第6話 俺は興奮できない※性描写あり

 Side—純也


 朝倉めぐみは約束通りきっちり19時30分に俺の部屋に来た。


 きちんと靴を揃えて、部屋に上がると無表情のまま部屋を見回して、敷きっぱなしの布団に視線を落とす。


「ザ、独身男性の部屋って感じね」


「まだ、引っ越して来たばっかりで、片付いてなくてすいません」

「片付かないわよ。もっともっと酷くなる。私の見立てが、正しければ」


 朝倉は、スマホの録画機能を立ち上げて、慣れた手つきでテーブルに置いた。

 ちょうど、布団が映るように設置されている。


 じりじりとこちらに近付いて、俺の目の前に立つと、ズボンのベルトに手をかけた。

 カチャカチャと、バックルが音を立て、腹部が開放される。

 ドクドクと血液が沸き立ち、体内を走り出す。

 ストンとズボンは床に滑り落ちて、俺は彼女のカットソーの裾をまくり上げた。

 無駄のない洗練されたボディラインが露わになる。

 彼女は、軽く頭を振り、顔にかかった髪を退けると俺の首に両手を巻き付けた。


「始めましょうか」

 そう言って、唇を重ねる。

 ねっとりと人工的な甘さが舌をしびれさせた。

 大人の女性特有の、口紅の味だ。


 体の中心部がドクドクと熱で膨れ上がる。

 触れ合う素肌の刺激に、理性のたがが外れた。

 この行為に、理性などいらないのだ。


 俺は本能のまま、彼女の体を貪った。

 同様に、彼女が俺の下半身を自分のモノにする。


 快楽に耐えきれず声がもれる。

 作り物のように整った柔らかい乳房を手のひらで弄ぶ。


 ツンと固くなった先端を指先でころがした、その時だった。

 頭が締め付けられるような感覚に襲われ、目の前がチカチカと天滅し始めた。


 プツンと脳内で音が鳴り、意識が途切れた。



 どれだけ、意識を喪失していただろうか。

 布団の上で目覚めた俺の視界には、元通りに服を着た朝倉の後ろ姿が映っていた。


「あの、俺は、やっぱり……」


 からからに乾いた喉から声を絞り出した。


「あら、戻ったわね」


「俺、どうなってました?」


 彼女はそう言った後、スマホを操作してこちらに差し出した。


 そこには、全く記憶にない自分が映りだされていた。


『紗季、愛してるよ。大好きだよ。ずっと一緒にいよう』

 そんな言葉を繰り返して、愛してもいない朝倉の事を愛おしそうに愛撫し、行為に及んでいる。


「へ? え? どうして」

 にわかには信じがたい。

 紗季の事など、もうとっくに忘れたはずなのに。


「これでわかったわ。あなたは、SMDS」


「SM……?」


「世界でも極めて症例の少ない難病ね。セクシュアル・メモリー錯乱症候群。通称SMDS」


「なんですか? それ」


「セクシュアル 、つまり性的興奮がトリガーとなって記憶が混乱し、断片的な記憶や認知の混濁が生じる脳障害の一種よ。初期症状はアルツハイマー症によく似ているけれど、決定的な違いは性的興奮がトリガーとなる事」


「じゃあ、興奮しなければいいって事?」


「ふふ。まぁ今の所はそういう事になるけど」


「今の所?」


「この病気は進行していくの。過度な性的興奮から軽度の恋愛感情にトリガーは以降していく。しかもその時に発症する過去の記憶は選べない。直接命を脅かす病ではないけれど、男である以上、女であっても、普通に生きていく事は非常に難しい。SMDSの患者の殆どは、発症から2年も経たず、自殺しているわ。よって、あなたの余命は3年ないし、2年ってところかしら」


 後頭部を鈍器で強く殴られたような衝撃が、体中に走った。


「余命……2年?」


「あなたの場合、幸い幸せだった時の記憶に飛ぶようね。私が読んだ論文の患者の中には、幼少期の性的虐待の記憶に飛んでしまう人がいたわ。愛する人と愛し合う最中に――。それが、どんな悲劇かわかる?」


「治療とかないんですか? 薬とか、手術とか」


「将来的には遺伝子治療が提案されているわ。DNAの異常を根本的に修正する、ゲノム編集技術を用いて遺伝子の修復を行うの」


「それ、やってくださいよ」


「うちの病院ではできないわ。専門の医師も、それに伴う機材もない」


「どこに行けば?」


「今の所、似たような治療が韓国でできるはずよ。調べてみるわ」


「お願いします」


「ただ……」


「ただ?」


「遺伝子治療の副作用はかなり過酷な物になると思うの。症例も少なく、治療そのものが命を脅かす事もあるわ。助かったとしても今のままの仕事と生活は続けられない」


「副作用って、例えば、どんな?」


「確実に言える事は、記憶は失うわ」


「記憶を?」


「どれだけの記憶が犠牲になるかは、私にはわからない。治療から目覚めたら、学生時代、或いは幼少期に戻ってるかもしれないわね。まるでタイムリープでもしたかのように。けれど、それは自分の脳内だけの事だけで、周囲は何もかわっていない。自分の脳だけが後退するの」


 命を失うか、記憶を失うかの二択は、自分で選択する余地もないって事か。


 朝倉はポーチからコンパクトな鏡を取り出して、口紅を直した。


「気休めだけど、興奮を抑える薬なら処方できるわ。今ぐらいの症状ならそれでどうにか暮らしやすくはなるはずよ。明日にでもクリニックに来てちょうだい。処方箋を書くわ」


 そう言って立ち上がり、部屋を出て行った。


 俺の脳内には朝倉の放った言葉が引っかかっている。

『過度な性的興奮から軽度の恋愛感情にトリガーは以降していく』


 この言葉は、俺の症状が既に進行している事を物語っていた。


 俺は軽度の性的刺激や恋愛感情で、既に記憶の混乱を自覚していた。

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