第3話 再会

「……さき……」


「え?」


 甘えるような声で、私を抱きすくめる。

 初めて知る生々しい男性の体温と硬さに、穢れを知らない体は硬直した。


「あ、あの……」


「愛してるよ。大好きだよ。さき……」


 違う名前で呼ばれてるのに、それは紛れもなく私に向けられた言葉のような気がして、体の奥が疼いた。


 優しく、時に激しく触れる吐息。

 素肌を這う彼の指に溶かされていきそうで、目をぎゅっと瞑った。


「はっ! あ、え? ちが、違う! ごめん」


 急に弾かれたように体を離して、起き上がった。

 頭を項垂れて、両手で髪をくしゃっとまぜる。


「ごめん……」


 どうして謝るの?


「いいよ。さきさんに、なってあげる」


「え? さきって、俺、言ってた?」


「うん。言ってた」


「ごめん」

 そう言って荒々しく両手で顔をゴシゴシとこすった。

 その姿が、悲しそうで痛そうで、私は後ろから彼を抱きしめた。


 彼は、急に私に興味を失くしたようで、すぐにまた寝転がって夢の続きを見始めた。


 大人って大変なんだろうな。

 皺のよったワイシャツ。よくみたら互い違いの靴下。

 少し伸びすぎた襟足。


 柔らかそうな髪を、そっと撫でた。

 恐らく、母親ならそうするだろう仕草で。

 彼は賢い中型犬みたいな穏やかな表情で、静かな寝息を立てていた。



「帰ろう」

 テーブルの上にメモを置いた。


『色々ありがとうございました。また遊びに来てもいいですか?』

 ケータイ番号を添えて。



 ヒールを両手に持って、白み始めた街を裸足で歩いた。

 ひんやりと冷たくて気持ちがいい。


 午前5時。

 そっと家に入り、ベッドに潜り込む。

 まだ彼の温もりと、匂いが残る体を抱きしめて、しばし仮眠を取った。


 スマホのアラームに起こされた午前6時。


 シャワーを浴びて、学校に行く準備している最中の事だった。


 知らない番号からの着信。

 私はすぐに彼からだとピンと来た。


「もしもし?」


「あ、あの、俺」


「おはよう、ございます」


「おはよう、ございます」


「もう起きたんですか?」


「うん。どうやって帰ったの?」


「裸足で」


「え? 大丈夫だった?」


「はい。全然平気です」


「そっか、あの、さっきは本当に」

またごめんって言うんだろうなって思ったので、語尾に被せた。


「いいんです。謝らないでください。謝られると、なんだか悲しくなるから」


「そっか。もしよかったら、今度映画でも」


「本当?!」


「え? うん。本当」


「行きたい! 観たい映画があるの」


「じゃあ、是非」


 さきというのが誰なのかは、聞かなかった。

 もしかしたら、恋人なのかもしれない。

 二股かも?


 それでも別にいい。


 また彼に逢いたいと思ったし、これで終わりにしたくなかった。



 それから一週間が過ぎた。

 彼とは電話で毎日話をした。短い時間のほんの他愛ない会話だ。


 私は、彼に嘘を吐き続けた。高校生である事は知られないように。


 今更、後戻りはできそうにない。


 後ろめたい気持ちに蓋をして、生まれたばかりの恋にドキドキワクワクする毎日。


 映画は今度の日曜日に決まった。その日を待ちわびていた。


 その次の日。


 意外な場所で、不意に彼と再会する事となった。


 当番で、自習ノートを集めて職員室に持って行った時の事だ。

 担任の机の横で、書きものをしている見慣れない教師に視線を落とした。


 そう言えば、どこかのクラスの担任が産休に入ると噂で聞いていた。

 代わりに就任した先生のようだ。

 端正な横顔は、どこか愛嬌がある。

 優しそうに下がった目尻にドキっと心臓が鳴った。


 この顔、どこかで見たような…。


 目が合った。


「あ!」

「あ?」


 彼、甲本純也だった。

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