曰く、同級生で彼女持ちの奴の大半は分かれるんだよ。とのことだ。


(いや、高1年の恋愛で別れない方が珍しいだろ)


 言われたときはゲーム中であり、なんか吠えてるな~と言ったぐらいの認識で適当に流していたが、今冷静に考えると実に頭が足りてない発言だ。


「どうしたの?」


「いや、なんでもありません」


「  お し え て  」


「はい。わかりました。別に大したことじゃないんですが、今日友達が、彼女持ちの同級生に嫉妬心でバカになっていたのを思い出していました」


「君は羨ましいとは思わないの?」


「あまりよく分かりません。友達と遊べればそれで満たされてます。ですから…そういった面倒なことは遠慮してます」


「シたいとは思わない?」


「……たまには」


「じゃあ行きましょうか」


「はい」


 彼女に連れられるように夜遺は歩く。


 普段通ることを避けている場所に連れていく。


「…貴女はだれですか?」


「 だ れ で も い い で し ょ う ? 」


「そうですね」


「さ、入りましょう」


 二重のドアをしっかりと閉める。


 夜遺はそこで初めてベッドの高さを変える機能を目の当たりにした。


 それをクスクスと彼女は笑った。そして夜遺は彼女に押し倒される。


 カチャリ───鍵が開く音が聞こえた気がした。


 そしてそれは幻聴などではなかった。


 ドアを開け放ち、部屋の中に1人の少女が入ってきた。身長は150ほどで銀のショートカット。綺麗な緑色の瞳が印象的だった。


 夜遺の上に乗っていた女性が吹き飛んだ。


 女性は壁に叩きつけられ、苦しそうにお腹を押さえて呻き声をあげる。


「害虫が……」


 いつの間にか目の前に移動していた少女がそう呟いた。夜遺はそれが深い怒りによって形作られた言葉だとすぐに理解した。


 少女は緑色の瞳を不快げに細めて、壁の近くで踞る女性にゆったりとした足取りで近付いていく。


 ある程度近寄った所で、女性が不意を突くように少女へ襲い掛かった。


 少女はそれをスルリと避けながら、右手に持っていた剣で女性の首を打ち据えた。


 ドサリ。女性は糸が切れたように床に崩れ落ちる。


 夜遺はその時になって初めて、少女が剣を持っていることに気が付いた。


(なんで剣を持っているんだろう……)


 少女は夜遺を一瞥する。それから興味なさげに視線を再び女性に向けた。


 それから女性を足で蹴り、酷く乱暴に仰向けにした後で、ポケットから取り出した釘のような物を女性の胸に突き刺した。


 絶叫────。女性は人間とは思えない金切り声をあげた。


「なに?!なに?!なに!?」


 なんだがフワフワとして、浮いていた意識がその声で撃ち落とされ、酷い頭痛と混乱が夜遺を襲った。


 そして女性は消えた。


 目の前には剣を持っている少女。


 ボンヤリとした記憶と意識から、その少女は夜遺の目の前で女性を剣で殺したことを知っている。


(つーかなんで俺はそれをボンヤリ見てたんだよ!?つーか俺はなんでこんな場所にいるんだよ!?誰だよ!?誰なんだよ!?)


 消えた女性も知らない人。目の前の少女も知らない人。逃げると言う選択肢が出てくるのは早かった。


 しかし夜遺の行動よりも、少女の行動の方が早かった。


【支配】「逃げるな。そして騒ぐな」


 その言葉を聞いたとたん、夜遺は逃げようとした体が突如言うことを聞かなくなったような感覚を覚え、ベッドから転げ落ちた。


 少女はそれになんの反応も示さず、スマホで電話していた。


 夜遺はそれをただ眺めていることしか出来なかった。


(動けない。なんで?どゆこと!?)


「着いてこい」


 電話を終え、振り返った少女は夜遺にそう言った後、部屋の外へ歩きだした。それは着いてこない訳がないとでも言いたげな堂々たる姿だった。


(なに?なんで?逃げろぉぉ!)


 半ば絶叫じみたことを思いながら夜遺は、当然のように着いて行ってしまった。


「君の家まで案内しろ」


(嫌だ!)


 そう思うも、夜遺の体は少女に口頭で説明しながら家までの最短ルートを歩き始めた。


「お邪魔します」


(帰ってくれぇ!)


 危険極まる少女を家に上げてしまったことを酷く後悔しながら、夜遺の体は言うことを一切聞いてはくれない。


「えーっと…そうだなぁ。君、ベッドで寝転がれ」


 少女は可愛い。色白で、思わず抱き締めたくなるような低身長で、銀髪は輝いているようで魅力的だ。


 しかし怖いという事実はそれら全てを叩き潰す。


 夜遺は生きた心地がしなかった。


 危険人物によく分からないまま自由を奪われ、よく分からないまま家にあげ、ベッドで寝転がっているのを見下されている。


 いったいなにをやったらこんな目に会うのか教えて欲しい。


 そうやって夜遺がビクビクしていると、少女は咳払いをした。それからゆっくりを息を吸った。まるで緊張を和らげるような態度だった。


 恐怖が夜遺の心を染め上げる。


 そしてその予感は的中する。


 少女はどこの言語か全く検討もつかない詠唱を始めた。それは言葉と言っていいのか定かではないほどに曖昧で、音と言葉の狭間で不気味に揺れ動いている。


 少女の緑色の瞳が無機質に夜遺を見下ろす。


(怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い!)


 やがてその詠唱が終わった。


 少女はふぅとタメ息を吐き出すと、夜遺に向けて命令した。


「3分後に寝ろ」


 その言葉を最後に、少女は夜遺を置いて部屋から出ていった。そして遠くの方で、「お邪魔しました」という声が聞こえてくる。


 何一つ理解することが出来ないまま、よく分からない何かをされた、という実感が、夜遺の心に恐怖だけを積もらせていく。


 やがて3分後、意識と共に記憶も消えた。

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