第22話(飛龍視点)それでも
飛龍が慌てて父親の部屋に駆けつけた時、皇帝は意識を失い、横たわっていた。顔は青白く、生気が感じられない。
しかし手首に触れれば、脈拍を感じることができる。
「……これは」
「いきなり倒れたそうだ」
部屋の隅にいた佩芳が、重々しく口を開いた。佩芳の傍らには、当たり前のような顔をして梓宸が控えている。
数年前、いきなり佩芳が連れてきた仙術師だ。腕は確からしいが、愛想も悪く、あまり好きにはなれない。
部屋を観察すると、床に湯呑が転がっていた。少し欠けているから、おそらく落としたのだろう。
父上は、この茶を飲んだ直後に倒れたのか?
とっさに湯呑に手を伸ばそうとすると、飛龍様! と皇帝の傍らにいた医者に叫ばれた。
「触れないでください。毒があるかもしれません。私が調べますから」
「分かった。……この茶は、誰が用意したんだ?」
「いつもと同じ侍女です。現在、既に捕えておりますが」
皇帝は年こそとったものの、健康に問題はなかった。だからといっていきなり倒れるはずがない、とは断言できないが、なにか怪しい。
「……兄上」
「なんだ?」
佩芳の瞳が、いつも以上に鋭い気がする。飛龍が何も言えずにいると、佩芳は立ち上がった。
「今から、俺が父上の代理を務める。後継者を指名していない以上、第一皇子である俺の役目だ」
「……はい」
「異論はあるか?」
「いえ」
「ならいい」
それだけ言うと、佩芳は部屋を出ていってしまった。倒れている父をおいて。
皇帝が倒れたからこそ、第一皇子である佩芳にはやるべきことがある。分かっているが、もやもやしてしまうのも事実だ。
溜息を吐いて、頭を大きく振る。
兄だって動揺しているに違いない。こんな時こそ、弟として兄を支えなければ。
そうすればまた、前のように戻れるかもしれない。
◆
「……何の真似だ?」
外に出ようとした瞬間、いきなり複数の武官に取り囲まれた。いきなりのことで、状況が理解できない。
「お部屋へお戻りください、飛龍様」
「何の理由があって?」
「飛龍様が病だからです」
「……は?」
何を言っているんだ、こいつらは?
今日の飛龍は健康そのものだ。病とはかけ離れた状態である。
「俺のどこが病に見えるんだ?」
「佩芳様からお伺いしましたから」
「……兄上から?」
「はい」
飛龍が動かずにいると、しびれを切らしたのか、強引に部屋へ連れ戻された。そして、勢いよく扉を閉められる。
中から扉を開けることは、当然ながらできなかった。
「佩芳様からの伝言です。ゆっくり療養するように、と」
目の前が真っ暗になって、両手で頭を抱えた。兄上、と口からこぼれた声があまりにも情けなくて、自分でも泣きたくなる。
ああ、そうか。俺は、兄上に捨てられたのか。
父が倒れ、これから二人で力を合わせるのではなく、佩芳は飛龍を切り捨てることを選んだ。
皇帝が不在の今、飛龍を救い出してくれる存在はいない。
「……これも全部、兄上が仕組んだことだったのか?」
この状況で最も得をしているのは兄だ。自分に有利な状況を作り出すために、佩芳がこの状況を作ったのだとしたら?
「兄上が、父上を……?」
主君殺しも、親殺しも大罪だ。もしそれが事実なら、佩芳は無事ではいられない。
「……そう主張するのが、俺が唯一ここから出られる方法なのかもしれないな」
佩芳が皇帝に毒を盛ったと主張し、佩芳の敵として後継者を目指す。そうすれば、反佩芳派の者たちは飛龍に味方してくれるはずだ。
でももし、本当にこれが佩芳の仕組んだことで、それが明るみになってしまったらどうなる?
間違いなく佩芳は処刑されるだろう。そして、飛龍が次の皇帝になれる。
「……兄上は、俺を殺そうとはしなかった」
あくまでも邪魔な俺を閉じ込めておこうとしただけ。敵でもないと判断すれば、そのうち、自由に外へ出られるようにだってなるかもしれない。
飛龍! とまた、俺を連れ出してくれる日がくるかもしれない。
不意に、小さな狐のことを思い出した。
幼い頃に出会った、半妖の娘。飛龍が迎えにいくと言ったことを、あの子はまだ覚えているだろうか。きっと覚えているだろう。
救われた側はずっと、そのことを忘れられないものだから。
「……約束は、守れそうにないな」
彼女が今の飛龍を見たら、がっかりするに違いない。情けない男だ、なんて呆れられるかもしれない。
それでもやはり、兄へ刃を向ける気にはなれなかった。
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