第20話(飛龍視点)世界
「飛龍様、食事をお持ちしました」
扉が開いて、見慣れた老人がやってくる。小鈴の前まで、飛龍の食事係を務めていた男だ。
机の上に盆をおき、振り向きもせずに部屋を出ていく。当然飛龍も、男を呼び止めはしない。
「……今日はこなかったな」
小鈴がきても通すな。そう命令したのは自分だ。だというのに、小鈴がこないことを寂しく思ってしまう。
義務的に用意される食事は、ここへ閉じ込められる前と何も変わらない。外出はできないが、望めば書庫から本を持ってきてもらえる。
いっそ、もっと雑に扱えばいい。
そうすれば、恨んでしまえるものを。
溜息を吐いて、目を閉じる。飛龍! と自分を呼ぶ明るい声を思い出して、泣きたいような、殴りたいような気分になった。
兄上は変わってしまった。
徐々に。そして、決定的に。
もし時間を巻き戻せたら、こんな今にならずに済むだろうか。それとも、何度繰り返しても、同じことになってしまうのだろうか。
考えても意味のないことを考えてしまう。時間だけは無限にあるから。
◆
太陽が人になるなら、きっと兄の姿をしている。
幼い頃、ずっとそう思っていた。今もその考えはなくなっていない。
昔も俺は、自由に部屋から出ることができなかった。
そんな俺にとっては兄が、世界そのものだった。
◆
扉が開いて、外の空気が部屋の中に入り込んでくる。急な寒さに対抗するように布団を抱き寄せ、そっと息を吐く。
「飛龍!」
眩しい笑顔、耳を塞ごうかと迷うほどの大声、日に焼けた肌。
彼が近くにくると、いつも世界が明るくなる。たぶんそう感じるのは、飛龍だけじゃないはずだ。
「……兄上。早いですね」
「お前が起きるのが遅いんだ。俺はもう、朝の稽古を終えたぞ」
佩芳の後ろから、二人分の食事を持った侍女が入ってくる。佩芳の皿に盛られた料理がやけに多いのはいつものことだ。
「ほら、出てこい。食事にしよう」
「はい」
布団から出て、佩芳の正面に腰を下ろす。佩芳からはいつも、太陽の匂いがする。
「身体の調子はどうだ?」
「普通です」
「そうか、普通か」
いつもと変わらない飛龍の返事に、佩芳がいつもと変わらない笑顔で応じる。
いつからか、当たり前になったことだ。
飛龍は生まれた時、通常の赤子よりもかなり小さかった。なんとか無事に成長できたものの、あまり身体は丈夫ではない。
特に季節の変わり目には、高確率で寝込んでしまう。
「だが、最近は調子がいいと医者に聞いたぞ。お前と狩りに出かけられる日も遠くないな」
「……俺は、弓の扱い方も知りませんが」
「そんなこと気にするな。俺が教えてやろう」
「お手柔らかにお願いしますよ」
「それは約束できないな」
そろそろ、自由に部屋から出られるようになる。医者によれば、もうほとんど同年代の少年と変わらないという。
ただ、長年引きこもって暮らしていただけに、体力をつける必要があるそうだ。
「12歳の誕生日祝いは盛大にやると、今から父上もはしゃいでいるぞ」
「派手にやってもらう必要はありません」
「そうはいかない。それに、お前に会いたい連中は山ほどいる」
「俺にじゃなくて、第二皇子にでしょう」
「またお前はそういうことを言って」
いつも、名前も知らない連中から大量の見舞い文が届く。その中に、本気で飛龍のことを心配している人間なんていない。
みんな、第二皇子である飛龍の地位にしか関心がないのだから。
「俺のためにも、お前は宴会に慣れなくてはな」
「どうしてです?」
「お前がいないと、俺ばかりに人が寄ってくる。毎度毎度、面倒なことにな」
「それが第一皇子の務めですよ」
「知ったようなことを言って」
大きな声で笑うと、佩芳は立ち上がり、飛龍の肩に腕を回した。文句を言いつつも、きちんと力を調整してくれているのが分かる。
小さい頃から兄はよく、部屋を訪ねてくれる。こうして食事を共にとり、なにかと外の情報を教えてくれるのも兄だ。
飛龍と違って健康で、剣の腕もよく、多くの人に慕われている。
「とにかく、早く元気になってくれ。俺も、早く外でお前と遊びたい」
「……頑張ります」
剣の稽古がどんなものかも、狩りがどんなものかもよく分からない。けれど佩芳の話はいつも楽しそうで、ここから出たくなる。
「そうだ。お前は昨日、どんな本を読んだんだ?」
「……妖の本を」
「妖の?」
妖の本、と言えば大抵の者はいい顔をしない。そんなものを読んで、と呆れられるだろう。でも佩芳は絶対にそんなことは言わない。
「はい。いろんな妖がいて……もちろん、恐ろしいものですが、上手く協力して生きることができたら、人にとってもいいのではないでしょうか」
「妖と協力して?」
「ええ。兄上も、馬鹿げた話だと思われますか?」
「いや、斬新な発想だが、悪くない。さすが飛龍だ。俺には、そんな考えはなかったぞ」
すごいな、と褒められると照れくさい。ただ、適当に考えたことを口にしただけだ。
佩芳が外の話をして、飛龍が読んだ本の話をする。
物心がついた時から、ずっと変わらない関係だ。
「飛龍。もっとお前の考えを教えてくれ」
意志の強そうな瞳で見つめられると、胸が高鳴る。いつも佩芳は、飛龍の話を真剣に聞いてくれるから。
「はい、兄上」
あと少しすれば、自由に外へも出られる。兄と一緒に剣の稽古に励むことも、狩りへ行くこともできるだろう。
そうすればもっと、兄の役に立てるに違いない。
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