第34話 理想と目的

 通天犀は見たことがないけれど、本に絵は載っていた。それに、おおよその形が犀と同じなら、想像はつく。


「いけそうか?」

「はい。その、ちょっと時間はかかっちゃいそうですけど」


 目を閉じ、集中力を高める。変化の術に一番大切なのは、とにかく集中することだ。そして、変化した対象のものを正確に想像すること。

 色、形、大きさ、匂い……それらをしっかりと想像できていないと、上手く変化することはできない。


 人間と狐以外に化けることは滅多にしない。それに、見たこともないものに化けるなんて初めてだ。


 でも、大丈夫。根拠はないけど、できる気がする。


 身体の芯が熱くなって、だんだんとそれが全身に広がっていく。眩しい光が小鈴を包み、光が消えた瞬間、変化の術は成功した。


「よくやった、小鈴。どこからどう見ても犀にしか見えないぞ」


 飛龍に背中を撫でられる。硬い背中を撫でられても、いつもとはまるで感じ方が違う。


「俺がいたら通天犀も出てこられないだろう。近くで隠れているが……もし通天犀に出会ったら、どうする? 角をとればいいのか?」


 剣を持っていない左手を顎下にあて、飛龍は首を傾げた。

 そもそも幻獣を飛龍も見ることができるのか、触れることができるのか、分からないことだらけなのだろう。


「……飛龍様、私に任せていただけませんか?」

「お前、その姿でも喋れるんだな」

「そうですよ。どんな姿でも、私は私ですから」


 すごいな、と改めて飛龍は呟いた。


 褒めてもらえるのは嬉しいけど、この姿って可愛くないよね。


 今はそんなことを考えている場合ではないのだが、つい、恋する乙女としては気にしてしまう。


「で、なにをお前に任せろと?」

「角をどうやって手に入れるか、です」


 陛下を回復させるために、どうしても角は手に入れなきゃいけない。

 だけど、無理やり角を奪いたくはない。


 そんなことをすれば、飛龍様が理想としていた世界から遠ざかってしまうから。


 小鈴の考えを理解してくれたのだろう。飛龍は少しだけ困ったような顔をしたが、しぶしぶ頷いてくれた。


「分かった。だが、上手くいきそうにないと思ったら、すぐに出ていくからな」

「ありがとうございます」





 通天犀に変化したまま、川に近寄る。とりあえず前足だけを川に入れた。


 水とか飲んでる方がそれっぽいのかな? でもこの川の水って綺麗なの?


 透明度の高い水は綺麗に見えるけれど、ここは瞭寧山だ。安心して飲める水だ、と断言することはできない。


 それにしても本当に、通天犀は現れるのだろうか。


 必要とする人間にだけ、姿が見えるんだよね。

 お願い。私は今、どうしても通天犀に会わなきゃいけないの。


 皇帝の命が失われてしまったら、取り返しがつかなくなってしまうことがたくさんある。だけど今ならまだ、やり直せることがたくさんあるはずだ。


 お願い……!





 どれくらいの時間、小鈴は祈り続けていただろうか。背後から、どすん、どすんと鈍い足音が聞こえた。

 心臓がうるさいけれど、焦ってはいけない。ゆっくりと振り向いて、背後の存在を確認する。


 そこにいたのは、今の小鈴と全く同じ姿をした生き物だった。


 通天犀……! 間違いない、本物の通天犀だ!


 通天犀はのっそりとした動作で近づいてきて、川に入った。角を折らないように器用に身体を曲げて、川の水を美味しそうに飲み始める。


「……あの」


 小鈴が声をかけると、通天犀は自然な動作で顔を上げた。そして、穏やかな顔で小鈴を見つめてくる。


 私のこと、仲間にしか見えてないのかな。


「私、どうしても助けたい人がいるんです。だから貴方の角を分けてくれませんか」

『……ツノ?』


 瞬きを繰り返し、通天犀は一歩後ろへ下がった。


「お願いします。少しだけでいいんです」


 通天犀にとっては、角は身体の一部だ。少しだからといって、簡単に分け与えられるものじゃないことは分かっている。


「お願いします」

『……コワイ』

「え?」


 通天犀は、ゆっくりと小鈴から遠ざかっていく。


 まずい。

 このまま逃げられたら、きっともう会えない……!


「待て!」


 茂みから出てきた飛龍が、通天犀に向かって剣を構えた。どうやら飛龍にも、通天犀の姿がはっきりと見えているらしい。


「俺は、どうしてもお前の角が必要なんだ」


 聞いたことがないほど真剣な声、真っ直ぐな眼差し。

 じわじわと飛龍が近づいてくるたびに、通天犀が小さな鳴き声を上げる。


「殺してでも、その角はもらう」


 きっとこれは、飛龍様にとって最後の機会だ。それを飛龍様もちゃんと分かっている。

 父親を助けるために、もう一度兄と仲直りをするために、飛龍様は絶対の通天犀の角を持ち帰らなくちゃいけない。


 だけど……。


「待ってください!」


 慌てて叫び、小鈴は通天犀と飛龍の間に立ちふさがった。


「小鈴! なにをしている、もし逃げられたら……!」

「私に任せてくださいって、そう言ったじゃないですか!」


 大声で怒鳴り、通天犀に向き合う。すっかり怯えているようで、全身がわずかに震えていた。


 臆病だっていうのは、本に書いてあった通りなのかな。


『……ツノ、トル? コロス?』


 王都の鳥よりもずいぶんと言葉がたどたどしいのは、きっと人の言葉に慣れていないからだ。それでもちゃんと、小鈴と話をしようとしてくれている。


 そんな相手から、無理やり身体の一部を奪うなんてできない。


 飛龍様が必死なのは分かる。私だって、絶対に角は持って帰りたい。

 でもね、飛龍様。目的のために理想を捨てちゃうのは、駄目な気がするの。


「殺さないし、貴方を傷つけたいわけじゃないんです。でもどうしても、貴方の力が必要で……だから、だから私と、話をしてくれませんか?」

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