第2話 映画鑑賞

 向坂浩二が、その道を通り勝ったのが、9月18日だった。

 この日は、ちょうど友達と見に行った映画にちなんだ日だったので、映画を見に行ったその日を、

「友達も自分も忘れることはないだろう」

 と思っていた。

 その日というのは、

「満州事変が勃発した」

 と言われる、

「柳条湖事件の日」

 であった。

 その映画は、

「満州事変」

 というもの、いや、実際には、事件というものがきっかけとなった

「大東亜戦争」

 というものを、そのきっかけとして考えるという意味で、製作されたのが、この映画だったということである。

 そもそも、かの

「大東亜戦争」

 というものの、始まりというのには、いくつかの説がある。

 一つは、一般的に言われているもので。

「1941年12月8日」

 ということである。

 この日には、陸軍による、

「マレー上陸作戦」

 海軍による。

「真珠湾攻撃」

 の日である。

 実際に、米英蘭に、宣戦布告を行った日であり、いわゆる、

「アメリカに戦争に引っ張り込まれた」

 という日であった。

 そして、もう一つが、今度は、日本政府の認識として、

「1937年7月7日」

 である。

 この日は、中国との全面戦争に突入したきっかけとなった。

「盧溝橋事件」

 というのが、勃発した日であった。

 欧米列強に宣戦布告してから、閣議で、

「今回の戦争は、シナとの全面戦争が始まった時にさかのぼり、戦争名称を、大東亜戦争ということにする」

 と決まったからだ。

 その理由としては、

「戦争遂行のスローガンとして掲げている。大東亜共栄圏というものの確立が始まった日だ」

 ということで、

「シナ事変の始まり」

 とされる、

「この日を、今回の戦争の勃発日ということにする」

 ということであった。

 そもそも、

「大東亜共栄圏というのが何か」

 ということであるが、

 この大東亜共栄圏というのは、

「当時の東アジアの情勢というのは、東アジアに限らず、ほとんどの国が、欧米列強の植民地ということになっていて、そのため、搾取されている東アジアから、アングロサクソンを駆逐して、その後に、東アジア特有の新しい、新秩序を組み立て、独自のやり方で、国家運営を行い、共栄していく」

 というスローガンであった。

 だから、

「中国との全面戦争」

 というのもその一環であり、そこから、始まったのが、

「大東亜共栄圏構想だ」

 ということであった。

 そして、学者が考える、もう一つの大東亜戦争の始まりとしては、さらにさかのぼっての、

「1931年9月18日」

 つまり、この、

「満州事変の勃発」

 がその始まりだという考え方である。

 満州事変というのは、国連の送り込んだ、

「リットン調査団」

 による調査で、

「日本の自衛とはいえない」

 と結論付けられ、

「日本は、国際連盟を脱退して、世界的に孤立の道を歩む」

 ということになってしまったが、

「そもそも、満州事変勃発においても、たくさんの理由があった。日本は、それを、満蒙問題ということで、いろいろ解決策を考えていたところでもあった」

 というのであるが、しかし、そもそも、挑発してきたのは向こうであり、侵略行為とみなした中国が、戦わずに、国連に提訴したことは、ある意味、卑怯なのかも知れない。

 まずは、

「日本が、日露戦争で獲得した、南満州鉄道に並走する形で、中国側も鉄道路線を敷いた」それによって、満鉄は赤字に追い込まれたことが一つ、さらには、

「元々、中華民国が、前身である清国が各国と結んだ条約の破棄を言い出したことが発端になるのだが、そもそも、正当な継承国である中華民国が、継承前の国が結んだ諸外国との条約を勝手に無視するなどありえない」

 といえる。

 それは、

「江戸幕府が欧米列強と結んだ不平等条約」

 というものを、

「明治政府は、江戸幕府を継承したわけではない」

 ということで、一方的な破棄を言い出したのと同じことになる。

 日本は甘んじてそれを受け入れ、諸外国に追い付け追い越せという、国家努力において、おこなってきた、

「当たり前のやり方」

 を、無視されたということになるだろう。

 しかも、そんな中国は、

「懲弁国賊条例」

 というものを設立し、

「中国に不利になるような行為をしたものは、死刑に処す」

 というものから、その派生として、

「朝鮮人を含む、日本人に土地を売ったり貸したりすれば、死刑」

 という法律ができたのだ。

 中国側からすれば、国家売奴ということで、国家反逆罪に値する」

 ということになるのだろう。

 おかげで、満州における日本人の居留民は、かなりの迫害を受けたようだ。

 さらに、

「暗殺事件」

 や、

「強姦事件」

 などと、治安が最悪になり、

「居留民保護」

 ということで、

「日本人が彼らを何とか救わなければいけない」

 という満蒙問題に、

「日本での、不況による、食糧問題」

 というものが、日本国内では、深刻な状態になっていた。

 それにより、

「満州を、自国領土とすることで、そこに、日本人の移民を集め、彼らには、満州の開拓という課題により、日本の資源確保を考えたことで、勃発したのが、満州事変だということであった」

 そもそもが、

「奉天郊外の満鉄路線で、線路爆破があり、それを中国軍の仕業ということで、軍事行動に、関東軍が動いた」

 というのがきっかけだったのだ。

「関東軍」

 の行動があまりにも、電光石火であったことにより、満州全土を占領するまでに、半年が掛からなかった。

 そこで日本は、

「欧米列強に遠慮する」

 という形で満州を、併合し、植民地化することはしなかった。

 あくまでも、満州を、一つの独立国として、その国家元首である、

「執政」

 というものに、清朝最後の皇帝であった。

「愛新覚羅溥儀」

 を擁立し、独立国家建設を、後押ししたということだったのだ。

 だから、日本は、

「満州の占領は、攻撃されたことでの自衛行為で、満州国建国も、居留民保護の見地からだ」

 と主張したのだ。

 だから、日本は、自衛をいうことを強調し、国連でもそのように言っていたが、提訴してきた中国に配慮し、リットン調査団を送り込み、調査を行わせた。

 すると、

「日本の自衛ではない」

 と結論付けられ、採決が行われると、結果として。

「賛成1,棄権が1,それ以外は反対」

 という最悪の結果となってしまった。

 そこで、日本の全権であった、

松岡洋右外務大臣が、

「その採決を不服」

 として、国際連盟脱退を告げたのだった。

 それにより、日本は、世界的に孤立することになり、その後の運命が決まったといってもいいだろう。

 一つは、アメリカのスチムソンという人の発表により、

「日本の軍事行動は終わった」

 と言わせたにも関わらず、日本軍が、

「錦州爆撃」

 というものを行ったということで、彼のメンツが台無しになり、日本政府も、そのメンツが潰されたこと、

 そして、関東軍からすれば、

「軍事行動を勝手にアメリカに流した」

 ということで、軍とすれば、立場を政府に台無しにされたということで、怒っていたのも事実だった。

 当時の日本は、

「軍部は、政府の下」

 というわけではなかった。

 むしろ、天皇直轄ということで、軍は、政府よりも立場的には強かったのかも知れない。

 だから、政府といえども、軍の作戦ややり方に口を出せないどころか、作戦的なことを知ることもできないという立場にあったことで、日本軍は、政府よりも上の立場だったといってもいいだろう。

 それを考えると、

「関東軍は、日本政府に不信感を抱いていたし、本土の軍本部とも、一線を画していたのかも知れない」

 ともいえるのだ。

 特に陸軍というのは、派閥問題なども絡み、その頃から結構不穏だったりした。

 実際に、満州国建国に関して、日本国内でも、

「賛否両論」

 というものがあった。

 それにより、暗殺事件などが結構あったことで、日本の治安もあまりよくなかったようである。

 そのあたりのことを映画にした内容で、ほとんどは、史実に基づいた話であったが、その話の内容は、実に分かりにくいものでもあった。

 歴史が好きな向坂だったが、それでも、すべてを把握しているわけではなかったので、その裏を見ているようで、楽しく見ることができたが、他の客はどうなのだろう。

 数人の女性客がいたが、どうも、主演の俳優や、脇役にも、

「韓流で人気」

 と言われている俳優が出ていることで、

「男優目当て」

 という人も一定数いることだろう。

 それを思うと、

「人気のわりには、どうなんだろう?」

 と思えてならなかった。

 しかし、友達も自分も好きな映画だったこともあって、満足していた。上映が終わって、食事をしながら、内容について語り合ったが、お互いに分かっていることが多かったので、おさらいという程度の話で、盛り上がるということはなかった。

 これが、学生時代だったら、もっと盛り上がったかも知れないが、お互いにもう社会人、それぞれの事情もあることから、適当なところで切り上げるということも大切だったのだ。

 その友達というのは、大学時代からの友人で、大学に入学してから、結構早い段階で友達になったやつだった。

 大学入学と同時に仲良くなった連中も結構いたが、その連中はというと、皆とっくに誼がなくなっていて、気が付けば、

「大学卒業間近になると、入学当時の友達は、皆自分の前から去っていた」

 といっても、

「こちらから去った」

 という人もいる。

 そもそも、あいさつ程度の人ばかりで、本当の友達というわけではなかったので、当たり前にことである。

 そんな挨拶だけの連中というのは、

「友達の多さで拍が付く」

 というようなイメージでできた友達なので、最初から、

「仲がいい」

 というわけではないので、すぐに友達ではなくなったといっても、ショックでもなければ、

「別にそんなものだ」

 という程度のイメージしか残らない。

 本当の友達というのは、一気にできるものではなく、自然とできるもので、

「気が付いたら、いつも自分のそばにいる」

 という人がその代表といってもいいのではないだろうか。

 そんなことを考えていると、

「会社に入ってから、友達を作る」

 という気にはならなかった。

「同期入社」

 といっても、それは、

「ただの同僚」

 にしか過ぎない。

 それを友達というのは、おこがましく、

「何を話せばいいのか?」

 というのが先にくるような、ぎこちない関係は、少しであっても、その場の雰囲気に持ち込みたくはなかった。

 お互いに、使う必要のない気を遣って、

「相手に対して、何も言えなくなるくらいなら、最初から、話などしないにこしたことはない」

 ということになるだろう。

 そういう意味では、大学時代から続いていて、しかも、変わらず、

「友達」

 といえる、数少ない一人として、

「お互いに、気兼ねなく出かけられる相手だ」

 ということで、重宝していたに違いない。

 今回の映画を誘ったのも、友達の方で、今までも、相手を誘うというと、友達からの方が多かった。

「君が一番誘いやすいし、一緒にいて気が楽だからね」

 といってくれる。

 それを思うと、

「俺の方こそ、お前がいてくれて、うれしいよ」

 と照れ臭い言葉でも、平気でいえるくらいに、気を遣っていないということであろう。

 それを思うと、

「これほどの仲間が今もいる俺って、ある意味幸せなんだろうか」

 と感じるのであった。

  大学を卒業してから3年が経った、20歳代後半に入った二人だったので、年齢的にも、会社でも、仕事に慣れてきて

「第一線として、一番充実している」

 と思える時期であった。

 それを考えると、社会人になってから、仕事が充実している今が、一番いいと考えると、毎日が、あっという間に過ぎるのが分かり、そこからも、

「充実した毎日だ」

 ということが分かるというものだ。

 それを思うと、

「自分にとって社会人というのは、今はであるが、充実できる毎日だといえるだろう」

 ただ、一つ気にならないわけでもない。

 というのは、

「今の第一線というものが、楽しいだけで、これが、第一線から遠ざかり、自分が、管理役になった場合、どんな心境になるか?」

 ということであった。

 向坂は、学生時代から、なんでも自分から行動する方で、まわりがじれったかったりすれば、我慢できずに、

「それは俺がやる」

 といって、やってしまう方だったのだ。

 ものぐさな連中からみれば、これほどありがたいことはなく、

「適当にやっていれば、向坂さんが何とかしてくれる」

 と思っているに違いない。

 向坂は、そのことを分かっているのだが、それでも、

「いいよ、俺がやる」

 といって、自分から動いた。

 お世辞であっても、まわりからは感謝されるし、自分も、イライラしなくて済む。結果としては、一番いいことではないか。

 ただ、それは、あくまでも、自分中心に考えた時のことであり、学生時代は、それでよかったかも知れないが、会社の中の、

「組織」

 ということになると、

「それではいけない」

 ということになるのだった。

 というのも、

「部下を育てるのは、上司の役目」

 と昔から言われている。

 ただ、今の時代は昔とはだいぶ、様子が変わっている。

 というのも、

「昔の、いわゆる昭和時代の会社の考え方」

 というと、

「就職すれば、定年まで勤めあげる」

 と言われる、

「終身雇用」

 がまず基本であり、さらには、

「勤続年数によって、出世していく」

 という、

「年功序列」

 というものである。

 この中での、年功序列というのは、そもそも、終身雇用という考えが下になったいるもので、

「終身雇用として、最後まで勤め上げるために、会社の方でもある程度の、青写真を、社員に描いていて、その実績により、出世の道を人事であったり、総務の方で、辞令という形で、出世を示すのであった」

 だから、最初の、5年間くらい、第一線で仕事を身体で覚え、それを部下にやらせるという今度は、現場監督のような仕事を、主任という形で行い。

 そこから、課をまとめる課長、さらには、部長へと昇進していくことになる。

 昭和の頃の、奥さん連中の、いわゆる、

「井戸端会議」

 の中では、

「あそこの旦那さん、今度、課長に昇進ですって」

 などというウワサが、必ず出ていたものだった。

 だから、一度、会社に入社すれば、

「途中退社」

 ということになると、

「本人が悪い」

 ということが一番最初に言われることであり。

 ただ、会社によっては、その仕事の特異性であったり、営業の難しさなどから、

「最初の一年で、新入社員のほとんどが辞めていく」

 ということになる業界もあるという。

 だから、そんな会社は、

「最初から辞める人がたくさんいる」

 ということを見越して、たくさん雇っている場合がある。

 だから、

「あの会社は、毎年たくさんの新入社員を募集し、雇っている」

 と言われたとしても、実際には、就活者と、雇う方との間で、かなりの温度差があるといってもよかっただろう。

 ただ、今の時代は、まったく変わってしまった。

「バブル崩壊」

 というのがその拍車をかけた。

 バブル時代は、

「とにかく事業を拡大すればするだけ儲かる」

 という、実に単純に見える時代だったのだ。

 その時代であれば、

「会社中心の社員」

 ということでよかった。

 人手不足にはなりがちだったが、所属している社員も、やる気にみなぎっていたので、当時は、

「企業戦士」

 と言われたりもした。

 それもそのはず、

「やればやっただけ、自分の収入になり、そのお金を使う暇がないくらいなのだから、それだけ充実しているというものである」

 だが、バブルがはじけてからというのは、まったく世界が代わった。

 進めた事業がうまくいかなくなり、やればやるほど赤字を増やすということになる。何といっても、それまで、

「銀行は潰れない」

 と言われていた神話が、あっさりと破綻してしまったのだ。

 そこで、企業は生き残りをかけての施策としては、

「大きな会社との、合併によって、企業を強くする」

 ということしかなくなったりする。

「このままいけば破綻するしかない」

 ということであれば、吸収合併されたとしても、まだマシだといえるのではないだろうか?

 特に大企業が生き残るには、それしかなかった。

 そして、事業をなるべく縮小することになるわけなので、あとは、

「経費節減」

 ということしかなくなってしまったのだ。

 一番の経費節減というのは、人件費の削減である。いわゆる、

「リストラ」

 と言われるものだが、それも、吸収合併されることで、助かる社員もいれば、それでも、削減される人もいる。

「家では、俺は仕事にいっていることになっている」

 ということで、仕事がないのだから、

「公園のベンチで昼間をずっと過ごしている」

 という悲惨な状態もあったのだ。

 だから、当時は、

「いくらバブルがはじけた状態だ」

 とはいえ、

「会社を首になるのは恥ずかしいこと」

 ということで、それがバレるのが怖くて、いつものように家を出てから、いつものように帰ってくるまで、公園のベンチにいる人が増えたというのが、社会問題となっていた。

 しかし、給料日になれば、入るはずのない給料がないのだから、分かりそうなものだ。結局、

「バレるのは、時間の問題だ」

 というのだから、どうしようもないだろう。

 それでも、結構そういう人が多かったというのは、それだけ、当時は今と違ったということであろう。

 さらに、これが再就職ということになると、さらに難しい。

 どこの会社も、リストラをしているのだから、職安に行っても、

「今は仕事はないですね」

 ということなのか、紹介されていっても、その会社は、いわゆる、今でいうところの、

「ブラック企業」

 というところで、社員待遇など、

「あってないようなもの」

 というようなところも少なくはなかったであろう。

 それを思うと、

「会社を辞めてしまうと、あとは地獄」

 ということであった。

 当時には、

「早期退職勧告」

 なるものがあったという。

 というのは、

「こんな時代だから、いつ首を言い渡すことになるか分からない。自主退職ということであれば、今なら退職金に色を付けてやる」

 という甘い言葉で、やめていく人もいただろう。

 しかし、失業保険というものが、自主退職と、会社都合による退職によって、支給内容に違いがあることで、

「果たして、早期退職が得なのか?」

 ということもあるので。それを思うと、

「会社の口車に乗るのがいいことなのか?」

 といえるであろう。

 とにかく、会社の方も、

「生き残り」

 を掛けて、

「どんな手を打ってでも、人員整理をしよう」

 と考えるのであろう。

 時代が進んで、バブル崩壊の余韻が収まってくると、社会の様子は、かなり変革していた。

 特に、雇用体制などが大きく違っていて。そもそもの、人員削減の考え方から、

「非正規雇用」

 というものが

「主流を占める時代」

 となってきたのだ。

 この時代というと、

「今までは、ほとんど、オフィスワークというと、ほとんどが正社員で、昭和の頃のOLというと、お茶くみや、コピー要員と言われ、せっかく一般企業に入ったのに、活躍の場はないということで、問題になっていた時代があった」

 しかし、バブル崩壊後というのは、人件費の削減からか、

「パート」

 にそのような仕事をさせる。

 というところであったり、その頃から出てきた、

「派遣社員」

 というものを雇って、仕事をさせることが多くなった。

 そんな時代から、さらに、また不況に突入した時は、今度は、その派遣社員を簡単に、会社間で、契約をしないということでの、契約打ち切りということがクローズアップされ、

「派遣切り」

 が、行われたことで、ホームレスのような、契約を切られた人たちに対して、炊き出しを行ったりする、

「ボランティア」

 の人たちが、

「派遣村」

 というものを形成している時代があったのだ。

 そして今の時代に至るわけだが、その間に、完全に、

「終身雇用」

「年功序列」

 という考えはなくなっている。

 といってもいいだろう。

 もちろん、年功序列というのは、ずっと働いている人には当てはまることであろうが、逆に今の時代は、

「一つの会社に勤め続ける」

 ということも、実際には結構難しいといってもいいだろう。

 それを考えると、

「他の会社に移るというのがいいことなのか悪いことなのか?」

 確かに、昔のように、

「会社を辞めるということに対しての、屈辱感のようなものはなくなってきただろうが、新しい会社を探すということは、よく言われていたことがあったではないか?」

 ということであった。

 それは、

「会社を移れば移るほど、条件が悪くなってくる」

 ということであった。

「確かに、途中入社というと、前の会社の条件は保障する」

 と言われるかも知れないが、その後の昇給率などは、前の会社の方がよかったりすることも多いだろう。

 給料面だけではなく、前の会社で培ってきたノウハウが使えないというのは、正直マイナス要因だといってもいいだろう。

 そんなことを考えていると、

「会社に入って、今は第一線で活躍できているからいいが、この後、自分が部下への指導役になったり、監視役ということになった場合、今までのように、充実した毎日」

 というものを送ることができるだろうか?

 ということを考えるのだった。

 本当は、そんなに仕事が好きなわけではない。ただ、自分が充実した仕事ができる環境がそこにあったことがありがたかった。

 しかし、それがずっと将来において保証されるわけではない。

「このまま第一線で、出世もせずに、働いていたい」

 といって、会社が認めてくれるとは思えない。

 せっかく、育ててきて、今も会社にいるのだから、

「指導者となって、ゆくゆくは、会社の経営スタッフになってもらいたい」

 と思うようになるのも、無理もないことであろう。

 それを考えると、

「今の会社にい続けるのが本当にいいのだろうか?」

 と考えるのだった。

 もっとも、これこそ、

「捕らぬ狸の皮算用」

 とでもいうか、一種の、

「考えすぎ」

 といってもいいだろう。

 その日は、映画を見て、友達と別れての帰り道。楽しかったはずの映画を見ていたはずなのに、なぜか、こんなネガティブな気持ちになってしまったのは、

「何かの虫の知らせだ」

 ということであろうか?

「嫌な予感」

 というのがあったのも無理もないことで、

「まあ、しょうがない」

 と思っていたのだ。


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