第34話 理想と目的
通天犀は見たことがないけれど、本に絵は載っていた。それに、おおよその形が犀と同じなら、想像はつく。
「いけそうか?」
「はい。その、ちょっと時間はかかっちゃいそうですけど」
目を閉じ、集中力を高める。変化の術に一番大切なのは、とにかく集中することだ。そして、変化した対象のものを正確に想像すること。
色、形、大きさ、匂い……それらをしっかりと想像できていないと、上手く変化することはできない。
人間と狐以外に化けることは滅多にしない。それに、見たこともないものに化けるなんて初めてだ。
でも、大丈夫。根拠はないけど、できる気がする。
身体の芯が熱くなって、だんだんとそれが全身に広がっていく。眩しい光が小鈴を包み、光が消えた瞬間、変化の術は成功した。
「よくやった、小鈴。どこからどう見ても犀にしか見えないぞ」
飛龍に背中を撫でられる。硬い背中を撫でられても、いつもとはまるで感じ方が違う。
「俺がいたら通天犀も出てこられないだろう。近くで隠れているが……もし通天犀に出会ったら、どうする? 角をとればいいのか?」
剣を持っていない左手を顎下にあて、飛龍は首を傾げた。
そもそも幻獣を飛龍も見ることができるのか、触れることができるのか、分からないことだらけなのだろう。
「……飛龍様、私に任せていただけませんか?」
「お前、その姿でも喋れるんだな」
「そうですよ。どんな姿でも、私は私ですから」
すごいな、と改めて飛龍は呟いた。
褒めてもらえるのは嬉しいけど、この姿って可愛くないよね。
今はそんなことを考えている場合ではないのだが、つい、恋する乙女としては気にしてしまう。
「で、なにをお前に任せろと?」
「角をどうやって手に入れるか、です」
陛下を回復させるために、どうしても角は手に入れなきゃいけない。
だけど、無理やり角を奪いたくはない。
そんなことをすれば、飛龍様が理想としていた世界から遠ざかってしまうから。
小鈴の考えを理解してくれたのだろう。飛龍は少しだけ困ったような顔をしたが、しぶしぶ頷いてくれた。
「分かった。だが、上手くいきそうにないと思ったら、すぐに出ていくからな」
「ありがとうございます」
◆
通天犀に変化したまま、川に近寄る。とりあえず前足だけを川に入れた。
水とか飲んでる方がそれっぽいのかな? でもこの川の水って綺麗なの?
透明度の高い水は綺麗に見えるけれど、ここは瞭寧山だ。安心して飲める水だ、と断言することはできない。
それにしても本当に、通天犀は現れるのだろうか。
必要とする人間にだけ、姿が見えるんだよね。
お願い。私は今、どうしても通天犀に会わなきゃいけないの。
皇帝の命が失われてしまったら、取り返しがつかなくなってしまうことがたくさんある。だけど今ならまだ、やり直せることがたくさんあるはずだ。
お願い……!
◆
どれくらいの時間、小鈴は祈り続けていただろうか。背後から、どすん、どすんと鈍い足音が聞こえた。
心臓がうるさいけれど、焦ってはいけない。ゆっくりと振り向いて、背後の存在を確認する。
そこにいたのは、今の小鈴と全く同じ姿をした生き物だった。
通天犀……! 間違いない、本物の通天犀だ!
通天犀はのっそりとした動作で近づいてきて、川に入った。角を折らないように器用に身体を曲げて、川の水を美味しそうに飲み始める。
「……あの」
小鈴が声をかけると、通天犀は自然な動作で顔を上げた。そして、穏やかな顔で小鈴を見つめてくる。
私のこと、仲間にしか見えてないのかな。
「私、どうしても助けたい人がいるんです。だから貴方の角を分けてくれませんか」
『……ツノ?』
瞬きを繰り返し、通天犀は一歩後ろへ下がった。
「お願いします。少しだけでいいんです」
通天犀にとっては、角は身体の一部だ。少しだからといって、簡単に分け与えられるものじゃないことは分かっている。
「お願いします」
『……コワイ』
「え?」
通天犀は、ゆっくりと小鈴から遠ざかっていく。
まずい。
このまま逃げられたら、きっともう会えない……!
「待て!」
茂みから出てきた飛龍が、通天犀に向かって剣を構えた。どうやら飛龍にも、通天犀の姿がはっきりと見えているらしい。
「俺は、どうしてもお前の角が必要なんだ」
聞いたことがないほど真剣な声、真っ直ぐな眼差し。
じわじわと飛龍が近づいてくるたびに、通天犀が小さな鳴き声を上げる。
「殺してでも、その角はもらう」
きっとこれは、飛龍様にとって最後の機会だ。それを飛龍様もちゃんと分かっている。
父親を助けるために、もう一度兄と仲直りをするために、飛龍様は絶対の通天犀の角を持ち帰らなくちゃいけない。
だけど……。
「待ってください!」
慌てて叫び、小鈴は通天犀と飛龍の間に立ちふさがった。
「小鈴! なにをしている、もし逃げられたら……!」
「私に任せてくださいって、そう言ったじゃないですか!」
大声で怒鳴り、通天犀に向き合う。すっかり怯えているようで、全身がわずかに震えていた。
臆病だっていうのは、本に書いてあった通りなのかな。
『……ツノ、トル? コロス?』
王都の鳥よりもずいぶんと言葉がたどたどしいのは、きっと人の言葉に慣れていないからだ。それでもちゃんと、小鈴と話をしようとしてくれている。
そんな相手から、無理やり身体の一部を奪うなんてできない。
飛龍様が必死なのは分かる。私だって、絶対に角は持って帰りたい。
でもね、飛龍様。目的のために理想を捨てちゃうのは、駄目な気がするの。
「殺さないし、貴方を傷つけたいわけじゃないんです。でもどうしても、貴方の力が必要で……だから、だから私と、話をしてくれませんか?」
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