第21話(飛龍視点)負けるつもりはない
自由に部屋を出られるようになって、8年が経った。飛龍は20歳、佩芳は22歳である。
まだ皇帝は、世継ぎを定めてはいない。
「陛下は佩芳様でなく、飛龍様を世継ぎに指名されるつもりでは?」
「元々陛下は、飛龍様の母君を寵愛なさっていたではないか」
「いやいや、世継ぎは長男である佩芳様に違いない」
様々な憶測が流れている。そのどれが正しいかなんて、飛龍だって知らない。
「……はあ」
溜息を吐き、早足で部屋へ戻る。そのまま床に寝そべって、ぼんやりと天井を見上げた。
病弱だった面影はとっくの昔になくなった。身長も伸びたし、体格も佩芳には劣るが、同世代の青年と比べればかなり立派である。
剣の腕も、狩りの腕も上達した。幼少期から本ばかり読んでいたからか、勉強も得意だ。
それが、よくなかったんだろうな。
「俺は、皇帝になどなりたくないのに」
いつからか、兄が飛龍の部屋で食事をすることがなくなった。
いつからか、狩りや剣の稽古に誘われることがなくなった。
二人の対立を煽るような噂ばかりが流れ、兄と話すことも減った。嫌われているわけではない……と思いたいが、自信もない。
「さっさと父上が、兄上を後継に指名すればいいんだ」
◆
扉がいきなり開いて、飛龍は起き上がった。反射的に枕元においてある小刀へ手を伸ばす。
部屋の前にはもちろん見張りがいる。怪しい者を飛龍の部屋まで通すはずがない。
だが、警戒して損はない。
「……誰だ?」
「そんな声を出すな。俺だぞ、お前の兄上だ」
久しぶりに聞いた明るい声に、身体の緊張が抜けていく。小刀を床に戻し、明かりを灯した。
「どうしたんです、兄上。こんな時間に」
「お前の誕生日を、一番に祝ってやろうと思ってな」
「……あ」
「なんだ、自分の誕生日を忘れてたのか?」
「別に、そういうわけでは……」
誕生日には頼んでもいないのに盛大な宴を開かれる。忘れたくても忘れられない。だが、自分の誕生日と兄の来訪が全く結びついていなかったのだ。
そうか。兄上は、俺の誕生日を祝おうと思ってくれたのか。
「おめでとう、飛龍」
昔と変わらない明るい笑顔にほっとする。
「これをお前にやろう」
そう言って佩芳が懐から取り出したのは、短刀だった。
「もしかして、それは……」
「ああ。俺が使っている短刀を作った刀匠に作ってもらった。お前、俺の短刀を欲しがっていただろう」
「……ええ」
「切れ味もいいし、軽い。俺の物より上質かもしれんな」
軽やかに笑いながら、佩芳がそっと短刀を差し出してくる。両手で受け取った剣は、記憶にあるそれよりもずっと軽かった。
確かに言った。
兄上の剣が欲しいと。
だが、同じ刀匠が作った剣が欲しいわけではない。兄上はそれが分からないんだろう。
「どうだ? 今度、余興で試合でもするか?」
「冗談はやめてください。俺には大勢の前で恥をかく趣味なんてないですよ」
病弱だった昔とは違い、それなりに剣の腕前も上達した。しかし、兄と試合ができるほどではない。
そんなこと、佩芳自身が一番分かっているだろうに。
「そうか? 俺は、挑むなとは言わないぞ」
一瞬で、佩芳の顔から笑みが消えた。鋭利な眼差しに突き刺され、とっさに下を向いてしまう。
初めて見る、兄の顔だった。
「なあ、飛龍。お前も知らないわけじゃないだろう。父上が、お前に後を継がせたがっている、という噂を」
「……ただの噂です。他人事だと思って、面白おかしく話しているだけでしょう」
「ない話じゃないだろう。元々父上は、お前をよく可愛がっていた」
「それは俺が母に似ているから、というだけでしょう」
「生まれつきお前が健康だったなら、既に父はお前を指名していたかもしれないな」
兄らしくない言葉に焦る。今答えを間違えてしまったら、大切なものを失ってしまうような気がする。
俺はただ、昔のように、兄上と話したいだけなのに。
「それに、お前は俺よりもずっと頭がいい。戦いならともかく、政はお前の方が向いているかもしれん」
「……なにをおっしゃるんです」
ははっ、と佩芳は口を大きく開けて笑った。けれど、見慣れた太陽のような笑顔ではない。
「回りくどいことを言って悪かった。結局、言いたいことは一つだけだ」
「はい」
「俺は、お前に負けるつもりはない」
はっきりと宣言すると同時に、佩芳は部屋から出ていってしまった。呼び止める暇もない。
再び一人になった部屋で、飛龍はそっと地面にしゃがみ込む。
「……どうすればいい?」
自分は帝位になど興味はない。そう主張したところで、きっと何の意味もない。かといって、兄を後継に指名してほしい、などと父親に頼むことも不可能だ。
仮にそんなことをしたら、佩芳は怒り狂うだろう。
兄をずっと尊敬していたし、憧れてもいた。そんな兄の隣に立って、兄を支えられるような人間になりたいと思っていた。
その結果が、これだ。
◆
いよいよ、皇帝陛下が後継者を指名する。
最近、王城はその話題でもちきりだ。正式な発表があったわけでもないのに、貴族たちもやたらとそわそわしている。
佩芳は前以上に剣の稽古に励み、何度か戦にも参加した。武官たちの人気は完全に佩芳の物である。
武官たちに対抗する文官の一部は飛龍を指示しているが、飛龍は派閥作りには興味がない。そもそも、皇帝になる気などないのだから。
「……兄上はきっと、少し焦っているだけだ」
飛龍と違い、佩芳は生まれた時から第一皇子として育てられた。その重圧は想像することすらできない。
そんな佩芳からしてみれば、弟に帝位を奪われるなんてあり得ないのだろう。
父上も、俺に跡を継がせる気はないはずだ。あるのなら、もっと早く指名しているだろう。
だからもうすぐ、前のように兄上と笑い合える日がくる。
「大変です、飛龍様!」
廊下から叫び声が聞こえ、慌てて部屋の扉を開ける。真っ青な顔をした男が、震える声で叫んだ。
「陛下が……陛下が、意識を失ってしまいました!」
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