第2話 欠け

 地下は地上と異なり比較的綺麗だった。


 ゴミは落ちていないし、壁は崩れていない。窓ガラスはそもそも存在しないため曇ってなどない。


 そしてなにより、電気が点いている。


 だからこそ、夜遺は警戒心を強めた。


 電気が点いているということは、確実に人がいるということに違いがないからだ。


 ゴクリと唾を飲み込み、より注意深く音を殺して歩く。


(そもそも俺はなにをしに来たんだ?)


 よく知らない他人を追いかけて、よく分からない場所に忍び込んで、目的すらよく分からないまま、ここまで来てしまった。


 目の前に、すぐそばに危険があるかもしれないという状況が、夜遺が意図的に押さえていた、目を背けていた考えを再び浮上させる。


 だが、


(帰りたくない。俺はあの人に…聞きたいんだ)


 夜遺は確信していた。


 あの銀髪の人物は、夜遺の謎の欠落の答えを知っているはずだと、なんの根拠もないが、確信していた。


 しいて理由をあげるとするならば、デジャブを感じたのだ。


 あんな綺麗な銀髪をした知人はいないのに、どこかであったような気配がする。


(貴方は私を知っていますか?てか?)


 あまりにも意味不明過ぎて、思わず笑いが沸き起こった。


 私は貴方を知りませんが、貴方は私を知っていますか?なんて、普通に初対面の人物に言うべきことではない。


 仮に初対面じゃなかったとしても、クソ失礼極まるだろう。


 そしてその質問の結果は、良くてクソ失礼なストーカーで、悪ければ意味不明で狂人的なストーカーだ。どちらに転んでも最悪な二択しか待っていない。


 警察に厄介になること間違いない。


(やべー帰りたくなってきた。どうしよ)


 夜遺の胸中はぐちゃぐちゃにかき混ざっていた。


 それでも後退しないのだから、紙一重で進む意志が勝っていた。


 それから扉を1つ1つ、ゆっくり、ゆっくり開いて中を覗いていく。


 冷たい金属のドアノブが、夜遺の指に金属特有の冷たさと匂いを残す。


(ん?)


 そして最後の1つにたどり着いた。


 その扉だけ、どれだけドアノブを回しても、手応えが返ってこなかった。ドアノブだけが空回りしているような、感覚が手に伝わる。


 その感覚に、夜遺は覚えがあった。


 扉の向こうに居る可能性がある、銀髪の人物を思い浮かべて、夜遺は扉押し開いた。


 そして夜遺は言葉に詰まった。


「なん…だ…これ?」


 そこに長い銀髪の女性がいた。


 しかし追いかけていた人物ではない。


 追いかけていた人物の髪は長髪ではないからだ。


 夜遺が固まったのは、別の要因に依るものだ。


 目を向けると、その人物以外にも数名の女性が目を閉じたまま椅子に座っていた。それはまるでフィギュアを飾るように、大きく綺麗なガラスケースの中で、身動ぎ1つもせず。


 目を閉じていても、動いていなくてもわかる美人しか居なかった。


 幸、不幸か、美人しか居なかったからこそ、全てが作り物のように感じられる空間であった。だから夜遺は取り乱すことは無かった。


 ただ、強い衝撃を受け、呆然としていた。


 そこで並べられている彼女たちは、決してマネキンやフィギュア等ではなく、間違いなく本物であると直感的に気付いたからだ。


 夜遺はその場から1歩も動けなかった。


 数分か、数十分、さすがに1時間はないし、もしかしたらもっと短く数秒だけだったのかもしれない。


 その曖昧な時間感覚の果てに、夜遺は意識を取り戻した。


「え?…助けないと?え?生きて…る?いや、つか、どうやって?」


 様々な気持ちが洪水のように決壊し、ぶつかり合い、行動と思考が混乱する。しかしそれでも夜遺は助けるという行動を選んだ。


 恐る恐る、その悪趣味なショーケースに近付いていく。


 近付けば近付くほどに、より強くなる気味の悪さを押さえつけてそのガラスケースを調べていくと、隅に小さなボタンを見つけた。


 夜遺は少し迷ったのちにそれを押した。


 ガチャンという音と共に、ガラスケースが開く。


 銀の長髪の女性の肩を揺らすと、バランスを崩したようにその人物が倒れてきた。


 それを体で支えると分かった。意識はない。そして命もない。


「────ッ!」


 ゾクリとした。


 生きているかも知れないという一抹の希望すら否定されたというのもあるが、なによりもその死体が未だに熱を持っていることに恐怖したのだ。


(え?どうする?警察?は?今さら?)


 わざわざこれを開いて助け出そうとするより、とっとと警察を呼ぶべきだったと、遅蒔きながら気付き、焦る気持ちをそのままにポケットのスマホを取り出そうとしたが。


「あっ!」


 意識のない人間を1人、バランスを崩さないように支えながらスマホを取り出すのは難しく、夜遺の手から滑り落ち、音をあげた。


 やることなすことが全て裏目に出て、夜遺の心はより焦る。


(とりあえず…どうする?この……人)


 死体とは言いたくない。言えば、その死を認めてしまう気がして言えなかった。猟奇的な現実を認めたくなかった。だから夜遺は心のなかでも、あくまでも人として考えていた。


 素人の直感など当てにはならないと、自分を鼓舞していた。


 そしてこの人を床に寝かせるか、元の椅子に座らせるか少しばかり迷い、椅子に座らせることに決めた夜遺は、慎重に、丁寧に、元に戻すことに成功した。


 胸くそ悪くなる光景だった。不愉快だった。


 それは冷静になってきた思考が改めて状況を把握して、初めに沸き起こった感情だった。


 綺麗な洋服を着た、意識のない美人を、フィギュアのように並べているこの景色が、見知らぬ醜悪な悪意を自慢気に見せびらかしているようで不快だった。


 それはただの虚勢だったが、夜遺にとっては真剣な物だった。


 舌打ちをしつつ、夜遺は落としたスマホを拾った。


 瞬間。


 ドアになにかがぶつかる音が聞こえた。


 心臓が跳び跳ねる思いだった。


 やってきたのは犯人、もしくはそれに近い人物だと思い、気持ちが悪くなるほど心臓の鼓動が身近に感じられた。


 こんな風に人を飾るような、正気ではないことをするような、ヤバい犯罪者がやってきた。


(ヤバい。どうする?隠れる?でも、ケース開きっぱなしだ。音を立てないようにする?でも出入りする扉は1つだけ。殴って逃げる?)


 警察が来たとか、助けが来たとか、そんな好意的な考え方は一切なく、ただ、ただ夜遺は怯えていた。どうするべきか、という問いの答えを必死に求めて動けずにいると、やがてドアが開いた。


 どこにでもいそうな、普通の男だった。


 少しばかり癖のある灰色の髪。身長は夜遺とほぼ同じで、冬の季節に適応した黒いコートに黒いズボンを着ている。


 どこにでもいそうだが、しかしその服が万全の状態であったのならという条件がつく。


 コートはカッターか何かで切り裂かれたようにぐちゃぐちゃで、所々肌が見えてしまっている。ズボンも同じように切り裂かれていて、穴が空いている。


 人畜無害な一般人をアバンギャルドに加工したような、元、どこにでもいそうな男だった。


 そんな人物が草臥れたような顔で、夜遺を見た。


「はぁ…最悪だ。欲張らなければよかった…。あの子を手に入れられるのなら手放しても良いとさえ思っちゃったからかなぁ。そのクセ愛着が捨てられなくて、1つだけでも持っていこうなんて考えたからバチが当たったのかもなぁ…。まぁなんにせよ、ないよりはある方がいい。なくても良さがあるのは、女の胸ぐらいの物だ」


 やはり疲れたようにそう口にした後、男はガラリと様子を変えた。


「まぁそんな訳で、諦めるわけにはいかねーのよッ!!」


 夜遺は、平和な日本の平和的な一般人であるため、せいぜいゲーム中でしか見ないような物体についての知識など持ち合わせては居ない。しかしいくら実物を見たことがなかったとしても、ソレがなんなのかは分かる。


 アバンギャルドな男は、両手に銃器を構えて夜遺を見据えた。


 それでも───否。だからこそ夜遺は行動出来なかった。


 突如として、この異常空間を作り上げたとおぼしき異常な男が現れ、そのまま独り言のように持論らしき言葉を疲れたような笑顔で捲し立てると、その笑顔を前ぶれなく引っ込めて、睨みながら銃を構えてきた。


 冷静に考えても意味が分からない。だからこそ夜遺は動くことが出来なかった。


 犯人がやってくるという恐怖に固まり、現れたアバンギャルドな男に困惑し、話している内容を理解しようと頭を回転させていると、銃を向けられ再び恐怖したのだ。


 目まぐるしく変わる状況を理解することが出来ず、夜遺は蛇に睨まれた蛙のように固まっていた。そして急激に冷えていく思考が、動けば撃たれるのではないだろうか、という結論を出した瞬間。


 2発の銃声が響き、眉間と胸を貫かれ、夜遺の意識は途絶えた。

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