第4話 さすがに生徒と付き合えるわけない

 Side—甲本純也


 ここ、私立ひいらぎ学園への就任の打診を受けたのは、半年ほど前だ。

 その朗報と言える打診は、元恋人、紗季からだった。

 と同時に、俺は紗季が妊娠した事を知った。


 紗季は同じ大学の2年上の先輩だ。


 大学卒業と同時に教員免許は取得したものの、就職は難航していた。

 塾講師のアルバイトをしながらどうにか食いつないでいた時の事だった。


 宮本紗季(今は結婚して長野という姓になっているのか)は、この学園の学園長の姪である。

 目の中に入れても痛くないほど可愛がっている姪からの推薦と言う事で、俺はこの学園に就任する事ができた。

 彼女の後釜として。


 複雑な気持ちだが、背に腹は代えられないとはこの事。

 夢であった教職に付けるなら、たとえ寝取られた恋人からの施しであっても、有難くいただく。

 俺はそういう男だ。


 どうせ、彼女とはもう顔を合わせる事もない。


 彼女は産休後、退職を決めているのだから。


「甲本先生、就任早々申し訳ないんですけど」

 授業を終えた、放課後の事だった。

 教頭が腰を低くしながら、俺のデスクにやって来てこう言った。


「部活の顧問をお願いしたく――」


「ああ、そうですね。はい、いいですよ。やります」


「助かります。長野先生が辞めて、今は副顧問だけで回してるのですが」


「ええ、何部ですか?」


「家庭科部です」


「家庭科?」


 家庭科は、俺のスキルからは程遠い分野だ。


「家庭科部って、何をやるんですか?」


「部活内容については、副顧問の南先生から説明があると思いますので」


「わかりました」


「では、よろしくお願いします」

 ドサっとデスクに資料を置き、教頭は去った。

 資料の内容は、部則であったり、誓約書であったり、極めて一般的な書類だ。


 ざっと目を通して、署名をする。それを繰り返す。


 その時——。


「失礼します」

 と女子生徒が職員室に入って来た。


 ふと横から視線を感じて、顔を上げた。

 目の前には、どこかで見た事があるような女の子。


 その風貌に違和感を感じた。


「あ!」

「あ?」


 この女!


 名前は確か、美月ましろ。


 いや、まて。姉妹か?

 だってましろは、確か二十歳のはず。


 制服のリボンがエンジ。と言う事は2年だ。

 この子は2年の生徒。

 と、いう事はだ。

 16~17歳。


「純也君」

 うげぇぇぇぇーーーーーー。

 俺の名前を知ってると言う事は、どういう事だ? 一体。


「ここの先生、だったの?」


 ましろは驚きを隠せない顔で俺を指さした。


 驚きを隠せないのは、俺の方なんだよ!


「は? え? えっとー、君は?」


 ワンチャン、何かの間違いという線に賭ける。


「私……ましろ」


 全身の毛穴という毛穴が開き、汗が噴き出す。

 しかし、冷静を装う。


「ん? どこかで、会ったっけ?」


 ってか、高校生だったのかよ!


 脳内で記憶を呼び起こす。

 たたら通りで盛大にずっこけた彼女を助けて、アロンアルファを求め俺の部屋に連れて行った。


 そして――


「帰りたくない」


 っていう流れで……。


 なんもしてないよな?

 まだ、してないよな?


「へぇ、家庭科部の顧問になるんだー」


 ましろは何食わぬ顔で、女子生徒然とした。


「あれ? 甲本先生、美月さんとお知り合いでしたか?」

 隣に座っている2年A組の担任、剣崎しおり先生が、俺とましろを交互に見た。


「あ? え? いや。全然知らないですね」


 ましろは、餅みたいに柔らかそうな頬をぷくっと膨らませて、目を三角にした。

 そんな顔されても、他の教諭にこの関係がバレるわけにはいかないだろう。


「私、家庭科部に入るー! これまで部活何もやって来てなくてよかったー。部活って進学に有利になりますよね?」


「え? あー、まぁ、そうかもな」


 なわけあるか!

 ゴリゴリの運動部ならまだしも、腰かけみたいな趣味程度の家庭科部が、進学に有利になるわけないだろ。


「就職には有利かも」


「じゃあ、入部しまーす!」


 ちょうど、デスクに乗っていた入部届をましろはペロンと一枚取った。

 俺を一瞥して、出口へと向かう。


「おい、ちょ、待て」


「甲本先生?」


 不思議そうにこちらを見る、ましろの担任。


「あ、はは~」


 書類の続きに目を通すが、全くもって入って来ない。


 あの夜の記憶が鮮明に脳内に描かれる。


 彼女の華奢で柔らかい感触と、甘酸っぱい匂い。

 捨てられた子猫みたいな、庇護欲をそそる目。


 舌足らずの喋り方。


 思い出して、俺は肩を落とした。


 生徒だったとは。


 これから始まる関係に、ワクワクしていたこの数日が崩れ去る音がした。


 さすがに、付き合えるわけない、よな。


「甲本先生、書類、できましたか?」


「え? 書類?」


 にこやかに教頭が立っている。


「書類、ですか?」


 えっと、俺は今、何をしてたんだったっけ?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る