神話殺しのアングラホワイト

缶味缶

第1話 欠け

【記憶を曇らせる】




 ◇




 インスマス面と呼ばれる醜悪な顔を持ち二足歩行する魚人もどき。


 平べったく潰れた鼻に、横に広がった顔。しかしその代わりに眼球が前に飛び出ており、それは正しく陸に打ち上げられた魚だ。


 当然、二足歩行するとは言えども、魚である。ゆえに魚らしく、肌は鱗に覆われており、青白いカサブタが集まったような気味の悪い質感を与えてくる。その上、そのカサブタのような鱗にはヌメヌメとした光沢があって生々しく、目に毒だ。


 そして当たり前のように背びれと尾びれが生えている。首には、肉の垂れ下がったシワのような物が出来ていて、ブクブクと太っている印象を与える。そしてその膨れた首にはエラがあり、時折ピクピクと動き、中のピンク色が見える。


 手には水掻きのようなものがあり、指と指の間で幕を張っている。


 せめてもの救いとして衣類を着用してはいるが、あまりにも人間とは掛け離れた容姿で、人間の服を着ている違和感が気持ちの悪さを刺激してくる。


 地上にこんな気味の悪い、不細工極まる生き物が居て良いのかと思わずにはいられないほどに気持ち悪く、不快感を覚えてしまう。


 そんな化物が一匹、唸るような鳴き声を発しながら自分を見てくる。


 自分は今からこの化物を殺せるのだろうか、そんな不安もありつつ、どこか冷静にその化物を観察して分かったことは、ただ、気持ち悪いという事実だけだった。




 ◇




【記憶を曇らせる】




 ◇




 なにかが欠けている。


 昼の11時、ゆるりとした目覚めを終えてからしばらくして、砂上夜遺さじょうやいはそんなことを思った。


 なにかを忘れている感覚。


 誰もが一度は経験のある記憶の引っ掛かり。


 なにかするべきだったような、なにかをしていたような、そんな曖昧だが、なにかがあったと覚えているような感覚。


 しかしそもそも昨日の夜はいったいなにをしていたのか、それすらも分からなかった。


 適当眠くなって寝たような覚えがあるが、あやふやだ。


 お酒は、まだ16歳の夜遺では法律に引っ掛かるため、飲んでいる筈がない。しかし夜遺は昨晩の事をなにも覚えていない。


「なんだ?なんか…なんだ?」


 夜遺はスマホを開いて日付を確認する。


 すると今日の日付である12月26日の天気予報まで教えてくれた。


 昨日は確かに25日だった覚えがあるため、寝ぼけている訳でもない。


 次にメッセージアプリを開くが、遊びの連絡はなかった。


 忘れている物はどうやら遊びの約束ではない。


「ん~???」


 宿題なんぞは後々友達から奪えば解決するため、宿題をやろうという気持ちなどは毛ほどない。仮に万が一、億が一にやる気になったとしても、そんなことに気を引っ張られる夜遺ではない。


 買い物かと思うも、夜遺は基本的に宅配で生きているダメダメ高校生なため、必要だと思うものは気になった瞬間に購入する筈である。


 だがしかし例外というものはある。


「めんどくさくて後回しにしたか?」


 めんどくさくて後回しにした結果、余計に面倒なことになる。


 夜遺は深いため息を吐いてから、馴染み深い後悔に背を押されて、冷蔵庫やインスタント食品の棚を確認していった。


「飯じゃない…?」


 残念なことに、食料品は購入するにはまだまだ在庫が残っており、後回しにした訳ではないことが分かった。


「めんどくせー!」


 イライラしてきた夜遺は、バンと力を込めて乱暴に戸棚を閉めて、その苛立ちのまま部屋中を歩き回った。


 なにを忘れているのか分からないまま忘れたものを探す苦痛。


 ここまで来ると、夜遺は確信すらしていた。


(絶対になにか忘れてる。間違いなく絶対に面倒な奴を忘れてる。絶対に致命的な物体だ。後々になってぶちギレる類いの物体!)


 イライラがドンドン募る。昨日の自分はいったいなにをしていたのか、と八つ当たりをしながら、一向に思い出せない記憶の適当さに更に苛立つ。


「なんなんだよそれは!」


 怒りの限界に達した夜遺は、叫ばずにはいられなかった。


 洗濯用の洗剤やシャンプー、歯磨き粉にごみ袋。トイレットペーパーまで確認したが、そのどれもが、「いや、自分じゃないです」と言いたげな量で鎮座していたからだ。


 その上、スマホの充電器なども確認した上、予備があることまで確認した。


 鏡に映る黒髪黒目の170センチという事実も変わりはない。


「漫画か?いや…違う。新刊はまだだ」


 欲しいと思った物はしっかりと覚えている。


「ソシャゲか?」


 夜遺は再びスマホを開いて、今度はゲームアプリを起動した。


 メインでやっている3つのゲームは、別になにか変わったことは起こっておらず、イベントがない虚無期間のタイトルと、イベント完走後のエンドコンテンツの解禁を待っているタイトル、イベントが始まる予告をしているタイトルと、特に今日やるべきことはなかった。


 ならばと、気が向いた時にやるとして入れたままになっている、デイリーすら気分でしかやらない、ログインもあやふやな6タイトルのゲームを起動するも、そのどれもがピンと来なかった。


 ならばソシャゲではなく、新作のゲームタイトルが出たのかと思い、前々からマークしていた作品を見るも、全く関係がなかった。


「はぁ……」


 もはやタメ息しかでない。


「やーめた。めんどくせー」


 そうやって夜遺は全てを投げ出した瞬間。スマホにメッセージが届く。


(アホらし、どうせ休みなんだ。後からでも問題ねーだろ)


 簡素に、「カラオケ行かない?」という用件だけを送り付けてきた友達に、夜遺は二つ返事で「行く」と返して家を出た。




 ◇




「休みだからって良いことだけ起こるなんてことはないな」


 もし社会全体で休日を謳歌する人々が少なかったら、当然のようにカラオケに来る人数が減るだろう。


 店側としては、それは非常に困ることだが、客としては非常に嬉しいことだ。なぜなら、フリータイムで入ったとしても、なかなか10分前コールという物がやってこないからだ。


 ながーく居座れるというのは実に気分が良いし、楽しい。


 しかし現実は辛い。


 普通に冬休みの学生や、早い者ではもう正月休みに入った社会人などが蔓延る冬の東京では、そんな甘い夢も覚めてしまう。


「さっむ。キレそう」


 怒りが1ミリも含まれていない。適当な言葉が隣から聞こえた。


 それを夜遺は冷たく突き放す。


「勝手にキレてろ」


「うおおおおおおおお!!」


「うっさ!黙れ!」


 冬の都会で、突然吠える狂人と並ぶ恥ずかしさは堪らない。


「さ、寒いんだよ。マジで」


 どうしろって言うんだ。という視線を受けるも、夜遺は変わらず冷たく返す。


「根性」


「無~理~。どっか行こ~ぜ~」


「どこ行くんだよ」


「……ゲーセン?クレーンゲームしたくな~い?」


「えぇ…まぁ良いけど」


 それから夜遺は、友達と共に大型のショッピングセンターを訪れ、ゲーセンを経由してからバーガー屋で飯を食い、映画を一本見て、靴を1足買った。


「もう夜か、早いねー」


 ショッピングセンターを出ると、外は夜闇が遥か先まで広がっていた。


 人工の光が夜の街を引き裂いて行くので、あまり風情はない。


「さすがに夜は寒いな」


「お!俺の気持ちがようやく分かったか!」


「ほどよい寒さだ。悪くない」


「この裏切り者!」


 やいのやいのと軽口と適当な会話の応酬をしながら、家路に着く。


 電車に乗り、バスに揺られ、やがて別れ道に差し掛かり簡素なさよならを掛け合った。


「ばーい」


「じゃ」


 また明日も遊ぼうと思えば遊べるし、別に遊ばなくても良い。


 そんな当たり前な1日だった。


「はぁ……寒いな」


 家に着いた夜遺は思わずそう呟いた。


 家の扉を開けるとき、安心感ではなく、空虚な、孤独感を感じてしまったからだ。


 薄暗い部屋に冷たい空気。音のしない空間は、人の気配を感じさせない。


 自分以外に誰もいない世界。


 なぜか電気を点ける気分になれず、暗い部屋の片隅に身を寄せた。


 部屋の角から見る家は、どこか他人事のように思える。


「出掛けるか」


 16歳の高校生。


 夜の11時を回れば、年齢確認を受けて一発で補導される。


 親は決して迎えには来ない。だからこそ夜遺は11時を過ぎるような徘徊をするべきではないのだが、家を出た時刻は10時であり、あっという間に11時を過ぎた。


(まぁ。そんなもんだ)


 パトカーや警官がチラリと視界に映ったが、夜遺はなにも感慨を抱かずにいた。


 そしてコンビニにフラりと寄り、飲み物とホットスナックを買い、それを食べた。


 年齢確認などされることもなく普通に買えた。


 夜遺は慣れていた。夜の街の歩き方を心得ている。


 だから自分の中にある感傷に浸ることが出来た。


(なにかが足りない。なんだ?この…忘れられないものを忘れたような、変な感覚は)


 冷たい夜風が身に染みる。


 ふと見上げた夜空は、分厚い曇がどこまでも広がっていて、その先にあるはずの月を隠している。


「はぁ」


 両手に息を吹きかける。タメ息を溢すついでに指を暖めた。


「帰────ッ!」


 手から視線を上げて、帰るかと口にする瞬間に、夜遺はその人物の後ろ姿を見た。


 夜の暗闇を切り裂く街の明かり。雑多な色を付けられた夜の中において、その銀色の髪は唯一無二だった。


 やがてその銀色が、街に消えていく。


 いったいなにが心を駆り立てるのか分からないまま、そのなにかに後押しされるように、夜遺は銀色の影を追った。


(やっば。ストーカーじゃん)


 その銀色の人物は細道を通り、その奥にある決して綺麗とは言えないビルに入っていった。


 行くか、行かないか。今までのストーカー行為は、まだ言い訳の余地が残されているが、そのビルの入るという明確な不法侵入には、弁解の余地など生まれようもない。


「…いくか」


 正気ではないことを感じつつも、夜遺は進むことを決めた。


 ビルのドアノブに手を掛けて、ゆっくりと回す。


(ん?)


 いくら回しても手応えが返ってこなかった。


 それはまるで、ドアノブが空回りしているような感覚。


 そのドアノブは鍵が掛かったまま、無理やり捻らないとならない壊れ方をしていた。


(え?なんで?このビルの住人じゃないのか?)


 銀髪の人物は普通に押し開いていたが、夜遺と同じ不法侵入なのだろうか。


 そんな疑問を考えつつ、夜遺はドアを押し開いた。


 当然のように内部は汚れていて、所々壁が崩れている。しかし虫やネズミといった生き物は見当たらない。


 電灯などは明かりを宿しておらず、曇って汚れた窓から入ってくるぼやけた明かりだけが、内部を照らしている。


 しかし窓ガラスはなぜか1枚も割れておらず、荒れている様子はない。


 静かで薄暗い。それが嫌に不気味で、あの銀髪の人物は、なぜこんな建物に入ったのだろうかと考えるも答えはでない。


 そもそも夜遺はあの人物を知らない。知らない他人の行動など分かりようもない。


(ただのストーカーじゃないか…)


 そんな冷静な思考を無理やり押さえつけて、夜遺は行動を再開した。


 息を殺して静かに見て回るも、人の気配は全くない。代わりに階段を見つけた。


 地下と2階への上りと下りの階段。


(日和ってるやついる?……行くか)


 見るからに怪しい地下へ降りる階段。普通に後回しにしてもいいが、正常とは言い難い環境に飛び込んだ結果として、夜遺はどこか感覚が麻痺してきており、覚悟を決めて階段を降りた。


 出来る限り音を立てないように、静かに階段を降りる。


 しかし今日買ったばかりの靴は硬く、履き慣れていない。そのせいで嫌でも音が鳴る。


 やがて仕方ないと諦めて、夜遺は歩調を強めた。

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