第35話 約束

 通天犀の震えが止まった気がするのは、きっと気のせいじゃない。小鈴が少し近づいても、通天犀は動かなかった。


 通天犀の角は、どんな病も毒も治す。

 そんな角を欲しがる人は、今までもきっとたくさんいたはずだ。


 金儲けのために欲した人も、大切な人の命を救うために欲した人もいるだろう。理由は人それぞれだ。

 そしておそらく大半の人が、通天犀の気持ちなんて考えもしなかったんじゃないだろうか。


 きっとこの子も、今までずっと角を狙われてきたんじゃないのかな。

 だったら、こんな風に人を恐れるのは当たり前だ。


「お願いです。どうしても助けたい人がいて……ほんの少しでいいから、角をもらえませんか」


 小鈴が自分と似た姿をしていることも、通天犀を安心させる材料になったのだろう。逃げも暴れもせず、話をしてくれた。


『……コロサナイ?』

「はい。殺したりなんて、しません」


 通天犀に全力で拒まれてしまったら、小鈴としてはどうすることもできない。無理やり奪いたくはないけれど、同時に、この機会を逃すわけにもいかないから。


「どうかお願いです。代わりに私たちにできることがあれば、何でもしますから」

『……ナンデモ?』

「はい」


 どうやら飛龍は、通天犀の姿は見えるものの、声は聞こえないらしい。


 普通の人とは話せないのだとしたら、やっぱり今まで、この子は誰かと話し合いをしたことなんてなかったんだ。


『……ミズ』

「水? 川の水のことですか?」

『キタナイコト、アル。……ホカノドウブツ、コマル』


 そう言ってまた、通天犀は川の水を飲んだ。緊張で喉が渇いているのだろう。


 川の水が汚い。だから、他の動物が困る時がある……ってことだよね。

 こんなにたくさん飲んでるし、通天犀自体は問題なく水を飲めているようだけれど。


『コノヤマ、イエ。コマル、ウルサイ』


 小鈴が話を聞くことを理解してくれたのか、ゆっくりとだが、通天犀が言葉を重ねてくれる。


「ここは大事な住処だから、騒がれたりするのは困るってことですか?」

『ソウ』


 そっか、そうだよね。

 私たち人間が瞭寧山を恐れているのと同じで、ここで暮らす通天犀や動物たちだって、瞭寧山の治安の悪さを気にしているんだ。


『ニンゲン、コワイ』


 ここへくる人間は主に、悪事を働く連中だ。山の環境に気を配ってくれる人なんていない。

 それに瞭寧山は恐ろしい場所として知られているから、国や都が整備することもない。


「分かりました。瞭寧山を保護する代わりに、角を少しだけ分けてくれませんか?」

『……ヤクソク?』

「はい、約束です」


 山を保護する権利なんて、小鈴にはない。

 勢いよく振り向いて、飛龍の名前を呼んだ。


「飛龍様!」

「なんだ? どうなっている? そいつと話はできているのか?」

「瞭寧山を保護すれば、代わりに角を分けてくれるそうです。約束してくださいますか?」

「当たり前だ。皇子として、必ず約束は守る」


 早口で飛龍は言った。今の状況で、首を横に振るわけがないことは分かっていた。


 でも飛龍様は、嘘をつくような人じゃない。約束してくれたのなら、絶対に守ってくれるはずだわ。


 通天犀はゆっくりと小鈴に近づき、角を差し出すように頭を前に出した。


「ありがとうございます」


 礼を言って、変化の術を解く。半妖姿に戻った小鈴を見ても、通天犀は動かない。

 取り出した小刀で、角の一部を削り取る。


「約束は、絶対に守りますから」

『ヤク、ソク』


 それだけ言うと、通天犀は茂みに姿を消してしまった。





「……小鈴、お前はすごいな」


 早足で下山しながら、飛龍がしみじみと言った。


「妖だろうが人だろうが……半妖だろうが、この国で暮らす全員が、好きに生きられるようにしたい。そんな理想を言ったのは、俺だったのに」


 自嘲気味に飛龍が笑う。どう返事をするべきか迷って、とりあえず、飛龍の手をぎゅっと握った。


「私は今も昔も、飛龍様の理想を叶えたいだけです。飛龍様がいなければ私は、夢を見ることすらできなかったと思います」

「……小鈴」

「それに、私だけだったら、瞭寧山を保護する、なんて約束はできませんでしたよ。これは、私たち二人が手に入れた物です」


 飛龍の瞳を見つめ、にっこりと笑う。わざとらしいほど明るい笑みに、飛龍も口元を緩めてくれた。


「これで、陛下も回復しますね」

「……ああ」

「その後は……たぶん、私の出る幕じゃないですよね」


 飛龍は何も言わない。無言のまま、考え込んでいるようだった。





「……やっときましたか」


 瞭寧山を下りると、そこには梓宸が立っていた。既に日は暮れかけていて、茜色の陽光が梓宸の顔を照らしている。

 相変わらずの顔色の悪さだ。


「ず、梓宸さん……?」

「通天犀を探しに、瞭寧山へやってきたのでしょう」


 とっさに、角を入れた革袋を背後に隠す。

 せっかく手に入れた角を、梓宸に渡すわけにはいかない。


 でも、どうしてばれたの? ここへ行くことは、誰にも言っていないのに。


「書庫の本に、ほんの少しですが、折り目がついていました。貴女が読んだんでしょう」


 あ……!


 書庫への出入りは自由だ。つまり、梓宸も自由に書庫へ入れる。

 梓宸なら、小鈴が本を見たことに気づいてもおかしくない。


「通天犀の角は、手に入ったんですか」


 梓宸が距離を詰めてくる。反射的に後ろへ下がろうとしたけれど、身体が動かなかった。


「おい、お前、いい加減に……!」


 飛龍の怒鳴り声は、途中で途切れてしまった。

 一台の馬車が止まり、中から一人の男が下りてきたからだ。


「お前たち。そろいもそろって、そこで何をしているんだ?」


 佩芳の問いかけに、すぐに答えられる者はいなかった。

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