第3話 目撃者
映画を観終わって、何か、
「嫌な予感」
というものを感じたことが、今までにも何度かあった。
しかも、その時に、実際に何かがあったというのは、珍しいことでもなく、
「他愛もないことから、顔が真っ青になってしまうようなこともなくはなかった」
といえるだろう、
しかし、そのほとんどが、
「事なきを得た」
ということで、大事には至らなかったということであったが、今から考えれば、
「何かがあった時」
というのも、元々が、
「他愛もないことだった」
という時であり、だから、映画を見に行こうと言われた時、かつてそんなことがあったというのを、ほとんど忘れてしまっていたというのも無理もないことだったのだ。
実際に、その日も、映画に誘われた時、
「ああ、久しぶりだ」
という意識が強く、手放しで喜んだものだ。
しかし、心のどこかで、
「何かムズムズするものがあった」
という意識はあったのだが、それが、どこからくるものなのか、すぐには分からなかった。
実際に、映画を観終わって、帰途に就いた時に気づいたのであって、それも、駅のロータリーからバスに乗り込んだタイミングくらいだったであろうか。
そのバスの中は、普段より目に見えて、客が少なかったことで。そんな風に感じられたからであった。
もっとも、いつもこの時間のバスに乗ることはめったになく。普段であれば、少し残業して、これより1時間くらい後のバスが多かったのだ。
しかし、その日は休日であり、普段、あまり出かけることのない向坂にとっては、いつもよりも早い時間にも関わらず、自分が感じているよりも、さらに2時間も遅いくらいの感覚だった。
「意識としては、相当深夜に近いというものではないだろうか?」
と思えたのだった。
それだけ、休日というと、ほとんど夕方以降は、翌日の勤務に、自分の体制が移行しているといってもいいだろう。
そういえば、日曜日の夕方のアニメで、
「そのアニメを見ると、なんとなく憂鬱な気分になる」
と言われるものがあり、
「症候群」
という言葉がつけられ、一時期、ブームとなったが、今では、それが当用語のように言われるようになり、
「休日が終わる憂鬱な気分」
ということで、ネットの検索サイトにも、普通に乗っている言葉であった。
それが、流行語から、当用語のっように言われるようになったのだから、
「言葉の魔力」
というのはすごいものだ。
とも言われるだろうが、それが、身体にもしみ込んでいて、まるで、
「条件反射」
のようだともいえるのではないだろうか?
そんなことを考えていると、バスはいよいよ、郊外に差し掛かり、ほとんどの客もおりてしまった。
そもそも、住宅街に住んでいる人は、自家用車の人が多いからなのか、
「住民が多いわりには、さほど、客が乗ってこない」
と言われるあたりまでくると、本当に乗客は、数人くらいになってしまったのだった。
バスの中では、10分くらい前であれば、半分以上の座席が埋まっていたのだろうが、それから、あっという間に、バスの中の乗客はまばらとなり、向坂が下りると、バスには、その日、5人しかいないという状態になった。
バスを降りる時、同じバス停で降りる人はもう一人いたが、その人は反対方向に帰るひとだった。
たまに一緒になるので、知ってはいたが、挨拶をするようなこともなく、相手がこちらの存在に気づいているかどうかも分かったものではない。
だが、いつものように、計ったようにバスを降りるその人の姿を見ていると、
「俺も、あの人と同じように、無意識に、同じパターンを繰り返しているということだろうか?」
と感じるのだった。
バス停から降りて、その人を先に見送るようにしてバスから降りると、その人は、走ったわけでもないだろうに、すでに、小さくしか見えていなかった。
「ということは、俺が、もたもたしていたということか?」
と考えたが、実際には、そんな感じでもなさそうだったのだ。
ただ、その日、
「普段と若干違った」
と感じたのは、それまでは、まだまだ暑かったはずの夜なのに、その時は、風が冷たいくらいだった。
「セーターを羽織ってもいいくらいだよな?」
と感じたが、そもそも、その日の昼間はというと、確かまだまだ暑かったようで、
「気温、33度くらいだったのではないか?」
と感じたのだった。
33度というと、この時期にしては、なかなかない気温で、
「これこそ、地球沸騰化と言われるだけのことはある」
と感じさせられたものだった。
ただ、もうこの時間になると、すっかり、夜の静寂が下りてから、だいぶ時間が経っているので意識はなかったのかもしれないが、気が付けば、日が暮れるのも早くなり。
「この間までは、7時前まで明るかったはずなのに、今では6時過ぎくらいには、暗くなっている」
と感じたのだ。
一番、季節の変わり目を顕著に感じるのは、
「虫の声」
であろう。
最近では、お盆を超えると、セミの声が減ってきて、それでも暑さは残っているのだが、日暮れ近くで、セミの声が聞こえなくなると、
「ああ、もう季節は確実に秋に向かっているんだな」
と感じさせられ、けだるさというのも、夏の間と少し違っているのだった。
夏の間は、
「一気に汗が噴き出す」
という感じであったが、秋になると、暑さは収まってくるのが分かるのだが、暑さが身体にこもってくる感じで、汗が出てくる感覚がないのだった。
それだけに、身体のだるさは残っていて。ただ、それは、
「暑さのために、汗を掻く」
という感覚とは若干違ってくる。
身体に吹いてくる風の、本当であれば、
「心地よさ」
なのだろうが、実際に感じると、少し違ってくる。
敏感肌になっているのか、風が身体に痛みをおよぼしているようで、
「風邪でも引いたのかな?」
と感じてしまうほどだったのだ。
しかし、風邪を引いたわけでもなく、さらには、汗を掻いたわけでもないのに、
「汗が乾く時の感覚がある」
ということで、それが、気持ち悪さに繋がっていて。
「熱があるのに、身体にその熱がこもってしまって、熱が上がりまくっている時と同じではないか」
という感覚になるのだった。
風邪を引いた時、熱が上がっている時に、
「熱があるから」
といって、
「身体を冷やすということをしてはいけない」
とお医者さんは、いう。
というのは、
「発熱という作用は、身体に入り込んだ菌やウイルスと戦っているわけで、その作用として、熱が出るので、本来であれば、熱が上がり切るまで、逆に身体を温めなければいけない」
というのだ。
そして、さらに、
「じゃあ、熱が上がり切ったという判断は、いつするんですか?」
と尋ねりと、
「それはね、身体から、汗が出てきた時なんだよ。それまでどんなに熱が上がっていても、汗を掻かないでしょう? その分身体に熱がこもるから、それが、身体が戦っているということになるんだよ」
というではないか。
「そうなんですね。確かにそうだ」
と感じた。
確かに、汗を掻いていない時、身体がどんどん熱くなっていって、頭が痛かったり、吐き気がしたりしたのは、汗を掻いていない時だった。
ということを思い出していた。
「だから、熱が上がり切った時に、身体が、ウイルスや菌を追い出したり、やっつけたりするわけで、今度は、その悪い毒素を身体の外に出そうとして、汗を掻くんだよね。だから、汗を掻き始めると、今度は身体を拭いて、そして、冷やすようにする。そうすると、どんどん熱が下がってきて、微熱くらいでも、すっきりするようになってくるんだよ。汗を掻いた時は、一気に身体を拭いて、汗を掻いたら下着を着替えて、発汗による分、水分が失われるから、ミネラルウォーターであったり、塩分を含んだ水を飲んで、水分と塩分の補給をすることになる。ここは熱中症などになった時と同じ感覚ですね」
ということであった。
だから、汗を掻いていない時に、身体を通る風に、ゾクゾクとした感覚になると、
「風邪でもひいたんじゃないか?」
と心配になるのだ。
肌に痛いような感覚が襲ってくれば、ゾクゾクしてくるはずなので、
「何かの予感を感じさせる」
ということになるのであった。
その日は、最初から涼しさが感じられたので、ぞくっとした気分にはなったが、だからといって、そこから見える景色が、どういうものなのかというと、
「今日はいつもよりも、さらに暗い気がした」
と思いながらバスを降りて、いつものように、家路を急いでいた。
ただ、これだけ暗ければ、普通であれば、影を認識できないくらいのはずなのに、なぜかその時は自分の足から伸びる影が長くなっているのを感じたのだ。
しかし、長さはいつもよりも長いのが分かった。
しかも街灯に照らされているわけなので、足元を中心に、円を描いているようで、それが、ちょうど隣の街灯を感じていると、その光の栄養が強く、そこを通り越してしまうと、今度は前から迫ってくる街灯の影響を強く受けるようになる。
普段であれば、ちょうど、前から後ろにに影響がきれいに移っているので、その影は、違和感を感じることもないのだが、その日は、いつまでも前の影の影響が、後ろの影が張り出してきた時まで残っているのだった。
だから、影が重なるところがあり、そこだけが、黒く浮き上がっているようで、何か、
「見たこともない生物」
のようなものが、蠢いているという感覚になるのだった。
そんな黒いところの影を、無意識に踏もうとしているようで、前を意識することはなくなり、足元だけを見ながら歩いていると。
「あれ?」
と感じるところに来た。
「ここどこだ?」
と感じたのだが、今まで見たこともないような場所だったのだ。
その場所というと、目の前から、どんどん先に行くほど。真っ暗になっていくようなところであり。実際の視界というのが、
「十メートル先が分からない」
というくらいに、真っ暗だったのだ。
普段もそうなのだが、この日は、周りが分からないだけに、余計にそう感じた。
「本当にここは、どこなんだ?」
と感じたのだ。
それでも、次第に視界がしっかりはしてくるもので、ある一点を見続けていると、
「ここはどこなのか?」
ということが分かってきた。
そして、それが分かってきたにも関わらず、最初に見た一点から、目が離せなくなってしまったのはどうしてであろうか?
「いや、こんなこと、前にもあったな」
と感じた。
それが、思い出してみると、数年前くらいのことだったような気がして。ただ、その時、本当であれば、高校生か大学生だったはずなのに、記憶に出てくるのは、
「少年の時の自分」
だったのだ。
というのも、少年の時の自分というのは、
「思い出したその時にも、過去を思い出している自分だったのではないか?」
と考えると、この謎は一気に解決するのだ。
「前にも見たことがある」
というデジャブ現象も、
「過去に見た時期と、自分の成長との辻褄が合わない」
という理屈が合うということは、
「一つの理屈を解釈すれば、その理屈の辻褄が合う」
と考えるのは、
「都合がいい考えすぎる」
といえるおだろうか?
ただ、それが子供の頃だったという理屈は分かる気がする。
というのは、ちょうどあの頃、小学生だったが、学習塾に通っていたことがあったからだった。
懐中電灯を照らしながら、怖くないように、本来であれば、近所迷惑なのだろうが、子供の頃はそんな人に気を遣うという意識が欠如していたのだった。
それを思い出すと、
やはり、元の記憶は、小学生の頃だったのかな?」
と考えるが、さらに我に帰ると、
「そんなバカな」
と、それまで考えていたことを、一気に押しつぶしてしまうような考えに至るのだった。
というのも、
「本当にありえない」
ということだったのだ。
なぜかというと、向坂が、この近くに引っ越してきたのは、中学生になっていて、小学生の頃に受験をした学校に入学できてからだった。
その学校というのは、男子校の中高一貫の学校であり、親が、ちょうどその頃、
「どこかの住宅地に家を新しく持って、一軒家暮らしをしたい」
と考えていたのだった。
その候補地を探していたが、向坂が入学した学校が、ちょうど、住宅地である。ここから近かったのだ。
そもそも、その学校は、
「私立」
であるが、いわゆる、
「中高一貫の学校というには、ちょうどいいくらいではなかったか」
ちょうど、同じ学校にも、この街から通う友達も結構いて、
「それはよかった」
と、家でも話したような覚えがあった。
だから、
「この土地に引っ越してきたのは、小学生であるはずはない、向坂としても。この街に引っ越してきたのが、中学に入ってからのことだ」
というのは、当然のごとく分かっていたことだろう。
それを思うと。
「どうして、記憶が錯綜してしまったんだろう?」
という思いと。
「記憶という意識が、二段階で飛んできたことが、何かの原因ではないだろうか?」
と感じたところから始まっているように感じるのであった。
見えてきた光景が、最初とは少し違ったのは、その時、
「何度か瞬きをしたからだった」
瞬きをすれば、最初に感じた広さが、狭くなっているように感じるのだった。
その理由というのは、
「目の焦点が狭まっていくことで、焦点を合わせようとする意識が、無意識なのか意識的にのことなのだろうか、明らかに視線が寄っているからだ」
ということなのではないかと思うのだった。
まっすぐに前を見ていて。その時に見えてきた光景が、明らかに見えていたものではないと感じると、
「つい瞬くをしてしまう」
と思うのだ。
だが、すぐに元に戻ると思っていて。そうでない場合は、何度となく。
「高速瞬き」
というものをしてしまいのだ。
だが、その時に見えた景色が、
「結局、前のところに戻ってきた」
と感じると、その感覚は、明らかに
「一周回って、戻ってきた」
ということになるのだった。
元々一周まわってくるということを感じた時、
「戻ってきた場所は、絶対に最初であるはずがない」
と思い込んでいたのだ。
それがどういうことなのかというと、見たはずのその光景が、いかに自分の中で見たものかということを理解できていないのだ。
だから、
「絶対に戻ってこないはず」
と思いながらも、一周する間に。
「本当にそうなんだろうか?」
と考えてしまうことで、自分の発想が、
「おかしくなってしまった」
と感じる。
今回のように、
「影がおかしい」
と感じると、
おかしいその理由が、今回のように、
「影だ」
と分かっていると、今までの影に対する記憶を、すべて、引き出さなければ気が済まないくらいになっている。
それは、
「意識はどこまでいっても、とどまるところを知らない」
と感じてしまうと、そこにあるのは、
「目の前にある」
というものに対して。影というハッキリした形で、意識が挑んできているのであれば、意識が、一周しようと、どうしようと、
「違うものは違う」
という。ブレない考えになってしまうのだろう。
そんなことを考えていると。
「何度も瞬き意をする」
という、
「高速瞬き」
というのは、
「自分の中で、何を抗っているのだろう?」
と、感じてしまうからではないだろうか。
おかしい理由というのを考えた時。
「その答えが求まるとすれば、それは、一度最初の段階まで戻って。もう一度やり直さなければいけない」
という、いわゆる、
「タイムリープの理屈」
でなければいけないということになるのではないだろうか?
それを考えると、
「タイムリープ」
と、
「タイムスリップ」
の違いというものを、考えないわけにはいかないということであろう。
「タイムスリップ」
というのは、昔から言われている、
「タイムトラベルもの」
の一種といってもいいだろう。
「タイムマシン」
であったり、
「ワームホール」
と呼ばれるもので、時代を行き来するという発想といってもいいだろう。
このどちらも、前者が、自分たちで作り上げた機械であり、後者が、
「時空を超える」
という伝説的にいわれている、一種の、
「自然現象のようなもの」
である。
「タイムリープ」
というのは、
「過去に戻ることができるとすれば、どの時代のどこからやりなおしたい?」
と言われるもので、タイムマシンが、機械や伝説的な自然現象によって、過去や未来に行くのに対し、こちらは、
「意識だけが、ずっと続いてきた今までの歴史をすべて持ったまま、昔の自分の中に乗り移る」
というような現象をいうのだ。
だから、
「意識を持ったまま、過去の自分の中に入るわけで、自分とすれば、そこから、今までに間違えた人生があれば、その記憶をすべて持ったまま過去に行くのだから、やり直せるのではないか?」
という考えになるわけだが、果たして、そんなにうまくいくのだろうか?
というのは、まず考えられることとして、
「本当に過去のすべてを思う出すことができるのか?」
ということである。
「いついつのどこで待ち合わせをした時、結婚したいと思っていた相手から、別れの話を持ち出された」
ということが分かっているとして、それが、何日のどこだったのかなんて、正直に覚えているものだろうか?
確かに通り過ぎてしまったから、
「あの時がターニングポイントだ」
と分かったとして、
「じゃあ、どこから間違ってしまったのか?」
ということが分からなければ、さらに、
「どうすればよかったのか?」
ということも分かっていないといけない。
過去に戻ったとしても、結局頭の中は時系列を追いかけるしかない。確かに、過去にさかのぼることができるだろうが、結果が分かっていても、原因が分からなければ。何度前に戻ったとしても、そこに答えがない以上。同じことを繰り返すだけではないだろうか?
そんなことを考えていると、
「過去にもどって、どこからかやり直せる」
としても、
「どこからやり直せばいいのか?」
という答えは、未来にもないのだ。
あくまでも、
「どこかで間違えていた」
と感じるのは、結果が分かっているからで、
「じゃあ、その原因がどこにあるのか?」
なんて誰が分かることだろう。それは、
「自分の寿命が分からない」
というのと同じであり、
「いつ死ぬかが分かっていれば、人生計画が立てられる」
ということで、だからといって、
「自分がいつ死ぬのか?」
というのを、
「本気で知りたいのか?」
ということである。
「タイムリープ」
というものを考えていると、
「過去に戻りたい」
という気持ちの表れとして、
「過去に戻れば、原因が分かっているから、そのきっかけとなったところで、食い止めれば何とかなる」
という思いを抱いているのではないかと思う。
しかし、向坂は、もう一歩先を考えるのだが、それが何かというと、
「原因と、きっかけだけではダメだ」
と思うのだった。
それは、前述のように、
「どの時点で、おかしくなった」
という結果から、記憶をさかのぼって、果たして、
「どこからやり直せばいいのか?」
というのが分かるのだろうか?
というのは、
「人間の頭というのは、未来から過去にさかのぼるという思考回路をしているのかどうか?」
ということである。
どういうことかといえば、
「結果から、原因を突き止めることは確かにできるかも知れない。例えばフラれたとして、何か、相手の気に入らないことをしたということを、自分の中で感じたとしよう。
しかし、それが、分かったというのは、
「理由が分かって、その時が間違いの元だったということが分かったのか」
それとも、
「原因は分からないが。相手の態度が何となく変わったのが、その時だった」
というのが分かったからということのどちらかによって、たぶん、戻る場所が違うであろう。
というのは、
「ちゃんとした理由が分かっているというのであれば、その少し前から始めればいいだろう」
しかし、逆に。その理由が分かっていない場合には、戻るとすれば、
「付き合う前に戻る必要がある」
ということになる。
付き合っているうちに、相手のことを最初から、
「こうなったから別れた」
ということを踏まえたうえで、性格を読み取るようにしないと、その理由は分かることはないだろう。
そうなると、
「別れることが前提」
という付き合いを、また最初から考えるというのは、今度は、
「最初から、リスクを負っているようで、完全に、ゼロからの出発ではなく、マイナスからの出発」
ということになる。
そんな状態でも、
「やり直したい」
と考えるかということである。
ひょっとすると、
「この人とは別れる可能性がある」
と分かっていて、やり直そうと思う場合、前の人生の時は、付き合い始めた時、有頂天だったかも知れないが、そんな気持ちはかけらもないだろう。
「下手をすれば、付き合うなんてありえない」
と思ってしまうかも知れないからだ。
それだけ、
「人生をどこかからやり直すというのは、よほど、間違いなくやり直せる」
という確証がなければ、土台無理なことであるに違いない。
夜の静寂というだけ、静寂が襲ってくるように見えるのだが、その前に襲ってきたのは、何かのうめき声であった。
「ううぅ」
といううめき声のような声が聞こえてきたかと思うと、今度は、何か、
「メリメリ」
という何か、乾いたような音が聞こえてきた。
その音が、あまりにも乾いていたから、最初のうめき声のようなものが、湿気を帯びているかのように感じたのか、それとも、逆に、最初のうめき声が、湿気を帯びて感じたから、その後から聞こえてきた、メリメリという音が、乾燥して聞こえてきたのか、微妙な感じだった。
しかし、最初に聞こえてきた、うめき声おがやんでから、あとの音が聞こえてきたわけではない。うめき声は、今も聞こえるのだった。
その音と声らしきものは、同じ方向から聞こえる。どちらかを追っていけば、その二つの正体が分かるというものだが、向坂は、その声の正体をしることが怖かった。
向坂は、うめき声を、
「苦しんでいる小枝」
と認識した。
そうなると、その後の。
「メリメリ」
という音が何なのか?」
と考えると、なんとなく分かってきた気がした。
その正体が何であるかが何となくであるが分かってくると、今度は、足がすくんできた気がした。
「俺はここで、自分の存在を殺すかのような態度を取らないといけないのではないか?」
ととっさに感じた。
しかし、だからと言って、その場から逃げ出すわけにはいかないとも感じた。
それは、正義感でも、勧善懲悪でもなく、ここで何も確かめずに逃げ出すということは、逆に
「永遠に不安を増幅することになる」
と思ったからであった。
ただ、少しずつ歩みがゆっくりになっていき、いつの間にか止まってしまうことがあれば、その時、初めてその正体に築くことになると感じたのは、気のせいであっただろうか?
そう思いながら進んでいると、目の前の暗さに、何か、重圧感のようなものが感じられたのだった。
その重圧感が足元から伸びる影の最長に伸びた部分が、何かに当たったかのように感じた。
その当たった部分が、ちょうど自分の頭に当たるところなので、頭がこつんと当たった気がしたことで、思わず、
「あっ」
という声が漏れたような気がして、自分でも、たじろいでしまった。
しかし、その声に誰も気づかなかったのか、それとも、声が漏れたと感じたのは勘違いで、
「声にならない声」
というものを発しただけだと感じたのかも知れない。
というのも、その声を発したと思ったのは、勘違いだったと思うほどの静寂に、さっきまで、
「この暗さにもだいぶ慣れてきた」
と感じたのが、気のせいだったような気がしたからだった。
その暗さというのが、今度は、湿気を運んできたと思ったのは、それは、自然であったと後から思ったのだが、そう思うと、
「メリメリ」
という音が余計だったのだ。
その音がなければ、恐怖を感じることがないと思ったのは、なぜか、そのうめき声には聞き覚えがあったからなのかも知れない。
そんなことを考えていて、目の前に飛び込んできた光景を見た瞬間。
「ああ、俺は目撃者になってしまったんだ」
と感じたのだ。
うめき声が、断末魔の声に変わり、次第に、その声が糸を引くように、メリメリという音が、規則的だったはずが、次第に早くなったかと思うと、断末魔が切れて、またしても、静寂が戻ってきたからだった。
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