第20話(飛龍視点)世界

「飛龍様、食事をお持ちしました」


 扉が開いて、見慣れた老人がやってくる。小鈴の前まで、飛龍の食事係を務めていた男だ。

 机の上に盆をおき、振り向きもせずに部屋を出ていく。当然飛龍も、男を呼び止めはしない。


「……今日はこなかったな」


 小鈴がきても通すな。そう命令したのは自分だ。だというのに、小鈴がこないことを寂しく思ってしまう。

 義務的に用意される食事は、ここへ閉じ込められる前と何も変わらない。外出はできないが、望めば書庫から本を持ってきてもらえる。


 いっそ、もっと雑に扱えばいい。

 そうすれば、恨んでしまえるものを。


 溜息を吐いて、目を閉じる。飛龍! と自分を呼ぶ明るい声を思い出して、泣きたいような、殴りたいような気分になった。


 兄上は変わってしまった。

 徐々に。そして、決定的に。


 もし時間を巻き戻せたら、こんな今にならずに済むだろうか。それとも、何度繰り返しても、同じことになってしまうのだろうか。

 考えても意味のないことを考えてしまう。時間だけは無限にあるから。





 太陽が人になるなら、きっと兄の姿をしている。

 幼い頃、ずっとそう思っていた。今もその考えはなくなっていない。


 昔も俺は、自由に部屋から出ることができなかった。

 そんな俺にとっては兄が、世界そのものだった。





 扉が開いて、外の空気が部屋の中に入り込んでくる。急な寒さに対抗するように布団を抱き寄せ、そっと息を吐く。


「飛龍!」


 眩しい笑顔、耳を塞ごうかと迷うほどの大声、日に焼けた肌。

 彼が近くにくると、いつも世界が明るくなる。たぶんそう感じるのは、飛龍だけじゃないはずだ。


「……兄上。早いですね」

「お前が起きるのが遅いんだ。俺はもう、朝の稽古を終えたぞ」


 佩芳の後ろから、二人分の食事を持った侍女が入ってくる。佩芳の皿に盛られた料理がやけに多いのはいつものことだ。


「ほら、出てこい。食事にしよう」

「はい」


 布団から出て、佩芳の正面に腰を下ろす。佩芳からはいつも、太陽の匂いがする。


「身体の調子はどうだ?」

「普通です」

「そうか、普通か」


 いつもと変わらない飛龍の返事に、佩芳がいつもと変わらない笑顔で応じる。

 いつからか、当たり前になったことだ。


 飛龍は生まれた時、通常の赤子よりもかなり小さかった。なんとか無事に成長できたものの、あまり身体は丈夫ではない。

 特に季節の変わり目には、高確率で寝込んでしまう。


「だが、最近は調子がいいと医者に聞いたぞ。お前と狩りに出かけられる日も遠くないな」

「……俺は、弓の扱い方も知りませんが」

「そんなこと気にするな。俺が教えてやろう」

「お手柔らかにお願いしますよ」

「それは約束できないな」


 そろそろ、自由に部屋から出られるようになる。医者によれば、もうほとんど同年代の少年と変わらないという。

 ただ、長年引きこもって暮らしていただけに、体力をつける必要があるそうだ。


「12歳の誕生日祝いは盛大にやると、今から父上もはしゃいでいるぞ」

「派手にやってもらう必要はありません」

「そうはいかない。それに、お前に会いたい連中は山ほどいる」

「俺にじゃなくて、第二皇子にでしょう」

「またお前はそういうことを言って」


 いつも、名前も知らない連中から大量の見舞い文が届く。その中に、本気で飛龍のことを心配している人間なんていない。

 みんな、第二皇子である飛龍の地位にしか関心がないのだから。


「俺のためにも、お前は宴会に慣れなくてはな」

「どうしてです?」

「お前がいないと、俺ばかりに人が寄ってくる。毎度毎度、面倒なことにな」

「それが第一皇子の務めですよ」

「知ったようなことを言って」


 大きな声で笑うと、佩芳は立ち上がり、飛龍の肩に腕を回した。文句を言いつつも、きちんと力を調整してくれているのが分かる。


 小さい頃から兄はよく、部屋を訪ねてくれる。こうして食事を共にとり、なにかと外の情報を教えてくれるのも兄だ。

 飛龍と違って健康で、剣の腕もよく、多くの人に慕われている。


「とにかく、早く元気になってくれ。俺も、早く外でお前と遊びたい」

「……頑張ります」


 剣の稽古がどんなものかも、狩りがどんなものかもよく分からない。けれど佩芳の話はいつも楽しそうで、ここから出たくなる。


「そうだ。お前は昨日、どんな本を読んだんだ?」

「……妖の本を」

「妖の?」


 妖の本、と言えば大抵の者はいい顔をしない。そんなものを読んで、と呆れられるだろう。でも佩芳は絶対にそんなことは言わない。


「はい。いろんな妖がいて……もちろん、恐ろしいものですが、上手く協力して生きることができたら、人にとってもいいのではないでしょうか」

「妖と協力して?」

「ええ。兄上も、馬鹿げた話だと思われますか?」

「いや、斬新な発想だが、悪くない。さすが飛龍だ。俺には、そんな考えはなかったぞ」


 すごいな、と褒められると照れくさい。ただ、適当に考えたことを口にしただけだ。


 佩芳が外の話をして、飛龍が読んだ本の話をする。

 物心がついた時から、ずっと変わらない関係だ。


「飛龍。もっとお前の考えを教えてくれ」


 意志の強そうな瞳で見つめられると、胸が高鳴る。いつも佩芳は、飛龍の話を真剣に聞いてくれるから。


「はい、兄上」


 あと少しすれば、自由に外へも出られる。兄と一緒に剣の稽古に励むことも、狩りへ行くこともできるだろう。

 そうすればもっと、兄の役に立てるに違いない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る